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謡の先生が見つかる

やっと、やっと、謡を習える!

過去にnoteで「謡を習いたい」とか「習えるところが見つからない」とか書いていないので、これを読んでいる人は「何が"やっと"なんだよ、知らないよ」としか思わないだろうが、習う気は満々なのに先生も稽古場もカルチャースクールの講座も見つからない時期を悶々と過ごした私にとって、ここまで来るのには時間がかかった。

個人の金銭的な事情を別にすれば、都会なら大体のことを習える環境が整っているだろうけれど、私の住む市は全然違う。能が根付いていた過去もゆかりもない土地だし(北海道)。

私がなぜ謡を習いたいと思ったか。というか、なぜ能に興味を持ったかというと、通信制大学の授業がきっかけだった。レポートのテーマに能を取り上げ、能の本を読んだり、実際に観に行くようになった。

はじめに観たのが薪能だったためか、眠くはならなかった。でも、何と謡っているのかわからない。あらすじを予習して行けば「ここは多分こんな場面で、こんなことを言っていたはず」くらいはわかるけれど、謡を習わずに自力で理解するのは困難だと悟った。

能を観て思ったのは、能には、これまでに自分が触れてきた演劇や芸能とは全く違う何かがあるということ(多分)。面白さがあるということ(多分)。そしてそれは、すぐにはわからないのだということ(多分)。時間をかけて知っていくしかないのだろう。それだけは、何もわからないなりにも感じられる。

たまに旅行に行って、一年に数回の観能の機会を作っただけでは、何年経っても能がわからないままに違いない。それが嫌なら、できるだけ早く謡や仕舞のお稽古をはじめるべきだ。

そうしてお稽古場を探し始めたものの、私が通えるお稽古場が見つからない。能楽協会のホームページで検索して表示されるお稽古場には、どんなに近くても、私が住んでいる地域から片道2時間はかかる。

私が通いやすいお稽古場は本当にないのか。諦めきれずに探していたら、地元の能楽関係団体らしきものを見つけ、代表の方の連絡先を教えてもらい、今回教えて頂けることになった先生にようやく出会えた。

和の習い事は書道しか経験がない。芸能の習い事は初めて。世代が違う先生とは、おそらく常識が異なるだろうし、私が無知なために先生に対して無礼な振る舞いをすることがあるのではないかと、少し心配している。せっかく先生に出会えて、私のような者にも教えてくださるのだから、尊敬の気持ちを忘れずに、努力しながら習い続けたいというのが、今の気持ちである。

がんばりたい。


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