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春の気まぐれ(小説メモ)

もしもし?狼谷先生久しぶり。俺だよ、俺、覚えてる?って、こんなんじゃ詐欺電話のヤクザみたいだな。大祐だ。今日俺も教師になります。

桜咲く4月8日。記憶に埋もれそうになっていた顔に疵が斜めに入る男が俺の心に戻ってきた。
「新一年生の皆さんこんにちは。私も教師としては同じ新一年生です。二年生、三年生の皆さん、私は君たちの先輩です。この春母校に教師として戻ってきました」
大祐は記憶の中でも電話でも壇上でもいつもの明るい調子だ。体育館の中はまだピンと冷えたような緊張した空気で満たしていたが、大祐のマイクなんていらねえんじゃねえかと思うほどの覇気ある声で生徒は姿勢を崩して後ろや横の同級生に話しかけはじめる。そういうアイスブレイクさせるところが良くも悪くもこいつにはある。
体育のセンセーだってさ、背たっかいなー180は余裕である?かみやんと同じくらいじゃん?顔に傷跡あるけどかっこいいじゃん担任に来ないかな、やだぜ暑苦しそう...
「誰がかみやんだ」
俺は横を向いて話す野球部生徒の坊主頭を壇上の男に向き直させる。大祐も学生時代はこういうムードメーカータイプだったな。生徒はいけねっと姿勢をわざとらしく正してひとウケ取る。そうそう、こういうとこが似ているんだよ、と思うと同時に体育館の生徒がまた少し明るさを帯びてどよめく。それにつられてなのか周りの生徒がざわついたり俺をつついたりじゃれるから収拾がつかない。おおかた大祐が何か調子のいいことでも言ったんだろう。
静かに!と教頭の言葉でまた生徒が静まる。さっさと生徒の座る場所から端に移動して話に耳を澄ますと、大祐は新任挨拶をほとんど済ませていたみたいだった。
「...生徒の皆さんとは同じ目線で物事を見て、また教師として多角的な視点も持ち先導していきたいと思っております。皆さん、これからよろしくお願いします」
でかい図体を持て余しながらも軽やかに降壇すると、校長の長くまとまりのない話が始まり、生徒は黙ると同時に気だるい雰囲気を纏っているのがその体育座りの姿勢から見える。そして視界の端には近づいてくる男。
「かみやん」
「てめえまでふざけて呼んでたら定着するだろうが、大祐」
すっかり俺と同じ目線まで背丈が伸びて、何なら少しばかり自分を追い越しているんじゃないだろうか。大祐は口角を上げながら頭を下げて、小さい声を心がけているつもりだろうか、お久しぶりですとキレよく言う言葉に、近くに立つ教師が俺達を微笑ましいと言わんばかりの顔で見ていた。俺はそいつに小さく頷いてから一つ咳払いして大祐の顔に自分の顔を寄せて小声で話す。
「...電話でも聞いたよ。久しいな。学校に戻って来たような口ぶりだが、お前は俺を追いかけてきたんだろ?」
そう言うと大祐はハッとして俺から後ずさって離れる。そいつの耳が赤いので、あの時俺が感じていたものを何も変わらず俺に向け続けているということを証明していた。
「よく言うよ、狼谷先生は...」
大祐は何かを言いかけてそれ以上何も言わなかった。ここまで俺に感づかせるものを作っておいて後は言わねえなんてそりゃねえだろ。狡いと思う。
大祐の後ろに緩く掴んでいる開いた掌に自分の中指と薬指を手首から指先に向かって滑らせるようにゆっくり撫でおろす。
「っ...」
「お前はいつもそういう癖があるな」
大祐が再び俺に顔を向けて目で何かを訴えるが、俺の手を振りほどこうとはしなかった。大きい体とさっきまでの覇気ある喋りの大祐先生はどこに行ったんだか。俺に見せるしおらしさは俺だけのものにしてしまいたい。
「...卒業式の時、俺に何か言うことがあったんじゃないのか」
大祐は頬まで顔を赤くさせて俯く。

大祐の卒業式は今よりももっと寒かったかもしれない。それでも高校の出入り口前は生徒が泣き合って別れを惜しんだり、感謝を伝えあって感情のたまり場だった。3月中旬、春の季節と言えども毎年この辺りじゃまだ咲いてなんかいない。全く祝福や寂しさを癒すなんてことは暑かったり寒かったりの春の気まぐれで心遣いを知らない。
校門すぐ横に植えられた桜の木をただ見つめる生徒がいた。大きな疵があるその横顔は、知らず知らずのうちにずっと大人っぽくなっていた。それに手繰り寄せられるようにゆっくりと歩み寄る。
狼谷先生、と呟く大祐が振り返ると詰襟のボタンが所々無かった。上からボタン、空白、空白、ボタン、空白。だいぶダサい制服になっちまったなと取り繕って笑う。
大祐は俺のそんな言葉なんかまるで無視して、熱っぽい目を俺に向ける。その悪魔的な瞳に俺はいつも悩まされるのだ。俺に一歩近づいて、口を開いた、その時生徒が俺に駈け寄る。先生アルバム裏に一言書いてよ、先生一緒に写真撮ろう、先生、先生...。女子生徒のきんきんと高い声とじゃれつくような絡みをいなしているうちに、目の前にいたはずの大祐はいなくなっていた。

「...で、あるからして...」
校長の口癖が出ると生徒はこれで5回目と横に座る生徒に教える。そんな空間とは俺と大祐はまるで関係ない。
「大祐...」
もはや大祐の手と俺の手はどちらが熱を多く持っているのかわからないほどだった。一指し指と薬指もべったりと大祐の手につけて指の間に入れ込む。
「校長先生、ありがとうございました。これにて全校集会は終了となります。...」
その合図とともに生徒はさっさと立ち上がり出口に向かって教室に戻っていく。俺も大祐から手を離そうとするとその指を掴まれた。
「今まで俺のことなんかすっかり忘れてたくせに」
大祐から出てきた言葉は予想もできない棘のあるものだった。大祐は俺の手を繋いだまま向き直る。
「...どうしてそんなこと思う」
大祐はわなわなと震えながら俺の手を2,3揉む。
「俺はひとときも忘れたことなんかない。電話だってかけようと思えばかけられるのに、それをずっとしてこなかったじゃないか」
体育館は気づけば俺と大祐の二人だけだった。
「久々に会えて嬉しいよ。だけど、俺が居なくても平気で生きられるあんたが少し憎いよ...」
「ハッ、何も知らねえで。よく多角的な視点でなんて壇上で語れるな」
大祐の歪む顔を慰めるでもなく、咄嗟に言葉が出た。
「お前が居なくても、変わらずに生活はできる」
大祐の表情がまた再び暗くなる。俺はそれにイラつくように大祐の手を自分に手繰り寄せる。
「...だが、そんな生活はつまんねえだろ。大祐、俺もお前と同じだ」
大祐の手の甲に唇を落とす。戸惑う大祐の顔をじっと見つめる。今ならもう先生と生徒というライン引きなんてしなくてもいいだろうか。禁忌として記憶の奥深くに沈める必要も無いだろうか。俺自身として大祐の前にいても誰にも裁かれない。
「...あのさ、俺の挨拶の話聞いた?」
大祐がそう口に出すが、生徒の注意で聞きそびれたのを思い出した。俺が沈黙していると、大祐は肩をすくめて続ける。
「さっきとは少し言葉が違くなるけど。...俺は一つ心残りがありながらこの学校から卒業した。ずっとその時の、つぼみがついていた校門前の桜の木を見ていたのを思い出す。今日はその桜が咲いていたから、やっと俺のこの心を晴らす時がきたんだと思ったんだ。狼谷先生......」
大祐は俺の目から視線を外さない。
「ここからは全校生徒用の挨拶とは違う言葉だ」
大祐が口をすぼめて何かを言おうとしたとき、学校スピーカーからチャイムが鳴る。
「......やっぱまた言うわ」
「おい、まだ言えるだろ、なあって」
大祐は俺から逃げるようにさっさと出口に向かって行ってしまった。なんでこう、決め切らねえのかね、あいつは...。まあいいか。いつでも聞こうと思えば聞けるんだから。
気づけば体育館は春の光が差し込んで暖かかった。これからもっと暑くなるのだろうか。もう少しこの気まぐれな季節に転がされているのも悪くないかもしれない。


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