見出し画像

【相容れない介護と医療①】〜共通点は税金の無限ムダ遣い〜

あらかじめハッキリ断っておきますが、
整形外科医にとって「介護」は完全に専門外です。
学ぶ機会もなければ、経験する機会もありません。

さらに言ってしまえば、
整形外科という専門領域うんぬんにかかわらず、
そもそも「介護」と「医療」は近いものでさえあれ、基本的に「相容れないもの」なはずなのです。理由はあとで述べます。

でもなぜか、
整形外科診療をしていると、否応なく介護サービスに関わらされます。

そんな中で感じる「強い違和感」「大きな矛盾」を、ここらで言語化してみようと思いました。


・介護も医療も公的サービス(尋常じゃない現役世代負担)

介護と医療に投入されているお金の規模感を、以下に示します。

介護費用 11.2兆円(2022年度)

  • うち公費割合50%(下図。年度は異なります。)

https://www.mhlw.go.jp/content/000801559.pdf
  • 介護保険料負担は40歳以上 
    ※ 介護サービス対象者は65歳以上(特定疾病該当者は40歳から対象)

国民医療費 46兆円(2022年度概算)

  • うち公費割合約40%(下図。年度は異なります。)

https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/kenkou_iryou/iryouhoken/iryouhoken01/index.html
  • 保険料の内訳はおおむね以下の通り
    - 国民健康保険料:0-74歳(約2,500万人)
    - 被用者保険料:雇用者(と家族)と雇用主(約7,700万人) 
    - 後期高齢者保険料:75歳以上(約1,800万人) 

  •  医療サービス対象者は全年齢(65歳以上が国民医療費の約60%を使用)

(言うまでもないのですが、公費の財源は主に税金であり、保険料負担も含め、現役世代がいかに多くの割合を負担しているかは一目瞭然です。)

現役世代の負担が大きすぎるという主張が今回の主旨ではないので、これ以上金額の深掘りはしませんが、いずれにせよ、
「介護と医療に尋常でないお金が使われている」
ということは説明するまでもありません。

・介護と医療のヤバい共通点(逆方向のインセンティブ)

やや極論になりますが、誤解を恐れず正直に述べます。

介護の基本理念は自立支援、のはず。

人に頼らずに生活できるよう必要最低限のサポートをすること、
が介護の基本のハズです。

そのためには介護業界全体で「利用者が自立できる方向へのインセンティブ」が働く必要があります。でも実際のところはそうでもなさそうなのです。

要支援→要介護と介護度が上がると何が起きるか?

- 介護利用者は、享受できるサービスが増える(より楽をできる)
- 介護事業者は、提供できるサービスが増える(売上が増える)
- 主治医意見書を書く医師にもお金が入ります
(介護現場で働く従業員は忙しくなるだけで賃金は増えません。)
この上なく単純な構造です。
自立する方向へのインセンティブは働きません。
利用者自身が介護サービスに見合う対価全額を負担するのであれば、必ず利用を制限しますが、財源は(主に)現役世代が納める税金や保険料なので、直接的に損した気分になる人は生まれ(気づかれ)にくいのです。

これは医療も同じ。

過剰な医療行為を行えば、患者は必要以上のサービスを受けられ、医療機関も製薬会社も卸業者も薬局も医療機器メーカーも医療材料会社も検査会社も、売上が増えます。
(医療現場で働く従業員は忙しくなるだけで賃金は増えません。)
皆が健康になる方向へのインセンティブは働きません。
患者自身が医療サービスに見合う対価全額を負担するのであれば、必ず利用を制限しますが、財源は(主に)現役世代が納める税金や保険料なので、直接的に損した気分になる人は生まれ(気づかれ)にくいのです。

介護利用者や事業者、患者や医療関係者を批判しているのではありません。私自身が医師であり患者であり高齢の両親を持ち、自分もいずれは介護が必要になります。

言いたいのは、「必然的に、過剰なサービスが提供されやすい(=逆方向のインセンティブが働く)制度設計である」ということです。
介護と医療の共通点はここにあります。
結果として、
誰もが便乗して利益を得ている構図ができあがります。
介護における「サービス漬け、リハビリ(?)漬け、過剰支援」
医療における「薬漬け、注射漬け、物理療法漬け、過剰検査、過剰医療」
よほど関係者全員に制度の全体像を理解できるリテラシー歯止めを効かせる良心があれば話は別ですが、それは無理です。

こんな患者さんたちに遭遇します。

クリニックでは、
80歳代の元気な女性がスタスタ診察室へ入ってきて、
「受診して主治医意見書を書いてもらうように役所で勧められたから」
「別に痛いところもないけれど、悪く書いてくれた方が色々サービスを受けられるから…」と、
笑顔で言ってきたり。
別の80歳代の女性は、
確かに体は小さめで弱そうには見えるものの、認知症もなく生活も自立しているのだが、
「家族が強く勧めらるから、しぶしぶながら付き合いでデイケアへ行ってやりたくもない体操をしているの」と吐露されたり。

残念ながら、こんなことがしょっちゅうあります。

・介護と医療は相容れない(介護と医療は同居したらいけない)

「介護と医療は相容れるものでない」

原点に帰ります。
タイトルにも書きましたが、
「介護と医療は相容れるものでない」と私は考えています。
特に、整形外科医の見地で述べさせてもらえば、
整形外科診療では、おもに、首や腰や関節の痛みや運動障害を改善して、日常や社会へ復帰することを目指します。実際に、薬や注射なしでも本人が適切な運動を習慣的にする努力さえできれば、ほとんどの人がそれなりに調子よくなります。要するに、医療を受け続けてではなく、医療なしで自立できるよう必要な手助けをする、というのが整形外科で行うべき医療の基本と考えます。
しかし、中には頑張っても良くならない人も一部いますし、症状を訴えかけることに一生懸命で努力をせず痛いままの人も多くいます。手術をすることで十分改善が見込まれる状況でも「手術したくない」と固辞する人もいます。
そういった方々が、結果的に生活の支障が改善せず、介護のサービスを享受している、というのがよくある構図です。
(もちろん、内科的な問題(脳梗塞後の麻痺や呼吸器疾患による運動制限など)で介護を受けている方々も多数いらっしゃるので、あくまで整形外科医の視点からの話であることはご了承下さい。)

「魚を与えるのではなく、釣り方を教える」

何を伝えたいかと言うと、
介護は、
「医療でそれ以上改善できない」状況で施される必要最低限のサービスで、「適切な医療が行われていない」状況で医療に先立って提供されるものではない、ということです。

「魚を与えるのではなく、釣り方を教える」のと、一緒です。

教えても釣り方を習得できない状況になったら魚を与え続けるしかないですが、習得できるならそうしてもった方が有益なはずです。

「歳をとるとあちこち痛くなって動きづらくなるからみんな介護が必要」という、なんだか介護を「誰もが必要な医療の一環」かのような扱い方をされている節が見られます。その背景には、膝や腰の痛みに対して、注射を打ち続けたり痛み止めや湿布を処方し続ける、という出口のない無限診療を行う医療機関が多いことも、事をややこしくしています。

ちゃんと適切な努力をすれば自立できるはずの人に、無駄な対症療法や過剰な介護支援を行って、サポートなしでは生きていけない状態に誘導してしまう、という。

介護と医療は同居したらダメなんです。
適切な医療を行った上でも日常生活に支障がある人に対して、初めて介護サービスが提供されるのが、健全なカタチのはずです。

1話にまとめるつもりが、想いを込めすぎて長くなってしまったので、2話に分けることにします汗


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?