静と動 そして真ん中
たぶん だけれども、頭使わないで動けば動くほど、次なる展開が早く訪れて、しかもバージョンアップされてるような気がします。
頭使わない と言うのは、あれこれ捏ねくりまわしたり、詳細まで筋道立てたりそんなことはしないで、その瞬間の感覚というかヒラメキと言うか、そちらを優先させること。
それと、何かのやり取りやらでイラッとしたり気分害したりの反応をもししたのならば、速攻その場で「何に今自分は反応したんだろう?」と問い掛け、反応元をキャッチして納得したならば、また速攻その場でその起きた出来事に感謝したり、起こしてくれた誰かに感謝する。
これは、そのヤな出来事が起きたから、自分の中を揺さぶられて"気付き"に導かれたから。
その出来事や起こしてくれた誰かがいなければ、自分は気付かなかったから。
これを速攻(後で、とか寝る前に、とかじゃなくて)事が起きた後にチャチャっとやっておくと、もう「気付き」の流れに変わるから、その時点で イラッとのエネルギーから ありがとうのエネルギーに変わっちゃってる。
「後で」もよいのだけれど、それ迄の間「イラッと」が残っちゃってるから、なんか勿体無いかなーと。
で、ありがとうエネルギーに変わってるから、その後もその流れでスルスル動いていく。
そのくらい、展開も変化も早いです。
だから、もし何か凹むようなことがあっても、以前のようにずーっとそれを持っているのはちょっとモッタイナイかもです。
自分で切り替えられれば、その時点からもう別の空気感で過ごすことが出来ます。
夜まで待つとか、明日まで待つとか、寝て起きたら気分変わってるだろうからとか、「待つ」ということをしなくても、自分の意思で変えられます。
変えるのは、その時の状況ではなく、「その時の自分の在り方」です。
周りや誰かは変えられませんが、自分は自分次第でどーとでもなります。
その意思さえあれば。
そして今までは現実への反映にタイムラグがありましたが、今はとーっても早いので、自分で実感や確認が出来ると思います。
気を付けたいのが、どちらへの方向にせよ、自分が向いたほうへの後押しがポーン!と来ると言うことで。
自分の本心、真ん中の自分、それらから湧いて来たものから動き始めたはずなのに、あまりの展開の早さに、いつの間にかエゴさんの声にすり替わって動いてたーなんて事もあるかもしれません。
まーそれでも、気が付いたらその視点でまた戻ればいいことで。
一見「む?」と思うような出来事であっても、必ず後でヨキ方向へひっくり返りますから。
ああ、このためだったのか、と分かりますから。
だから、頭は使わないんです。
頭使うと、あーだこーだと文句つけてくるから。理由や成果がなければ動かなくなっちゃうから。
頭を使わないで動くと、まるで見えない歯車があるかのように、他のどこかも動きます。
その時は見えてなくても。分かってなくても。
見えないコワサ
分からないコワサ
は、エゴさんの性分です。
本来の自分では
ありません
さてこの流れ、
どーなるのでしょう
動き と 留まり
動 と 静
このバランス
自分の中の中庸
ゼロポイント
真ん中
動いて 止まって
感じてみて確かめて
また動いて 確認して
安心して また動く
自分のなかの
静 と 動 のバランス
そんなものの
確認作業かもしれません
そして
いつもそれに
いま
気付いていられるか