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自由意志というものがあるならば

東京は今日30度超えの真夏日。例年より12日早いとかで、そう、感覚的にもだいたい半月くらいずつ季節が前倒しに訪れ始めていたから、ああそうなんだーとなっている。

ベランダの植物たちへの水やりも、調べて載っている通りにやるとなんか合わない。去年とも違う。”乾燥気味に”と書かれているけどなーんか違う。

なのでその日その都度植物の様子伺いをする。そのうちだんだん「この子は今日は水要らないな」とか分かってくる。もっと怪しい言い方をすると「まだいいよー」と伝えてくれる。
これを今日の天気予報とかを見て「今日は何度になるから」とか「何月は水やり多めと書いてあったから」とかでやっちゃうとまたちょっと違う。

こうやって日頃日常の様々なことで、直感とか感覚とかそういったものは感度を上げていくことが出来るんだと思う。



近所のお蕎麦屋さんで、いつも混んでいて行きたいけど行けてないお店があって、もうとうに諦めていたのだけど。 なんとなく不意に「行ってみようかな」となり訪れると「只今50分待ち」の看板が。。

はぁ、やっぱり駄目かあと思っていた所にご婦人がスタコラと入って行かれ。予約してたのかな?と思ったら「空いてるわよー」とご主人らしき人を手招いた。

「お?」と続いて入ってみたらカウンターなら直ぐOKとのご案内。あらー、どうやらあの看板はお昼時ピークのがそのままになっていたらしい。数年越しで入りたかったお店に入れて、食べたかったお蕎麦食べられて大満足。

私が好きなコシがあるお蕎麦も扱っているそのお店は地元の人に美味しいと評判だったのだけど、なぜか行くといつも混んでる時だったり店休だったり。地元祭りに出店されて並べは少し手前で売り切れてしまったりだったので、ご縁ないのかーと半ば諦めていた。

カウンターでお蕎麦待ちしながらボーっとしていた時、ㇷと気づく。
お客様が帰られるとき、その扉が閉まった後もほんの数秒だけどまだ見送られていて、もう一度小さな声で「ありがとうございましたー」と言われている。次の人の時も。

それが”やらされている”ではなくて、心からの「ありがとうございました」が伝わって来るので、心地よいことこの上ない。
来てくれてありがとう。食べてくれてありがとう。がその場に充満してる。
ああそうか、地元の人も通うよな~これは。と。




たぶんこれからの社会というか
お店でも何でも
そういう事なんだと思います

お蕎麦が美味しいのはもちろんなのだけど
それよりも
そこに込められている思い のようなもの
そういったものが
これからはどんどん感じられるようになるから
機械的なものやマニュアル化されたものも
もちろん需要はあるだろうけれど
そこらへんの 見抜き というか
そんなものが顕著になってくるのだろうなあと

今まで表面的には誤魔化せていたものが
誤魔化せなくなっていく



そしてそれは
自分 に対しても同じことで

自分に対して誤魔化してこれたものが
もう通用しなくなってきて
今までは見なかった事に出来たのに
もうその自分にガマンできないとか

自分と向き合いざるを得ない状況が
訪れるかもしれません

でもそれは
ちゃんと流れに乗っていて
自分の感覚感度も上がってきている
という事でもあって

そこで
今まで通りでやり過ごすか
白旗上げて向き合うか
どちらを選ぶかが
ある意味自由意志と言われる
ものなのかもしれません



選択できるのは

自分の本当の気持ちに
素直になれるか
なれないか

これだけなんじゃないかなと
最近は思ったりしています



東京は
明日も暑そうです

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kitoma
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