町田で1人起業したデザイナーが渋谷の一等地にシェアオフィスを作るまでの道のり②
7畳の納戸へ
2011年4月 起業してちょうど1年経った頃。妻の親戚の方から、数駅離れた場所に別宅をもっていて、納戸なら無償で仕事に使ってもらって良いですよ。とお話いただきます。納戸は7畳もあり、オフィスとして十分に使える広さでした。
ご厚意に甘えまくった僕は、即、床を自分好みに貼り替えるプチリフォームを決行。さらに、近くのホームセンターで激安のメタルラックと木材を買ってきて、作業用デスクを自作しました。
6畳の一室から7畳の納戸へ。
わらしべ長者のごとく、新たなオフィスの完成です。
若造 Connecting The Dots を語る
すこしだけ日を遡り、起業後まもなくの話。古巣の職場の先輩から「国の教育訓練制度 短期講座の講師のバイトをしてみないか?」とお誘いを受けます。断る理由があるわけもないので、すぐさま快諾。複数名の講師チームに混じり、お受けする事になりました。
はじめは、気軽に考えていたものの、人に教えるという事は、物事を知っているだけではダメで、いろいろな角度からの意見や質問をも想定しつつ、教える側に、深い理解が求められる、とても大変な仕事だと実感しました。
講義の前夜は入念な準備。範囲の確認、資料のまとめ、課題の予習や宿題の採点など。深夜におよび、せっせと支度をしていました。
最終日。生徒のみなさんとの懇親会で、僕から話した送る言葉のテーマが「Connecting The Dots」でした。
ジョブズが、2005年のスタンフォード大学の卒業式で語った「人生に無駄はない。振り返ったときの経験が実を結ぶ。」その話をしたのです。教育訓練制度という特性上、生徒の中には、僕より人生の大先輩もいらっしゃいます。そのみなさんを目の前にして。人生訓を語る。。。若造。汗
不満からのモチベーション
2011年夏頃 取引先も増えて、数日おきに都心まで移動をしていました。そんな状況から「都心にオフィスがあった方が便利かな。」と考えはじめます。ただ、いきなり一人で物件を借りるのはリスクがあるし。。。たどり着いたのが、レンタルオフィスを借りて利用する事でした。
納得するレンタルオフィスを探すために、何か所もハシゴして内見をしましたが、僕が借りれる規模のレンタルオフィスといえば、狭く無人の受付や、ギュウギュウに詰め込まれた個室タイプばかり。
もはや、現実はこんなものかと自宅に戻ると、不満は、次第にモチベーションに変わっていきました。無いものは創ったらよいのでは?と、いつしか「理想のオフィス」を妄想しはじめます。
コワーキングと六角形のアイデア
ある日、教育訓練制度の講師チームでご一緒だった方との何気ない会話から、海外のオフィスのトレンドについて教えてもらいます。オフィスの付加価値として協業やコミュニティ形成に重きを置く「コワーキング」というものでした。
当時、海外で流行となっていたコワーキングは、図書館のように机と椅子を並べた簡易的なものでした。この「開かれたスペース」は、コミュニケーションをとるためには理想的ですが、僕のようなデザイン系の人間には、集中するための「閉じたスペース」も必要だと感じ、コワーキングとレンタルオフィスの利点を取り入れたコンセプトを考えていきます。
交流会などで知り合いになった仲間に声をかけ、賛同者が数名集まったところで、どんどん深まる妄想。仕事柄も相まって、作図や実寸大ブースの試作もしていました。
座った人が手を伸ばせる範囲を最小限に考えて、ハニカム構造と呼ばれる合理的な六角形を採用。形は語源(honeycomb)の通り、蜂の巣などを想起させ、集合体のモチーフにも最適となりました。
内見→作図→内見→作図の繰り返し
これらアイデアをまとめつつ、物件探しのための条件を決めます。
交通、アスセスの良さ
駅から約500m圏内、限界は徒歩5分
想定する利用層が多くいそうなエリア
しばらくの店舗の運営を考えて、自宅から通いやすいエリア
フロア面積は20坪〜45坪が良さげ(これ以上はさすがにビビる)
リーマンショックの爪痕が残る2011年。いまでは考えられないほどに、不動産価格が下落。今のほぼ半値ちかくで借りれる物件が山ほどありました。決めた条件から、渋谷を起点に、表参道や青山方面など、内見しては図面を描いて、内見しては図面を描いての繰り返し。
集めた物件のチラシ(マイソク)を睨みつつ、簡単な収支計画を立てて、妻に無謀な夢を語っては、リアクションを見て、我にかえるのでした。苦笑
川原ビルとの出会い
2011年年末 内見コースも二週目に差し掛かったくらいの、ある日。目に留まったのが「川原ビル」でした。決め手は、物件の選定条件すべてに当てはまり、駅から徒歩4分の好物件。そして、何より僕も含めたMac信者が足繁く通う Apple Store の並びに建つことでした。
速攻でまとめた事業計画書を持って、起業時にもお世話になった、政策金融公庫の窓口を訪ねます。数回の打ち合わせを重ね、計画書を見てくれた担当の方が提案してくれたのが、上限1,000万円の融資額でした。
いける!どんどん進む借金への道。ほんの数ヶ月前まで、リスクを避けてレンタルオフィスを借りようかと都内を巡っていた男が、なぜか1,000万円を借りようとしている。。。たぶん、高揚しきったギャンブラーって、こんな気持ちになるのかもしれません。笑
この後、公庫の融資審査が完了する間際に、事態は急展開。まさかの川原ビルには、高速インターネット(光回線)が引けない?という事実を知らされて、それと同時に、リフォームの都合で「納戸オフィス」の退去をお願いされることに。都心進出の機会から、いきなり居場所(オフィス)を失うピンチ。。。このままビルを借りるのか?いっそ自宅オフィスに戻るのか?
高揚しきったギャンブラーには、知る由もなかったんです。(つづく)
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