
35歳独身が考えるコスパとタイパ
歳をとればとるほど、表面的な・不誠実な・空疎な・定式的な・紋切り型の言葉の飛びかう空間およびそれをえいえいと使用している人々に耐えられなくなってきたのです。
セネカの繰り返し言うように「自分自身のために使う時間」を確保しようとしますと、嫌なことは嫌だときっぱり言うより仕方ない。
孤独からさみしさだけを引き算できたら、そんなことをずっと考えている。孤独は好きだが、さみしさは好きではない。孤独がこわいのではなく、さみしさがこわい。もっといえば、ひとりで孤独なことがさみしくなるのがこわい。
ホットワード「孤独」について考えていると、それはつまり「自分自身の時間」そのものとか「一人の時間を大切にする」営みに通じてくると思っていて、そうなると、中島義道の言っているように「嫌なことは嫌だときっぱり言うより仕方ない」状態になってくる。
孤独、つまり自分の時間を大切にしようとすること、に対する一番の敵は他者、そして他者から自分の時間を奪われる状況。それらを回避するために、会いたくない人には会いたくないと言い、やりたくないことはやりたくないと言い、本当に大事にしたいもの・やりたいことだけを見出して全力投球する。
そうなると自ずと世間からは(そんなものがあるとしたら)面倒な人っていう位置付けになってくるし、自然な流れで孤独になる。孤独になろうとすると、どうしたって他者から距離を置かれるし、端的に言えば嫌われるのだろうな。
それは、現代風の言葉でいうと「タイパ」や「コスパ」がめっちゃ良くなる、ってことなんじゃないだろうか。
行きたくない集まりには行かないことで、その分の時間が浮く。参加費がかかるものであるならコストも浮く。行きたい場所、会いたい人、やりたいことを見極め、徹底して突き詰めていくことでタイムとコストが有効活用できる。これは究極のタイパとコスパ。
でも、その浮いたタイムとコストで、一本観終わるのに二時間かかる映画を観たり、一日に二話ずつ観ても完走するのに一週間以上はかかる韓ドラを観たり、一ヶ月かかってやっと読み通せる本を読んだりしている。これは果たしてタイパとコスパが良いって言えるのか……と、今さらながら、この言葉の取り扱い方に悩んでいるというか、そう簡単には看過できないものを感じている。
そして言ってしまえば私も、「ひとりで孤独なことがさみしくなるのがこわい」と思っているし、あの人ひとりでいるね、さみしいねかわいそうだね、と他者から思われそうな状況がなんとも虚しく、こわいのかもしれない。
いいなと思ったら応援しよう!
