有能や優秀な人ほど、人の上には立たない
この度、町内会長になりました。年子育児で時間がないなか、更に押し付けられました。酷い話です。さて、で、題名の件について、気づいた事を整理しておきます。偉ぶらないとかそういう意味ではなく文字通り、組織的な上の階級を目指さないということですね。
実務と、管理と雑多な仕事
活動や仕事やそういう生産的な作業は、2つの性質に分類できます。実際に手を動かす実務と、実務がうまく回るようにとか、その段取りをしたりするのが管理です。
例えば、ケーキを作る職人がいます。一方で、材料を手配したり、その他の職人と作業の時間の調整をしたりなんかを管理する店長がいたりします。全ての仕事は規模が大きくなるにつれ、こうして細分化と階層化されていきます。
実務を突き進めれば、現場の専門的な知識や実務力が身に付きます。管理を突き進めれば、責任や権限や判断、決定力があがります。しかし、調整や雑用といったそれだけでは専門性が高いとはいえない雑多な仕事も増えていきます。
有能な人ほど、人の上には立たない
なにをもって有能とか優秀とするかは定義がわかれることてしょう。ただ私見でいえば、合理的思考力、論理的思考力、目的達成力、効率化、高い好奇心。といった特徴があると思います。
言い換えるならば、自分が何に打ち込むべきかを把握していて。そのゴールに向けてどういうことをしなければならないのかを明確に論理的に段階もってイメージしているということです。なので、足しにならないことはしたがりません。
やる気のない人が、なんか面倒臭いから~と断るのと表面だけ見れば区別はつきませんが、有能な人はそれを引き受けでも、プラスにならないから(雑用だから)やりたくない。面倒事だと判断します。その役に選ばれなかった後で、面倒臭いといってた人がどういう行動をとるかで有能か無能か判断できるかもしれないですね。遊んでばかりいれば無能で、一心にその人のやりたい事(生産的な何か)に取り組んでいれば有能です。
旨み組織と雑用組織と信念組織
社会に溢れる組織は3分類できると思います。
・旨み組織(大企業や中小企業の一般的会)
・雑用組織(町内会とか子供会等々)
・信念組織(ベンチャー企業、提唱者がトップの組織)
どの組織でも実務と管理がついてまわります。本質は一緒です。違いを分けるのは、管理の側を突き進むことへの動機付けの差です。旨み組織では、出世することが誰彼にうまい汁をすわせるから出世したがるとなります。給料があがるでもいいてすし。権限が増えて仕事が楽になる。実務のあくせくから離れて疲労が減る等々。(責任に伴うストレスはあがるかもしれません。)
雑用組織では、上に行っても余計に雑用が増えるだけです。ただし、名誉、社会的立場、人の上にたっているという実感や喜び。責任感に自己陶酔。多数の人が自分の話を静聴してくれる喜び等々。俗っぽい心理作用をみたしてはくれるかもしれません。
信念組織は、ベンチャー企業とか同じ夢を持った人同志が作った組織の場合です。上に上がることは、夢の実現や達成への貢献度合や責任が増えることで、すなわち夢が叶っていく充実感を得られます。調整や雑用に見えることでもその人にとっては夢に近づく手段なので、意欲的に取り組めます。
組織を登りつめる人と有能な人
これまでの説明を踏まえれば、有能である人は、人の上に立たないが理解できたかと思います。上に立つほど雑用やらのその人のゴールとは違うことがが増えます。お金や名誉やらで人を上に立たせようとする力が働きますが、有能な人はそんなゴールに近づかないものに価値を見出さずに敬遠するというわけです。
例外的に、どうしてもお金が必要で出世するしかその道がないという場合には、雑用が増えても出世を選ぶ可能性は0ではないでしょう。しかし、おそらく副業や投資等、もっと個人の興味関心に合致していたり時間効率が良い方法は溢れているので、ほぼほぼないと思います。
唯一いるとすれば、一部ベンチャー企業等で、ある夢のために理想を追いかけているパターンでしょう。雑用やらの煩雑さも苦にならない!という場合は有能でも人の上に立つはそこそこあり得ると思います。
言い換えるならば、有能な人は、既存の組織にいくべきではなく、志や理想や夢に共感できる少数ベンチャーで働くか。あるいは、自分で起業した方が(成功失敗は不明だが)、自分の信念に沿った行動ができて幸福なわけです。アメリカだと優秀な学生程、学生ベンチャー企業を作るとかいう実態なのはまさにその通りな証左でしょう。
逆に言えば、上に立つ人は、そこそこ無能なわけです。正確に言えば、能力で選ばれたわけではないということです。では何が何故選ばれるのでしょうか。上の説明の通りになりますが……
旨み組織では、人から嫌われず敵を作らない人。旨みを理解して、誰彼に個の旨みをそこそこに提供できる人(おべんちゃら、世渡り上手)となります。他の人より美味しい立場につくので、本来なら反対反感があるはずですが、みんながそれを受け入れられる人という存在なわけです。その背景として、好感度であったり損得関係であの人の方がまだまし!という選択が働く人というわけです。選挙で当選する議員さんも同じ構図ですね。国の大事な決め事なのに、そんな力学で動いています。
雑用組織では、名誉欲かお人好し性質のどちらかとなります。校長の挨拶が長すぎて人が倒れるみたいな都市伝説は、この名誉欲派閥の人の話ですね。有能ならば必要なことを的確に簡潔に伝えられるので、そもそも話が長くなりません。自分の話を多数が聞いてくれているウッハー!で暴走した結果です。あるいは、やむにやまれず誰もやりたがらないから仕方なく引き受けたな人が組織の上にたつことになります。
さて、どちらの組織も絶望的ですね。旨み組織でいう、敵を作らないと言えば聞こえはいいですが、言い換えれば日和見主義です。大事なことを決められない必要なことを決められない組織になります。本質は誰にでも優しい気配りできるではなく、優柔不断でしかなかったわけです。一方、雑用組織も、自分の名誉に固執して、大事なことを隠蔽するようなことが横行したり。引き受けているだけだから!と無責任&前年踏襲の繰り返しで、中身と実態がずれて形骸化していく流れとなります。
おわりに
昔も似たような話を書いてました。焼き増し記事かもしれません。そして、昔の方が、良い記事かもしれません。ちょっと複雑で迂遠な物言いをしていますが……。
・優秀な人や有能な人に頑張ってもらえる組織体系(雑用極力なし)や、人材登用(ジョブ型昇進?やることが明確)の形に変える。
・自然状態だとこういう無能が選ばれることを全員が理解して、もう少しましな意志理性の力で人を選ぶようにする。できる人にお願いするようにする。
という2つの方法で、この絶望的で普遍的な組織の腐敗化は、回避できるかもしれません。
そもそも、昇進=管理職=給与上昇=なんか偉い良い事!という構図が理論的にはおかしな話な気がします。いや、おかしくはないですね。なるべくしてなってますね。笑 上記の通り、そういう上にたって旨みを吸いたい奴が、上に立った時、少しずつ、”人に嫌われない程度”に旨みをもっと吸おうと変え続けた結果が、今な訳ですからね。上に立とうとする奴が有利で優位な社会に少しずつ変えられてきた結果な訳です。
CEOや役員が平社員の10倍以上の賃金を貰っているみたいな話もおかしな話ですよね。それも上の通りで、そう植え付けられて承認しているだけです。
まとまっているか、少し不明ですが、そんな話でした。町内会長なんてやってられないですが、少しでもそこで得た経験を前向きに糧にしたいと思います。