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掛軸 十一幅目から十五幅目
十一幅目 山色清浄身
蘇東坡(そとうば)の句に
溪聲便是廣長舌 (けいせいすなわちこれこうちょうぜつ)
山色豈非清淨身
「さんしょくあにせいじょうしんあらざらんや)
夜來八萬四千偈 (やらいはちまんよんせんげ)
他日如何舉似人
(たじついかんかひとにこじせん)
とあります。
渓川のせせらぎからも説法の声が聞こえてくる。
山肌の彩りは清らかな仏の身体の姿である。
夜どうし八万四千の経を唱える続けている。
この心境を後日人に伝えることができるのだろうか。
という解釈です。
山色清浄身
山のたたずまいは、清浄な仏の身そのもである。
自然から教えられることは沢山あります。
谷、川、山、木々は無情であり、決して人の心があるはずないのです。
いまの季節に合う言葉ではなく、いまの私達に厳しく問いかける言葉ですね。
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「山色清浄身」
十二幅目 瀧 直下三千丈
瀧が勢いよく直下に流れる距離は、三千丈あるという解釈です。
唐の詩人李白の詩「廬山の瀑布を望む」に
「飛流直ちに下る三千尺、疑うらくは、是れ銀河の九天より落つるかと。」
とあります。
水は形が無く、どのような形にも対応し、低きについて先を争わず、岩石を砕く力を持ち、すべての生物の生命力となる。
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十三幅目 水是水山是山
山は山であり
水は水である
山には山の良さがあり
水には水の良さがあり
と、捉える解釈もあれば
万人、万物みなこれ平等無差別である
と、捉える解釈もある。
美しいものは美しい。
醜いものは醜い。
善いものは善い。
悪いものは悪い。。。 本物は本物。
偽物は偽物。
疑問は疑問。
真実は真実。。。
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「水是水山是山」
十四幅目 雨後青山青転青
雨のあと、山の青さがいつにも増して鮮やかに青く見える。
厳しく辛い妄想や執着がすべて消え、後の爽快な心境です。
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「雨後青山青転青」
十五幅目 行雲流水
行く雲、流れる水。
その姿を頭に浮かべる事ができると思います。
行雲流水のように。
自由気ままに行け、というニュアンスですね。
しかし、厳しく問いかける事もあります。
雲は同じ表情を見せずに行き、水は断ち切られることなく流れる。そして、向かう行先に必ず進む。
あなたは何をしている?止まっているだろ。
世の中は、無常に進んでいる。無情かもしれませんね。厳しい問いかけです。
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「行雲流水」