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カルデラの辺りへ。


馬の目は優しかった。私の内にある誰も気がつかない深く赤い業を見透かしているような野生の視線はゆるやかな風にゆれていた。馬は笑うでも怒るでもなく平穏な表情で私から視線を逸らすと新緑が溶ける草原を歩いて行った──

高熱と頭痛と喉の痛みにボーっとしながらそんなことを思い出した。涙がこめかみを通り抜けた。特に泣きたい理由もないのに。ドクっと流れた。

コロナに罹患した。いままで手洗い嗽マスク消毒を心がけて北野感染症予防対策をしていたのに、簡単に罹患した。

母が「エアコンのせいかな?喉が痛い。」と言い出したので「もしかしてコロナとちがう?」と伝えたけれど母は「そんなわけないないないない。」とシブがき隊のNAI・NAI 16かよ、と思うくらいのNAIを連発した。相手の発言に全力否定するのはなんだかこの人らしい。

母は翌日に高熱と喉の痛みで寝込んだ。病院でPCR検査を受けると、陽性。私はその翌々日に高熱でPCR検査、陽性。

誰もコロナに罹患したくはない。だから母を責めるつもりもない。いずれは罹患するものは罹患するし、コロナが5類に移行しようがパンデミックには変わりない。

私は5日間の療養中で丸3日、ポカリスエットとバナナ半分と薬しか口にしていない。ほんとうに5日間で回復するのか自信はない。あと2日で発熱と頭痛と喉の痛みと減退した食欲が回復してくれればいいけれど。私はコロナの影響で様々な経験した。

とんでもなくまろやかなポカリスエットが喉に染みること。
バナナはこの世でいちばん甘くておいしいこと。
おっさんがぺッと痰を吐くきもちがわかるくらい痰が出ること。
高熱がキマッて眠れないこと。
冷房が点いているのに発汗がすごいこと。
ノーブラでTシャツを着ると心地いいこと。
脳みそがついていけないからテレビも本もnoteも観れない。

すべてが初体験だった。

ぼんやりしながら天井を見て、過ぎ去りし日々を「いとをかし」とか「くちおしや」とか振り返ることしかできない。

自然とざっくばらんに記憶があふれる。

すると、阿蘇山のカルデラの辺りにいた馬が私の脳みそへやってきた。そうしたら特に泣きたい理由もないのに涙がドクっと流れた。

その記憶の光景には必ず美化されたものが含まれている。そう解っていても美しかった。アナキズムに生きている馬は土から生まれた強さを知っている気がした。雑草のように強い意志は雑草を食べているからそうなるのか、わからないけれど。ただ、凛とした生命力はとてもカッコよかった。

死んじまいたい、と思っていたときに阿蘇山へ行った。カルデラへ行くとあの馬がいた。すべてがゆるやかに風がゆれて、空も空気も土も草も鳥も馬も、それぞれの音を好き勝手に出しながらすべてが和音でつながっていた。

もうすこし生きたいかも。

カルデラの辺りでそう思った。

そのときは頼りない意志だったかもしれない。けれど、なんとかいままで意志を貫いて生きてきた。だからコロナでは死ねない。

私は階下へ向かいアイスクリームを手に取りすぐさま袋を開けて齧った。自分の歯型がついたアイスクリームを見ながら咀嚼した。冷たかった。嚥下痛を癒しながら胃へ落ちた。そして、ふたつみっつ齧ると、これならまだ死なないから大丈夫、と切実に感じた。

いま、カルデラの辺りに立っている気分。悪くない。ふふふ。








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