好奇心
僕は昨年10月、60歳となった。サラリーマンなら定年退職の年齢である。
ところで、うちにはテレビはないし、ネトフリやアマプラなどにも加入していないので、ニュースなど新しい情報はスマホとパソコンで、つまりインターネットで得ることが多い。この時期(今は2025年正月)、「去年最も読まれた記事」などといった特集が多いが、その中でよく見るのが「おじさん世代がITに弱くて困る」「いまだにファックス使ってる」などという記事や漫画である。いや、ホンマにそんなことあるか? あり得るか?
世にインターネットが広まったのは、Windows95が発売された1995年である。あれは革命であった。今は2025年の正月であるから、それから30年が経ったことになる。その少し前、1980年代からまずワープロが普及し始めていたことも、強調しておきたい。
繰り返すが、僕はちょうど定年を迎える年齢である。然らば、社会のおっさんたち、ITに弱くて昭和そのままで生きているように描かれるおっさんたちは、僕と同世代、ということなのだ。ということは、30年前は30歳以下、20代が大半だったことになる。つまり、企業のIT化の先端を、否が応でも走らされた世代、ということになるのだ。
勤務先の大小、体質などもよろうけれど、とにかく「ごく一部の例外」はあろうが、全体的にはITに弱いことなど既にあり得ない、そういう世代なのだが。
僕自身、タイピングは超高速ブラインドタッチである。文系人間でメカには弱いはずだが、それでも「原稿料を貰う、仕事としての執筆」は最初からワープロで、原稿用紙に手書きで仕事をしたことはない。スマホもほぼ使いこなしているつもり、である。機械に向かって一人でぶつぶつ話すのは気持ち悪いので、iPhoneの「尻」とか、「あれ臭い」などは使ったことないけどね。
それどころか、である。1937年生まれ、87歳の父も、パソコンとインターネットを駆使して今も翻訳の仕事を続けている。彼は元々超高速で英文タイプが打てるから、キーボードアレルギーがない。そしてDOSの時代からコンピューターを触っていた人だから、ITに無茶苦茶強かったのである。今はさすがに年齢的に、できないことも増えつつはあるが。
どうも30代ぐらいから下の世代が考える「おっさん」って、戦前生まれのイメージなのではなかろうか? 現実世界のおっさんは、そのような想像上のおっさんより、はるかに現代社会に適応しているのだが。
ちょっと話は変わるが、1929年生まれの母は、92歳で亡くなるまで「夫婦別姓はいつになったら実現するのかしら?」と言い、テレビに安倍晋三やハシゲ徹が出てきたら「不愉快」と即チャンネルを変える人だった。
つまり技術に限らず、思想や政治的スタンスなども、世代で切って考えることに、殆ど意味はないのだ。彼女ほど「保守的な部分」が皆無なマダムはなかなかいないだろう、そういう昭和一桁だったのだから。
戦後の生まれなのに明治憲法時代そのままの価値観、家族観、ジェンダー観を持つ北京原人みたいな現代人も少なくないのだから、世代論ほどあてにならないものはない、そう思っている。
ということで、前振りが長くなった。本題に入る。
ある詩人がいる。彼は同人誌を主宰していらっしゃるのだが、執筆陣にはなんと手書き原稿を封書で送ってくるアウストラロピテクスが少なくないんだそう。「そういう人は大正生まれなど、ものすごくご高齢の方なんですか?」と訊いたら、せいぜい70代とのこと。びっくりである。パソコン使えるけど敢えて手書きで、ではない。手書きしかできないから手書きなのだ。
先程の話になるが、Windows95は1995年である。70代ということは、その頃まだ40代だったはず。まさに社会の中堅だったのに、既に時代の変化についていけなくなっていた、そういうことにしかならない。
そういう人物についてどれだけ「いい文章を書かれるんですよ」と言われても、信じられるか? 40代で早くも世の中の変化から取り残されてしまった人間の書くもの、読んでみたいか?
何度も繰り返すけど、僕は還暦になった。長生きはするつもりだけど、それでも知力体力共に元気溌溂にバリバリ読書できるの、あと40年ぐらいしかないかもしれない。残された時間は極めて貴重なんだから、読むなら読む価値のあるものにしたい。悪いけど、その同人誌には全く何の興味も持てないのだ。
人間、幾つ何十になろうが、常にアンテナを張り巡らし、好奇心旺盛に生きている人は、年齢に関係なく魅力的だし、話していても楽しいし、書かれたものを読んでも面白い。同窓会に行って「あの頃は楽しかったなぁ」と昔話しかしない人間は、人としてもう終わっているだろう。
若くても、いまだに「長男なんだから」「うちは本家として」「家事と子育ては母の役目」など旧態依然にして因循姑息、頑迷固陋なるが故崩壊寸前な価値観の人間は、付き合いたくないし消えてほしい。好奇心も全く持っていないし、だから何の魅力もない。口もききたくない。でも、20代でもそういう価値観の人間、いるのである。
他山の石という言葉がある。還暦を迎えた今、たとえ百歳になっても好奇心を失わずにいたい、つくづくそう思う。歌人として、創作する人間に一番大切なのは好奇心である、そう信じている。