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父の料理の面影 #元気をもらったあの食事

「ねぇ、お父さんの料理で何が好きだった?」

10年以上前のある日、夕飯の支度を始めようかというタイミングで、母がそんなことを言ってきた。

これだけ書くと父が故人に見えてしまうかもしれないが、しっかりと今も存命。
当時の父は、南アフリカという地球の反対側に等しい遠方地へ長期の単身赴任をしていたのだ。
ちなみに私の妹も留学中だったため、四人家族のうち私と母だけで二人暮らしをしばらくしていたタイミング。

決して広くはない都内の一軒家が、随分と広々と感じたのを覚えている。

それにしても唐突に言い出したものだから、私はびっくりした。
料理ズボラの母がそんなことを言うのは、後にも先にもあの時ぐらいだろう。

驚きながらも、私の脳内には1つのメニューがすぐにぱっと浮かんできた。

「あれ! 鶏肉をネギと一緒に焼いたやつ!」

「あぁ、あれね」

私の返答に、母もすぐに頷く。

そう、それは父の「スペシャリテ」と言ってもいい得意料理。
バブル世代サラリーマンの御多分にもれず毎日仕事で忙しい中、休日に料理好きの父が作ってくれるそのメニューは、家族みんなのお気に入りだった。……いや、長い反抗期だった妹はどうだか分からないけれど。

その父がどれほど料理好きかというと――


なんと、これが6ページ続く……!

このように、単身赴任の寂しさ余ってか、南アフリカの地でお品書きを作り部下を日ごと招くほどである。

それはさておき。
すんなり答えられたは良いものの、私たちには1つ大きな問題点があった。

「……あれ、どうやって作るの?」
「いや、知らない……」

そう。
私も母も、レシピを一切知らなかったのだった。

南アフリカとの時差は7時間。
父はすでに海の向こうで仕事を始めてる時間で、直接聞くこともできない。

これは、いつもの「適当なのになんだか美味い母の謎料理」が食卓に並ぶに違いないと、私は確信した。

けれど、その日の母は一味違った。

「ま、なんとかなるでしょ。作ってみよ!」

前向きな言葉と共に、母は包丁を握るのだった。
そして、笑顔で私に言う。

「それで、だっけ?」

え? そこから?
と内心思ったが、残念なことに私の方もさっぱり覚えていなかった。

だから私も、この母の息子らしく適当に答えた。

「玉ねぎじゃない?」

そんなこんなで、母の挑戦が始まったのだった。

……まぁ、二択のことごとくを外すと評判の私なので、結果は推して知るべしだけれど。


鶏肉の……何焼き?

まな板の上へ母が並べた材料は、こちら。

  • 鶏もも肉 …1枚

  • 玉ねぎ  …半個

  • ニンニク …2欠片ほど

  • ショウガ …チューブで適当に

うん、実にシンプルである。
しかし父が作っているときもシンプルな材料だった記憶は、確かにあった。

「それで、コレをどうするんだっけ?」

「なんかとにかく沢山のネギにまみれてた気がする」

「そっか、オッケー」

何がOKかわからないけど、玉ねぎ半個はみじん切りになった。

その間に私は、フォークで皮目を滅多刺しにする。
いつも父が派手に「ドンドン」と音を鳴らしながらやっていたので、この工程は明確に覚えていたのだ。

「次は?」
「確か、鶏肉にねぎをまぶして、冷蔵庫で寝かせる」
「オッケー」

OKを連呼する母が、バットに玉ねぎを敷いて鶏肉を載せる。
そして上からもたっぷりと玉ねぎを掛けて、冷蔵庫に入れた。

……何も覚えてないじゃん、と当時の私は呆れていたが、今思えば母は息子と料理をする時間をただ楽しんでいたのかもしれない。

「あとは、ニンニクとショウガと一緒に焼いて終わり……じゃなかったかな?」
「そうだよね、それぐらい簡単だったよね」

二人で頷いて、ニンニクをすりおろす。
ニンニクはチューブを使わずすりおろす、というのも父のこだわりの一つだから。

そして10分ぐらい置いただろうか。

次はいよいよ、冷蔵庫から肉を取り出し玉ねぎを除いて、フライパンへ投入!

皮目が焼けたら鶏肉をひっくり返し、除いていた玉ねぎを全投入。
鶏肉の油と一緒に炒めていく。

ジュウジュウと音を立てる鶏肉と玉ねぎが香ばしい匂いを立て、私は勝利を確信していた。

……そんな私に、水を差す母の一言。

「味付けって、どうするんだっけ?」

なんてこった。
私も覚えていないが、こんな肝心なところが分からないなんて!

必死に父の背中と加齢臭を思い浮かべ、私は酷くおぼろげな記憶を振り絞った。

「…………醤油、だった気がする」

かくして、私の指示通り焼けた鶏肉にはショウガとニンニクと醤油が振りかけられ、母の再現料理は完成したのだった。


見た目はちゃんと美味しそうである。

だが、しかし。
一口食べた私たちは――。

「……お父さんのと、全然違うね」
「うん、そうだね……」
「でも美味しいからいいじゃん」
「まぁね」

そう。記憶の味とは全然違った。
……ただの生姜焼きになってしまっていた。

でも、母と二人で挑戦したその料理は、何とも言えない達成感にあふれ。
私たちを笑顔にする味だった。

あの時の食事の光景は、今でも鮮明に覚えている。


――あの時、母はきっと、寂しさが募っていたのだと思う。

父も母も、趣味よりも何よりも常に家族のことを優先する夫婦だった。

愛情を注ぐ対象の妹と、一緒に愛情を注ぐパートナーがいっぺんに離れていった母は、その寂しさをなんとか埋めたかったんじゃないだろうか。

だから、そんな父の姿を追う二人の料理時間は、誰よりも母に力を与えてくれたんじゃないだろうか。

再現自体は結果的に成功しなかったけれど、そう思うと私もその時間に貢献できた気がして、少し誇らしく思えてきた。

そんな私も、今や一児の父。
ニンニクしょうがの効いたあの料理は、五歳の娘にはまだ早い。

でも、いつか私が愛情を注ぐ姿を、成長した娘が同じようにふと思い出してくれたらと考えると。

今日も、家族の為に頑張ろうと思えてくるのだった。


さぁ、明日の幼稚園のお弁当は、何にしようかな!


ちなみに、正解は?

あれから1年ほどたって、父は日本に帰ってきた。
そんな父に、正解の料理をねだってみた。

快諾してくれた父がまな板に乗せたのが、こちら。

  • 鶏もも肉 …1枚

  • 長ネギ  …3/4本

  • ニンニク …2欠片ほど

  • ショウガ …チューブで適当に

うん。長ネギ以外は、結構当たっていたみたいだ。

ただ、味付けはだったし、完成したものは見た目からして全然違った。
どうやら、最後の香りづけに醤油を少しだけ垂らしていたのを、私は誤認していたらしい。

そうして、久々に食べた父のスペシャリテは、やはり美味しかった。

「ちょっとしょっぱいね」

なんて母は言っていたけれど。
その顔はあの時に負けず劣らずの、嬉しそうな笑顔だった。


このエッセイは、日清オイリオ×note 投稿コンテスト「#元気をもらったあの食事」への応募記事です。

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