少子化対策って、離島みたいなもんか、子供を誰かのお金の力で生んじゃおうよって話よね
子供が増えることは、単純に必ず良いことじゃない。社会として考えると、とある離島みたいなものだ。あるいは個人目線ならば、人の金の力で子供産んじゃおっかという話だ。
離島に例えると
離島には10人がすんでいた。それが人口増で100になると、飲み食いも10倍になるが、できることは10倍以上になる。効率化される部分もあるからだ。50人でみんなの食料を調達できれば、残りの50人は、家や建物を作ったり、橋作ったりもできる。人口増で生活基盤経済や経済の規模が増えるおかげで、できること身の回りのものが豊かで快適になる。
ただし人口増(少子化対策)が成功するには、4つの条件を必要とする。
1、人口増に耐えうる、使用可能な資源や働き口らが十分にある。
2、増えた分のコスト以上に、効率的効果的生産がなければならない。
3、増えた分で得られた収益収穫物が100人のなかで循環まわらないといけない。
4、増えた分の収益収穫物が、外に出て帰ってこないではいけない。なので内だけで完結させるか。極力外に出さないか、外に出す以上外から稼がないといけない。
耕す畑なんか30人分しかないよ。この離島で100人の食料なんて作れないよとなれば、増えた分だけ食料の奪い合いになる。
増えた90人が生活保護で働きません。飲み食いするだけです!!となったらその離島はたちゆかなくなる。社会に労働力やら一定の効率効果成果を落とす人物が増えないといけない。
仮に100人が食べられる収穫があっても、それを溜め込む人がいればそこで流れは止まる。企業の多すぎる内部留保しかり。個人の多すぎる貯金しかり。どんなに増やそうとしてもある点以上は増えなくなるし。あるいは、そこでとまるせいで、ひもじい思いをする人がでてきて、治安が悪くなったり、その人の創造性や自主性や生産性は低下する。
離島にはない薬や工業製品や資源やらを外や本土から買う必要がある。外にお金を使って帰ってこなければ、どんどん先細りしていくのは目に見えている。離島にある資源だけで細ぼそと暮らすように縮小均衡を図るか。はたまたは、本土から金を引っ張れる特産品や独自の技術品で外からお金を稼ぎ、それで外からのものを買うよう、輸出入を均衡させなければいけない。
社会的に見たら、天才と働きアリがほしい
国や社会にとっての少子化対策とは、つまるところ、外からの金を引っ張ったり、社会に効率化や効果的な劇的な何かを産み出す天才を作り出すことか。または、その人が消費する以上の効果効率成果を生み出してくれる、そこで暮らしてもらう働きアリを一定数以上確保したいわけだ。それにより、国力を底上げさせたいのだ。
ただし天才は簡単には生まれないので、ある程度以上に子供の母数を確保しつつ、まれな天才を早期発見、優遇して天才性を遺憾なく発揮できるような環境作りをしたいわけだ。最近ギフテット教育とか叫ばれてることには、こういう側面もあるだろう。
個人で見れば他人の金で育てような話
視点を変えて、個人目線で見る少子化対策はどうなるだろう。教育の無償化等言えば聞こえは良いが、要は税金である。ということは、最終的には、納税者(私達)が負担することになる。
例えば、100世帯の村があり、各世帯に一人で、100人の子供がいるとする。100人の子供の教育費を各世帯が100万ずつ出すのと、税金として各世帯から国なり村が、100万ずつ徴収して、無償化しましたといっても、結局出ていくお金に差はない。
無償化することで、差が出てくるパターンは、以下の通りだ。
1、子育てとは無縁世帯からも税金として徴収して教育費に当てる。
2、国やら村が借金やら肩代わりすることで支払いをより長期化することができる。
100人の子供の教育費を、子供がいない人や、子供を持つ予定のない人、子供と関係ない人、そういう人からも集めた税金でまかなえば、子育て世帯が払う分や負担はへる。まさに他人の金で生んじゃおうよという話だ。
2は、国が立て替えるようなイメージになるので、各世帯が教育期間を越えても払い続けられるようになる長期化効果や、国債等を発行して負担することができるようになる効果も生じる。
後者の国債は、要は借金なわけで将来の誰彼に負担してもらうというわけで、これも他人の金で生んじゃおうよな話だ。前者の長期化効果には、意味はあるのかもしれないが、これは別の疑問がうまれる。
そこに価値はあるのか
ながーーく分割払いができればなんと買える!家の長期35年ローンみたいなもんだ。でもそこまでしてバカ高い教育費や家を買う価値や買わなければいけないものなんだろうか。なんとか無理して伸ばして伸ばして、ようやくてに入れなきゃいけないものなのだろうか。
900万Gのバカ高い武器をてに入れるために雑魚敵を何百時間と倒し続ける。貯まった購入!でも5万Gの武器に毛がはえた程度の性能でした…。いや、でもこの形が格好良いから価値はあった。これで武器をコンプリートしたから価値はあった。と本人が納得しているならまだ良い。なので、家とか物はバカ高くてもその人の価値観で買えば良い。
でも、教育は違う。本来の教育や教育の価値とは、培った知識で、より高度な生産やら効果効率を産み出して、給料やら人生やらを豊かにするための手段なわけで、900万Gの価値に見合わない教育なら、それはどっかで水増しされているか、そこまで高いものではなくて良かったという話にならないだろうか。長期化してまでも支払うに値する教育を本当に受けられているのか受けられるのか。疑問でしかない。
終わりに
子供支援無償化というだけの人は、 子供と無縁の人や、未来に問題を肩代わり先送りにしろと迫っているだけで違うと思う。
子供が増えてその子供たちが本当に活躍できる道筋や未来(社会的な人口増成功の四条件を満たす計画や見通し)もないままに、支援支援とやりはじめても失敗する予感しかない。
一番最後に自分の思いを書いてしまっていたが、教育費が高い!支援しろではなくて、そもそもその教育に払うだけの価値があったのか。(特に大学。)教授に高い車や給料や好きな研究をさせるためだけのお金を学生から巻き上げる仕組みを維持する必要あるんかねぇと思う。
教育の効果や価値を見つめ直して、教育制度の見直しそのものを図って無駄や実像実体以上の水増しを削る方がよっぽど先に打つ手な気がする。教育費を聖域にするな!!とは、家計だけでなくて、学校経営や政府側にもそのまま言える言葉だと思う。
他には、ギフテット(天才)に天才性を発揮してもらう支援は、天才の功績が社会に還元され、結果として皆が幸福になるので、皆が負担して天才を助けることにもなんらデメリットはない。子育て支援よりも、天才支援?民間のクラウドファンディングの延長のようなものでもいいが、これも明確に先に打つ手だと思う。