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過去 が訪れて いま に戻る

知人が近くまで来るというので久しぶりに会いに行ったこの日。
そう遠くでないのだけど、電車だと乗り換えしなきゃいけなくてメンドクサイなーとか思いMAPを見てみる。

歩けるんじゃないか?

たぶん1時間弱くらい。そのちょっと手前までは歩いた事がある。
よっしゃーっ! お散歩しながら行こう!

方向感覚というものがあまりないので、大通りをテクテク。歩いたことのない道を歩くのは、不思議の国に来たようで楽しい~。

街というものも場の空気感があるから、歩いているうちにその感覚がどんどん変わって面白い。
この辺は自分に合いそうだなーとか、ここは長くは居られないなとか。歩きながら身体の感覚にも耳を傾ける。



小学生になったお子さんも一緒だったから、ファミレスで待ち合わせ。
ファミレスなんてどれくらいぶりに入ったんだろう。たぶん食生活変えた辺りから行かなくなったのだけど、ファミレスにはファミレスの良さがやっぱりあって、小さいお子さん一緒だったりすると気兼ねなく居られる雰囲気がいいのね。それぞれが好きなもの頼めるのも魅力。
自分ひとりなら入らないけれど、その時の状況でその場に合ったものにそのまんま乗っかると、違う景色が見せて貰えるのね。ありがたい。

その知人はだいぶ前に同じ職場だった方で、連絡頂いた時は「あら、過去が訪れた」と思い。
このところずーっと色んな「過去の訪れ」と対面してる。こちらから願うわけでもなく、そういう状況が訪れる。
で、訪れたものはそのまんま乗っかる(笑)。
たぶん今のわたしに必要な出来事なのだろうから。

とくだん難しい話をするわけでもなく、お子さんの成長を眺めながら、かなりの年月経っているはずなのに、その方の元からあるものは変わらず輝いてるなーとか感じながら楽しい時間が過ぎていって。

その方は私が体調崩した時に一緒に働いていて上席にあたる人だった。
指の変形でパソコンのタイピングスピードも落ち、これからどう進行するかも分からず当初の契約時から明らかにニーズを満たしていないと感じた私は、会社として希望があれば別の者とチェンジ出来る(業務委託契約だったから)と申し出た。

全部を聞いたあと、その人から出た言葉は「パソコンなんて、指一本あれば打てるじゃない。」だった。

変形が始まり、これからどうなってしまうか分からない不安に取り囲まれていた私にとって、その一言がどれだけ救いだっただろう。

そして「あなたが"身体が辛いから続けられない"と言うなら話を聞くけれど、そうでなくこちら側の事を考えての事であれば、会社として答えはNOです。」と。

健康が当たり前だった私にとって突然現れた病はその時の私を色んなものでガジガジにぐるぐる巻いていたけれど、たぶんこの時の事がキッカケで、仕事や会社というものに対する自分で自分を縛っていた「思い」を目の当たりにしたんだろうなーと思う。

そっか、指一本でもパソコンは打てるのか。

何より、「それでも「あなた」と仕事がしたい」と言って頂き、ありがたさ以外のなにものもなかった。



結局帰りもテクテク歩いて、沢山たくさん歩いた日だった。

で、「こんなに歩けるようになったんだ」と気付いて驚く(笑)。
翌日反動出るかしらと思ったけれど、ふつうの軽い筋肉痛らしきものだけで特になく。

なんだ、歩けるじゃん。体力もついてきてるじゃん。「あそこまで歩くのは無理そう」と勝手に決めてただけじゃん。

その方と久しぶりに会うことで、また自分で勝手に「無理~」とラインを引いていたらしい何だかんだに気付かせてもらったみたい。ありがたい。



肉体が直接感じ取った痛みなどに一緒に紐付いた「思い込み」は、やはりゆっくりゆっくり身体の回復と共に外されていくのだなーと感じます。

頭でいくら「もう私は大丈夫!」と思い込んでもダメで(笑)。そもそも思い込んだら、思い込みのダブルになっちゃいますから。

「もう大丈夫」と感覚(意識)がなった後、肉体は「大丈夫」に変わっていきます。そこはやはり物理的に「思ったから直ぐにその場で変わる」なんて事は(今の時点では)ないのです。

ただ、意識の向け方が変われば、その瞬間細胞レベルで変わりますから、身体の変化スピードも速いです。筋肉が1日ではつかないように、物理的身体の理には沿いますが。

そして肉体も大丈夫になっているのに、いざそうしようとすると出てくるのが「以前痛かったときの思い込み、身体としての記憶」です。
もうこれは身体が無意識にそう反応します。「出来ない」と。

でも、今回の私のように、身体の準備が整ったならば、ちゃんとそのような状況が訪れるようです。
「出来るんだからやってみなさーい」と。

もちろんそんなの試そうと思ってそうしたわけではなく、でも何となく大丈夫そうだよなー、歩いてみたいなーとかの楽しげな思いの方が強かっただけです。

で、実際出来ると身体が「大丈夫じゃん!」と安心します。

こんな感じで、肉体直の過去の記憶は、「無理」「出来ない」の思い込みを頭レベルで外し、行動の時にまた出てくるのでそれも「大丈夫」に変わっていく、という感じみたいです。

自分の身体で実験中のようなものでもあるし、人それぞれ感覚は違うので病などに対しては簡単に「大丈夫ですよー」とは言いにくい所もありますが、でも仕組みとしての理は同じなので、先ずは自分の意識がどこに向いてるかだよなーと改めて(身をもって)感じます。

そして、意識がかわれば、肉体も変わる、と信じてますし確信しています。
ありがたいことにこの身体になったお陰で、それも実体感出来るわけです(笑)。
何が幸いするか、ほんとに分かりません。

思いもよらない
過去 の訪れが

いま のわたしに

「大丈夫だよー」を
プレゼントしてくれました

いま は

いつでも

大丈夫です


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kitoma
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