想像していなかった未来というお題の辛さ(構造的欠陥)
気まぐれにコンテストに参加する文章を書こうと思う。このお題を見た時の辛さ(構造的欠陥)から入りたい。
コップの水の話に近い
コップの水が半分入っている時、もう半分しかないと思うか、まだ半分もあると思うかという有名な話がある。夏休みに置き換えてもらって、もう半分も過ぎちゃったとしてもいいし。人生に置き換えてもらって、まだ3,40代だと置き換えてもらってもいい。
要は、人間には楽観主義者と悲観主義者がいるということだ。
前者は、良かった探しをして、物事の良いところを過大評価してみようとする。本質はさておき、良い事ばかり見るのだから人生happyだ。後者は、良いところも悪いところも真摯に受け止め、良いことを過小評価して、悪いことを過大評価する。結果として、中立的立場で見ることができるか、あるいは悪い寄りの立場で見て悲しみや後悔にくれ不幸にさいなまれる。極一部には、その悪いに注目する見方を貫き、悪いを見つけられるからこそ悪いを改善指摘できると、反転?一周?して、悲観主義者だけどポジティブな人もいる。
お題に対しての解答パターン
さて、何がいいたいかと言うと、このお題に対して書かれる文章はつまり以下のパターンに陥るということだ。そのパターンはどれも惨めでしかない。
1、楽観主義者による、因果関係や再現性の薄い、私happyの自己肯定の四方山話。
2、悲観主義者による、人生の後悔や失敗の選択の暗黒話。失敗自慢。
3、人生のどん底から這い上がれたという、お涙頂戴話。傷の舐め合い話。
楽観主義者の文章は、まぁどれも酷いものだろう。あれをしたから宝くじに当たったレベルの、因果関係や再現性のない話が繰り広げられることとなるからだ。あれをしたから妻と結婚できたとか。まぁなんでもいいのだが、それっぽいけれど、よく考えると、それお前だからできただけじゃん!というあれが良いから、結果も良い的な小泉構文の様相を呈すると思う。多少の誤差はあれども。つまり、ドラマ物語としての、劇的さやスリルやスケールを競うだけの文章が並ぶこととなる。
悲観主義者の文章は、まぁどれも物悲しいことだろう。あれがなければもう少しましだったとか。自分の人生における選択の失敗を、後輩に伝えたい!として書かれるもので溢れることになる。転ばぬ先の杖として、中には誰かの心を打つものはあるかもしれないが、アンハッピーエンドの物語が万人に支持されるとは思えない。失敗自慢の文章が並ぶことになる。哀しすぎる。
最後は、もう少し俯瞰的に物事を観れる悲観主義者の人が、人生のマイナスとプラスの波をうまい事分析して、マイナスからプラスになった波を切り抜いて語るパターンだろう。こんなに若い時苦労したけど、今は幸せにやっていますという話だ。これは、ハッピーエンドだし、同じ境遇にいる人の救いになるので、一番マシな文章だが、よくみると楽観主義者のソレ(実は大して中身のない)のケースも散見されるだろう。まぁお涙頂戴話だ。
そもそも想像していなかった未来などない
斜に構えた文章にみえたかもしれない。私も悲観主義者なので、まぁこんな風に考えるわけだ。
さて、じゃあなんでこんなおかしな状況になっているかといえば、小見出しの通りで、そもそも想像していなかった未来などない からである。前提が誤っていれば、その後の結論や展開も当然しっくりくるものにはならない。無理難題には、一休さんのようにトンチで返して、ちょい笑いをもらうしかできないのである。本質的ななにかはそこにはない。
人生にあるのは、
1、現在である今の状況、ステータス
2、今の自分を前に動かす、ちょっとした目標としての未来
3、今の自分から振り返った過去
繰り返すが、そもそも想像していなかった未来などない。言い換えるならば、人間の頭はそんなに賢くはない。だから、長い時間軸での未来の話なぞ書けないということだ。未来ではなく、今の自分を見つめることか。あるいは、未来ではなく、目の前の今の自分が次に進む目の前のマスを考えることか。どちらも未来の話ではないから、お題に対して書くことはできない。
なので、遠い未来の”今”から、勝手な因果関係を見出して、プラスかマイナスの軸で、それっぽく過去を語る事しかできないということだ。上述の通り、アタリは稀に起きるので、参考になる場合もあるかもしれないが、大概は※個人の感想ですで終わる話だ。
つまり、自分の人生に限った場合、あるいは主観的な体験経験ベースの話の場合、遠い未来みたいな長い時間軸の問は、回答も悲惨な実りのないものになるのは初めから決まっていることなのだ。
おわりに
正しい問いができれば、9割は答えができているという言葉が好きだ。
お酒って何?と小学生に聞かれれば、アルコールだよとか。飲めば酔うものだよと答えてしまうかもしれない。疑うことや再検討を知らない小学生は、なんかしっくりこないけど、まぁそれでいいのかと興味の種は途絶えてしまう。
しかし、その子が本当に気になったのは、お酒ってどうやって造るの?どうして作れるの?なんであるの?の場合がほとんどだと思う。発酵や腐敗や細菌学をわかりやすく教えてあげる必要があるのだ。あるいは宗教学(トランス状態と祭事)でもいいし。アヘンや麻酔と絡めて医学的見地で語ってもいいし。娯楽の必要性における文化人類学的な話でもいいだろう。どんな文脈でも語れる。
というわけで、大事なのは問であり、お題として、やる前から終わってるなぁと思ったと、そういう斜に構えた人間の記事でした。