町田で1人起業したデザイナーが渋谷の一等地にシェアオフィスを作るまでの道のり①
6畳の一室から
2010年4月 町田市の自宅アパートの一室をオフィスとして、屋号「インクルードデザインオフィス」を創業しました。
屋号の由来は「あらゆる分野のデザインを、垣根なく手掛けたい。」そんな想いから include と名づけてます。
当時、家族3人の自宅は、ダイニングキッチンを中心に6畳の和室が取り囲む、決して広くない 3DK の間取り。僕はその南向きの一室を占領し、オフィスとしていました。看護師として、共働きの妻が勤める病院に託児所が併設されていて、幸いにも子供を預けることもできました。
家族との時間。仕事の時間。その気持ちの切り替えに正直自信があったわけではないので、仕事は、妻と子供が帰ってくるまでの時間が勝負でした。今振り返ってみても「オフィスと家は別にあった方がいい。」と強く思う派です。苦笑
ゼロから独立して、はじめに行った3つの事
全く何の伝手もなく独立した僕。逆に他人が同じことをするなら、引き止めるくらいの状況だったと思います。そんな中、優先して行った3つの事がありました。
初年度の売り上げ目標と顧客リストを制作する
情報収集と伝手を得るために商工会議所に入会
名刺、パンフレットやホームページを準備する (あえてウェブサイトとは言わないし、言えない代物w)
起業して、右も左もわからない事だらけ。
まずは目標を掲げることが大事だと考えて、根拠もなく初年度の売り上げ目標「500万円」と書き込みました。さらに、自身のモチベを保つために顧客リストを作成し、売り上げや見込み客の管理ができるようにしました。
その後、情報収集のため、町田市の商工会議所に入会。起業後のアドバイスや士業の方の紹介などもしてもらいました。まだ SNS は、mixi や Twitter はあったけど、Facebook がメジャーになっていない時代。情報や伝手を得るためには、人と接することが大事だと考えていたので、作った名刺とパンフレットを携えて、商工会議所や他に主催される交流会に毎月のように通いました。
最後はやはり重要なホームページ。ちょこちょこと自身でデザインとコーディングを行なって作りあげました。さらに、当時は被リンク型の対策が有効だった SEO を独学で学びつつ、「町田 内装デザイン」検索で上位に食い込み、愉悦に浸るのが良いストレス発散でした。笑
やねせん
ある日、そのホームページの働きで、自宅の隣駅に住む方から連絡を頂きます。内容は、民間初の観光案内所を作りたいとのこと。当時は民主党政権。国よる観光施策がなかなか的を得ない中「民間から観光を盛り上げたい。」そんな熱い、興味深い話を伺いました。
打ち合わせを重ねて、物件選定アドバイスから内装・外装デザインはもちろんのこと、企画書制作のお手伝い、ロゴデザインなど。当時、発売されて間もない iPad を使用したインフォメーションの提案。画面のデザイン、コーディング、果ては専用のiPadスタンドまでオリジナルで制作する力の入れよう。苦笑
include の名前の由来の通り、当時の自分ができること、ほぼすべてを注力しお手伝いさせていただいた思い入れ深いプロジェクトです。その思い入れが深すぎたのか、、、完成後、用事も無くちょこちょこ店舗をたずねる建築ストーカーなったのはここだけの話。笑
2011年3月11日
その後、各所の交流会でのご縁やホームページからの問い合わせを得て、仕事の数は順調に増えつつありました。
2011年3月11日 その日は、朝から工事現場にいました。都内の英会話教室の内装工事の立ち合い。工事は遅れ気味。焦る職人さんと打ち合わせしている最中に起こったのが「東日本大震災」でした。午後3時前、ドンっと突き上げた縦揺れの直後、これはヤバい!っと、職人さん達と外に出て、おおきく揺れる電柱や建物群が鮮明に記憶に残っています。
夜には、大勢の帰宅困難者が甲州街道を歩いていて、僕も、歩いて向かった新宿の近くで、先輩の設計事務所に転がり込み一夜を過ごしました。
刻刻と状況は悪化して、新宿も渋谷も真っ暗になった計画停電。数ヶ月に渡る、物流網のマヒ。なにより津波による甚大な被害と、何百年単位で議論される原発事故にまでつながる大災害になるとは、想像もしませんでした。
シェアオフィスを始めるきっかけ
この約1年後に、僕は、自身で渋谷にシェアオフィスを作るわけですが、もとを辿れば「東日本大震災」の影響があったのかも知れません。それは、カッコつけた理由ではなく、コロナも然り、未曾有の危機には社会のモラル、人の価値観が大きく変化するタイミングなんだと思います。なんだか違う気がする。っと思っていたものが、意外にいいかも?的な。。。震災で電気が絶たれて、暗さや不便を感じつつ、改めて考えさせられた人との繋がりや、コミュニケーションの大切さ。
そうです。この経験を持って、僕はこのあと1,000万円の借金を背負うことになるわけです。(つづく)
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