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処刑の断面

 幽霊はアリスの背後に唐突に現れた。視線をそちらに走らせるが空間がわずかに歪んでいるだけで誰もいない。だが間違いなく気配を感じた。エネルギー場を見ることができる右目が、そこに誰かのエネルギーがあることを示している。

 幽霊はゆっくりと熟成庫の中を移動し、ウィスキー熟成樽の細い隙間をすり抜け、やがて壁に染み込むようにして消えた。そんなことがこのところ何度か起こっていた。

 アリスはそのエネルギー場を過去の記録と照合してみたが、一致するものはなかった。強いて言えば夢郎のそれに似てなくはない。だが、夢郎はいまルナシティのどこかで息を潜めている。もし夢郎のエネルギー場だとすれば、それは彼の生き霊ということになるが、彼のものとは一致しない。

 熟成庫に幽霊が出ると言い始めたのは共同経営者のゲン爺だった。彼はアリスにできないこと、つまり出来上がったウィスキーの味見担当だ。そのゲン爺が熟成庫に忍び込んでこそこそ飲んでいた時に、ただならぬ気配を感じたのが始まりだった。

 普通の幽霊なら、アリスのアリスのエンジニアリング能力で対処できる。斬霊剣で執着を切り離し浄化してやることができる。ただ、この幽霊は少し他とは違っていた。エネルギー場はどこからともなく現れ、そして完全に消えてしまう。普通ならば見える見えないに関わらず、思念としてその場に存在し続ける。思念となるほどの大きなエネルギーが無から生じたり、無になったりすることはない。

 ただ、今のところ実害はない。アリスは樽から汲み取ったウィスキーのボトルを持つと熟成庫を後にした。今はバーに客が来ている。幽霊は後回しでいい。

 バーに戻ると想像通り喧嘩が起こっていた。

 ここはルナシティ唯一のバーである。政府アシストコンピューターのアテナスに見捨てられ、地球から切り離されたルナシティでは様々な物が不足している。本物のウィスキーもその一つであり、アリスが製造を始めるまでは一本のボトルも無かった。最近ようやく口にできるレベルのウィスキーを作れるようになり、バーを始めた。

 唯一のバーということもあり、様々な立場の客が来る。実質的にルナシティを支配している、ルナ解放戦線の幹部たち。彼らはウィスキーを手に入れる代わりにアリスとゲン爺の立場を保証する。

 そして彼らに対抗している勢力がアフリカの風だ。アテナス破壊を目論んでいるが、組織の実態は不明確で得体が知れない。一度ウィスルロケットを地球に打ち込もうとして失敗し、今は静かにしている。そんな彼らもまたバーの客である。

 時々、双方がバーでかちあうことがある。バーといっても、空になった樽に板を渡しただけの小さな立ち飲み場だ。すぐ脇に敵対勢力がいれば喧嘩にもなる。だからアリスは彼らに言い渡してあった。ここで揉め事を起こした人物には、今後ウィスキーは飲ませないと。

 もちろん、力づくで奪おうとすればできなくはない。だが、ルナシティでウィスキーを造れるのはアリスだけだ。良い関係を維持したほうが得る物が多いに決まっていた。

「ちょっと、揉め事は起こさない約束でしょ」

 睨み合ってた二つのグループが一斉にアリスを見た。

「ふざけやがって、いつも偉そうにするんじゃねえよ」

 若者が息巻く。アフリカの風の構成員だろう。顔を隠しているので誰だかはわからない。

「お前らが先にちょっかいをだしてきたのだろう」

 受け答えをしたのは、ルナ解放戦線の幹部でナルミだ。No.2の位置にいる男でルナを奪い取った時に部隊を指揮した男だ。百戦錬磨のせいか余裕が見られた。

「どちらが先かは関係ないわ。今日はもう店じまいするわ。そういう約束だったわよね」

「おい、ちょっとまってくれ。俺はまだ一杯も飲んでない」

 アリスは持っていたボトルを背に隠した。

「だめよ。帰って頂戴」

 アフリカの風の構成員が顔を歪めた。

 ナルミはそれみたことかと両手を上げた。

「おい、帰るぞ」

 不満顔の部下をつれてナルミが先に場を後にした。すぐにアフリカの風の構成員たちも文句を口にしながら帰っていった。

「一悶着ありそうじゃの」

 ゲン爺が入り口を見ながらつぶやいた。

「勝手にやればいいわ。外でやるなら一向に構わない。私はただここに諍いを持ち込んで欲しくないだけ」

 ゲン爺は腕を組むとただ「ううむ」と唸った。

 ほどなくしてナルミから市民全員に対して、アフリカの風構成員の情報提供を求めるアナウンスがあった。情報提供者は待遇改善がされる。そして同時に1万機の小型ドローンが捜索を開始するという。

 小型ドローンはボディカラーが真っ黒であることから「クロウ」と呼ばれた。ルナ解放戦線の基地から一万機のクロウが一斉に飛び立つとにわかにルナシティ全体に緊張が走り、人々はお互いを牽制しあうようになった。

 この時アリスにはまだ余裕があった。ルナ解放戦線の目的はバーでの喧嘩にかこつけてアフリカの風を壊滅することだろう。だとすれば夢郎の逮捕も目的の一つにちがいない。夢郎を追っているアリスとしては先をこされては困るのだが、アリスの手には昔夢郎が使っていたステッキがある。このステッキに残された残留思念を追えば夢郎にたどり着けると考えていた。

 ところが、エンジニアリングを開始して夢郎のステッキに意識を集中しても、そこには何も残されていなかった。普通長年愛用した品には僅かであるが本人のエネルギー場が残されるのだが、どういうことかステッキはきれいさっぱり何も残されていない。この時になって初めてアリスは出遅れたことを悟った。

 急遽アリスはルナシティの居住坑や工場坑同士を結ぶ坑道をかけずりまわり、夢郎を探し始めた。だが夢郎がみつからないどころか、どこへいってもクロウが飛び回っていて、それらより先に夢郎を見つけることは限りなく難しことのように思えた。

 ところが二日経っても三日経っても、夢郎はおろか構成員のひとりすら見つからない。さすがにこれにはナルミも焦りを隠せなかった。ひとりも見つからないなどということはありえない。

 そんなナルミの焦りをよそに、アリスは地道に埃まみれになりながら坑道を這い回った。そして坑道の最深部に辿り着き、先を越していたクロウが引き返していくのを見た時、アリスの足がついに止まった。

「作戦を変えなければ」

 アリスが踵を返そうとした時、行き止まりの壁ががらがらと崩れた。

 壁の穴から何者かが顔を覗かせていた。反対側から新しい坑道を掘っているらしい。ということはまだ知られていない坑道があるということになる。

「ありゃ。変なところに出ちまった」

「あなた、誰?」

 その男はひどく驚いた声を上げた。このような場所に誰かいるとは思わなかったのだろう。

「お前こそ誰だ。な、なんでこんなところにいる?」

「なぜって、人探しよ」

 男は戸惑った顔をする。言っていることが理解できないようだ。

「まさかあなた知らないの? アフリカの風構員を市民全員が探してるわ」

「その、アフリカがどうしたのか知らないが、俺には関係ないからもういくよ」

 男は崩れた穴に瓦礫を急いで積み上げて穴を埋めていく。

「ちょっと待って。あなたどこから来たの。教えて欲しいことがあるの」

 だが男はアリスの言葉を無視して穴を塞いでいく。まるでアリスに見られたこと自体失敗したと思っているようだ。手早く瓦礫を積み上げ、穴はもう半分ほど塞がっていた。

「待ってったら。あなた本当は構成員なんじゃないの?」

「何の構成員か知らないが、物騒な話は嫌いだ。俺はただ穴を掘りたいだけなんだ。もう構わないで一人にしてくれ」

 穴の向こうに掘削マシンが見える。武器はない。言っていることは本当のようだ。

 そんなやりとりをしている間に、いつ戻ってきたのかクロウが穴に飛び込んだ。

「うあわ、なんだこいつは」

「構成員発見。構成員発見。無駄な抵抗はヤメロ」

 クロウの下部からスタンガンのノズルが飛び出し男に向けられた。

「俺は関係ない。止めてくれ」

 アリスはすかさず石を拾うとクロウに投げつけた。

 クロウはそれを素早く避けたがその動作は見切っていた。第二弾、第三弾が連続的に繰り出されてクロウに当たった。地面に落ちたクロウにひときわ大きな瓦礫をぶつけ、クロウは完全に機能停止した。

「何だよこいつ。ともかく助かった。ありがとう」

「いいえ。いいのよ。それよりいままでどこかで乳児を見たりしてないかしら」

 夢郎は一から人生をやり直すため乳児に意識転送していた。

「乳児? なんで乳児がこんな穴にいるんだい?」

「いえ。見ていないならいいの。こいう穴はたくさんあるの?」

「さあ、俺はなるべく人に会わないようにしてるから。他にも街から離れて穴の中で暮らしている人はいると思うけど、ほとんど会ったことがない。そろそろ行ってもいいかな」

「ごめんなさい。私はアリス。あなたは?」

 男はあまり言いたくなさそうな顔で「モーキーだ」とだけ答えた。

「モーキー。もし、何か変わったことがあったら知らせてほしい。ウィスキーを一杯おごるから訪ねて来て。ルナシティに一軒しかないバーだからすぐにわかると思う」

 モーキーの目が一瞬だけ泳いだ。だが、すぐに横を向くと、

「もう行かなきゃ。穴は塞いでおいて」

と言い残して暗がりに姿を消した。

 モーキーが立ち去った後、穴を塞ごうとしてクロウがいなくなっているのに気がついた。復活して逃げたみたいだ。まずいと思ったが遅かった。バーに戻るとアーマードポリスが待ち構えていた。

「ドローン破壊の罪であなたを逮捕します」

 アリスは連行され、地下深くの監獄に閉じ込められてしまった。これで夢郎をクロウより先に見つける道は閉ざされてしまった。

 その晩、アリスの監獄に幽霊が出た。熟成庫に出た幽霊と同じだ。幽霊はしばらく檻を挟んで廊下側に浮遊していたが、徐々にその姿をあらわにしていった。完全に姿を現した幽霊の正体を見たアリスは驚いた。夢郎だった。薄暗い地下の監獄の床に乳児が座っている。おかしな光景だ。

「久しぶりですね。アリス」

 乳児が一端に喋る姿は、中身が大人だと分かっていても気味が悪い。

「夢郎。どうやって現れたの? それともただの投影? いえ。ちゃんとエネルギー場がある。本物みたい。訳がわからないわ」

「君はこの次元しか見ていないから理解できないのです。それよりここを出たくないですか?」

「そりゃあ出たいけど、出たら真っ先にあなたを処刑するわ」

「人類に対しての罪でですか。その人類から私たちは見放されてしまった。もはやどうでもいいことではありませんか。あなたは元軍用の戦闘アンドロイドでデスライセンスを持っている。そしてウィスキー製造技術もある。そんなアンドロイドは世界で一体しかいない。仲良くやっていきたいものです」

 乳児姿の夢郎は腕を組み小首を傾げた。問いかけの仕草はいかにもかわいらしい。

「アンドロイドの記憶は書き変わらない。あなたの罪が消えることはないわ」

「そうですか。残念です。まあ、時間はたっぷりある。ゆっくりと説得しますよ」

 残念とばかりに首を振る。

「それより、どうやってここに現れたの? なぜ、構成員はひとりもみつからないの? ルナシティにつながっていない穴に隠れているってことかしら」

 かまをかけると夢郎の眉がぴくりと持ち上がった。

「外れです。だから次元が違うのです。アフリカの風のメンバーは思考の次元を切り替えられる。普段は別の人間として生活している。ルナ解放戦線の兵士の中にも潜んでいるが、スイッチが切り替わらない限り本人も自分がアフリカの風メンバーだとは気づかないのです。だから絶対にみつからない」

「切り替えの指示はあなたがしているのかしら」

「もちろん」

 それを聞いたアリスは袖からボタンを一つちぎると目にも止まらぬ速さで夢郎に投げつけた。

 小さなボタンひとつでも立派な武器になる。乳児姿の夢郎は避けることもできず、ボタンに額を撃ち抜かれてその場に倒れた。

 やった。ついに倒した。意識転送する暇はなかったはずだ。これで夢郎も終わりだ。

 物陰からルナ解放戦線の衛兵が一人現れた。衛兵は夢郎を初めからそうするように指示されていたかのように夢郎の遺体を抱き上げた。どこか見覚えのある仕草はバーで喧嘩をした若者の一人だった。

 若者はアリスに向き直って言った。

「こんなことしても無駄ですよ。あなたに彼は殺せない」

「夢郎は死んだわ」

「いいえ、今に解ります」

 若者は遺体を抱えて立ち去った。終わったはずなのにすっきりしなかった。

 アリスが釈放されたのは翌日だった。アリスたちの会話は全てナルミに聞かれていた。アフリカの風の情報を入手できた手柄で釈放されたという訳だ。構成員の若者は拘束されたということだが、思考のスイッチが切り替わってしまえば、何も聞き出すことはできないだろう。

 バーに戻ると育児ロボットが一台アリスを待っていた。胴部が揺籠になっているため、ずんぐりむっくりした特徴的な姿だ。中には見覚えがある乳児が座っていた。夢郎だ。

「どうして……」

「だから意味がないと言ったでしょう。それより、釈放のお祝いをしませんか。今日は私が電子ウィスキーを持って来ました」

 育児ロボットが指を一本立てると、宙にボトルが現れた。ラベルには『オールドクロウ』の文字とカラスの絵が描かれている。

「やつらを飲み干してやろうと思いましてね。いいアイデアでしょう」

 育児ロボットがグラスを二つ用意して『オールドクロウ』を注ぐ。

 アリスは黙ってグラスを受け取る。

 育児ロボットはグラスをぶつけるとそのまま自分の口に運んだ。飲んだ電子ウィスキーは夢郎にデータとして渡されるのだろう。

 アリスはグラスを一口で空にすると強い口調で聞いた。

「なぜ復活できるの?」

「復活ではない。次元が違うのです。私の父は上位次元の意識体だと言ったでしょう。私も向こうに本体がある。この姿は上位次元の断面に過ぎません。いくら断面を殺しても、上位次元の本体は死にません。本体を殺すには無限回断面を処刑しないといけない。永遠に終わりませんよ」

 アリスは説明を聞きながら拳を握りしめた。

「かならず終わらせる。終わるまで何度でも処刑するわ」

「私はあなたより随分と年上だ。その分知恵もある。簡単ではないですよ」

「アンドロイドは諦めが悪いのよ」

 そう言ってアリスは拳を育児ロボットの腹に叩きつけた。拳は銅を突き抜けて背中から飛び出した。夢郎は死んだ。今のところは。

 育児ロボットは、困ったやつだといわんばかりの視線を残し、帰っていった。

 入れ替わりでやってきたのはモーキーだった。ウィスキー目当てに情報を持って来たに違いない。

「何か分かったの?」

「それより先に、ほら」

 アリスは一杯グラスに注いでやった。

「実は、第1坑からクレーター外縁部に向かって長い坑道を掘ったという奴に会ったことがある。そいつは一年がかりで掘り続けたと言っていたが、普段から嘘ばかり言う奴だったから誰も信じてなかった」

「もしかして」

「今は第1坑自体が廃墟になっているし、多くの坑道が崩れてしまっているけど、使える坑道もたくさん残っていると思う」

「ふーん。ありがとう。調べてみる価値はありそうね」

 モーキーがそうだろうと言わんばかりに空になったグラスを押し出す。

 アリスは黙ってもういっぱい注いでやった。

「手伝ってくれるんでしょう?」

 モーキーのグラスは空になっていた。彼はしまったという顔をしていた。

          終

『オールドクロウ』はアメリカン・ケンタッキーバーボンのひとつです。ラベルには『オールドクロウ』の文字と一緒にカラスの図柄が描かれていますが、名前の「クロウ」は創業者であるジェームス・クロウからきています。カラスの図柄は後付けなのですね。ジェームス・クロウは大変有名な生産者で、現在一般的になっているバーボン製法のサワーマッシュ製法を編み出した方です。サワーマッシュ製法というのは、2度の発酵・蒸留の手順で1度目の残液を2度目に混ぜることで、雑菌を防ぎ、ゆっくりした発酵過程とすることでまろやかな味わいを実現する方法です。もともと医師だったジェームス・クロウの化学的な知識のおかげで現在のバーボンの味わいが作り出されたと言えるでしょう。

 さて今回のお話は、その『オールドクロウ』のクロウではなく、オールドの部分をヒントに創りました。年齢という部分に焦点を当てて、さらに『オールドクロウ』が名優、松田優作が愛飲したボトルという点も盛り込みました。松田優作の代表作の一つが「処刑遊戯」なのです。「処刑遊戯」に出て来る殺し屋が鳴海といいます。これらのキーワードをもとに物語を組み立てました。また、最終章として物語を締めくくるための大枠も入れているため続きがある内容となりました。疑問点は今後明らかになっていきますのでお楽しみに。


 


 

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