見出し画像

ゲームを作っているのだが。

TRPGを作っている。

クトゥルフの呼び声をベースにしたCoCのシナリオである。資料が多い。まず、ルールブック、キーパーコンパニオン、マレウス・モンストロルム、地図の作り方、などなどなど。今はココフォリアでルームを作っているのだが、とにかくやることが多い。一個ずつ、高速でタスクを潰していかないと次から次へとタスクは現れる。例えばBGM。一つ音をつけると、なんだかさっきの音はちょっと違う気がしてくる。でも、気にしない。とにかく前へ進める。

この、前へ進めるというのが大事だ。と、本に書いてあったし桜井政博氏もそんなようなことを動画で言っていた気がする。

『桜井政博のゲームを作るには』は本当に面白かった。先日最終回を迎えたが「桜井さん全然歳取らねぇな」というのはもはや荒木飛呂彦氏が歳を取らないのと同じようなジョークであり、いつまでも若々しい姿に尊敬と畏怖の念を込めたセリフである。が、今回に関しては「マジで撮りだめられた動画で、我々が見ていたのは2年半前の桜井さん」という幻術を披露しており「これは……なんだ……」と困惑しながらも確かに手の中に残るのは桜井政博氏の知恵の結晶、ただ頬を伝う涙。という、呪術廻戦における漏瑚のラストシーンのような晴れやかさをもって"ゲームの作るには"幕を下ろした。

作り方は全部教えた。材料もそこにある。そして、試合開始のゴングはとっくの昔にやっていて、周りを見れば血で血を洗う戦いが繰り広げられていた。これは、私の立っている場所が、これまでより一段、強制的に高くなったのである。これまで作っていたものが「桜井政博のゲームを作るには」を見てから作ったものに変化した。戦い方を見せられ、戦っている人を見せられた。するとやはり「……こんな感じでいいんか?」と首をひねりながらも作業する。

とにかく、作業して完成させること。私は、昔からそれしかしていないので、とりあえず終わらせることを目標に小説を書いて、ブログを書いてエッセイを書いてきた。同じように、ゲームもエリアがもう全部出切っているのだから、それをひたすら埋めていくしか無いのだ。

そういえば、また別の話だが先日友人から「マニュアルを作るにはどこまで作ればいいか」と聞かれた。私は「そりゃ全部よ」と答えた。

マニュアルとするなら、仕事のすべてを網羅していたい。伝える伝えないはあるにせよ「ここからここの範囲内に、仕事の全ては含まれる」と指さして囲えないのならマニュアル化がそもそも不可能であると考えている。

これとこれも、あぁ、これもこれも、あぁこれも。と言って際限がないのであれば、無限に仕事があるか作成者が全体を把握できていないので、この段階においてマニュアル化は不可能である。

そういう意味で、ゲームの作り方などはマニュアル化がかなり難しい案件だと思ったのだが、もちろんマニュアルというには各々の業界ややり方への落とし込みは必要なものの「全く無駄で役に立たない回を挙げよ」と言われた場合逆に「ぐぬぬ」と唸りたくなるのもまた"ゲームを作るには"の魅力である。

ケースバイケースとか、正解はない、なんて言葉もあるが、それは前提の話である。ケースバイケースで、正解はない中で答えを出していかなきゃいけない。それを答えにするのは、会議中に突然「ペンは書くものだ」とハッとした顔で言うようなものである。それはもうみんな知ってて、じゃあペンで何しましょうよって話をしているときにそんなこと言われても「気の毒だけど、それは前提なんだわさ。そこを結論に持ってくるなら、君とはここまでだ」と言葉を告げて別れなければならない。

ゲームキーパーの言葉は、その瞬間において絶対になる。答えになってしまう言葉というのも、重いものだ。それは望むと望まないとにかかわらず、ゲームキーパーをやる以上、必要な権力であり技術なのである。そして、ゲームを作るときの答えや解釈もまた、そのゲームで遊ぶ人を巻き添えにしていく。

よくも悪くも「このゲームでは〇〇と解釈します」というのが、すべて通ってしまう。プレイヤーがそれに納得いかなかったら? その時は、二つの切り札がある。

一つが、私が冒頭に挙げた沢山の資料だ。それらは、一次情報で、ソースの元がはっきりしている。だから、それを元にしたのなら、理解はしてもらえるだろう。

さらにもう一つ、プレイヤーのやりたいことやしたいことを聞いて、ダイスを振ってもらう。チャレンジしてもらうのだ。運命に、運命をもって抗ってもらう。ダイスを振るための提案と、振った結果はプレイヤーに責任が生じる。運命を捻じ曲げるためには、代償が必要なのである。

しかしキーパーはゲームが始まると運命をどうこうすることはできないので、ただただゲームが引きずり込もうとする物語とプレイヤーの交渉を調停する人になる。そして今はさらにその手前、プレイヤーの運命を占う世界を作っている。 

しかしまぁその、作っている神的なポジションが私なので「いいのか……? いいんだよな……?」と問いかけながら作っている。一緒に世界を見てくれる友人もいるので、その友人に伝えつつ「……? 本当に?」と繰り返し首を傾げている。パーツは揃ってるし、エリアごとに仕掛けと処理を入れたし、キャラクターも出てくるし、特にそれらが無駄になる要素はないので、まぁ大丈夫だと思うのだが、動かしてみないとわからない機会を組み立てるというのはこんな気分なのだろうか。

電源を入れて電気が通るまで、ただただパーツを配置していく作業でパーツそのものが動いたりはしない。可動域の確認はするので、動くっちゃ動くのだが指先でプルプル触って「あぁ動く動く」というのと、実際にプレイしてもらうのは大きく違うはずなのだが……。一旦、ゲームを作るにはを参考にして作っているので、それで良しとしよう。

うごかなかったら、うごかなかっただ。あとは来る、友人との遊ぶ日まで、黙々と組み立てて間に合わせるしかないのである。

いいなと思ったら応援しよう!

キッチンタイマー
ここまで読んでいただいてありがとうございました。 感想なども、お待ちしています。SNSでシェアしていただけると、大変嬉しいです。