それがすべてではないのかもしれない
確かにその人はあなたに
ひどい事をしたかもしれない
悲しませたかもしれない
けれど 知っておいて欲しいのは
それがその人の全てではない
ということ
そういう面もある という観方
渦中はどうしても
それが全てになってしまい
その人もそれでしかみれなくなるけど
それは 仕方のないことだけど
けれど
その面だけがその人ではない ということも
どこかにちょっと残しておいて欲しい
それによってその人を肯定せよとか
認めなさいとか
そんな事言っているのではなく
ましてや
あなたがワルイと言う訳でも勿論なく
ただ
人というものは
ある1面だけで成り立つ人なんて居ない
という事実は あるでしょう?
どこかの面が強調されるはあるにしても
それだけしかない ってことはないでしょう?
だからその人にも良い所があるんだよ なんて
そんな事を言っているのでもなくて
それが全てではない という事を
知っておいてもらいたいかな と
ちょっと思ったりしてる
その時その場でのその人は
そういう面が前面に出ている状態だった
それは 間違いない
けれど
そうでない時もある だろうし
人は変わるものだから
例えばあなたの記憶の中のその人が
そういう面で残っていたとしても
今のその人が同じだとは限らない
例えば時間を置いて会ったとして
自分の中にある記憶を引っ張り出して
この人はこういう人 というタグ付き視点で
その人と会うだろうし
その人を見てしまうだろうけど
果たしてそうなんだろうか
目の前にいるこの人は
自分の記憶の視点から見えてるのと
同じなのだろうか
というような揺らげるスペースを
残しておくと
そうでないかもしれない
という可能性の光が佇むことが出来るから
あなたがその人に対して
この人はこういう人だから と
固定してしまうという事は
あなたが自分に対して
自分はこういう人間だから と
固定してしまう事に繋がっているから
今その人を許せなくても仕方なくても
それを固定してしまうということは
あなた自身のその部分を固定してしまうから
それは その人に対してではなく
あなた自身に もったいないこと
これを逆にしてみれば
そう とらえることが出来るのであれば
あなたが自分自身の固定を
掴み固めてしまっているものを
緩め弱め手放し流してしまえば
それは その人への観方も
変えることになるでしょう?
変えられるのは
あなた自身だけでしょう?
その人の存在があったことで
あなたはその面を観ることが出来て
そして
自分の中の
可能性というものに
気付く事ができた とも
そういう観方も
出来るよね