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【相容れない介護と医療②】〜介護保険主治医意見書の闇〜

前回の記事では「相容れない介護と医療」について、まだ比較的、表から分かりやすい制度設計上の問題を中心に語らせて頂きました。

引き続き今回は、もう少し深掘りして、整形外科医の立場だからこそ分かる、表には出てこないであろう部分の闇に触れます。

・介護サービスでリハしていると医療でリハできない矛盾(介護が医療を妨げる)

整形外科診療の中で、もどかしい思いをする最たる例

膝が痛い80代女性。
肥満で、運動習慣がないことは明らか。レントゲンで膝関節の変形がひどくない割には関節の動きが硬く、筋力も弱くて杖を使用しながらゆっくり歩いています。

リハビリで適切な運動方法を教わって実践すれば、日常生活に支障がないレベルまで比較的簡単に改善できます。
(あくまで本人が努力できれば、という前提ではありますが。)

そこで、リハビリの重要性を説明すると、
「デイでリハビリはしています」と。
(ここで言う「デイ」はだいたい「デイケア(通所リハビリ)」を指します)
さも、きちんとリハビリをしているのに痛いんです、とでも言いたげに。

「でも、それで良くなっていないから来院されているんですよね…?」

デイケアでは理学療法士や作業療法士が「リハビリ」をしているそうですが、少なくとも、膝の関節が痛い患者(介護では利用者)さんに対して、整形外科で行うような、きちんと身体評価をした上での膝に特化した理学療法や作業療法(病態に特化した「本来の」整形外科的な運動器リハビリテーション)はされていないはずです(現場を見る機会がないので断言できません)。患者さんから聞く限りは、要は「体操をしている」というものらしく、整形外科で行う運動器リハビリとは完全に別の行為なのですが、同じ「リハビリ」という単語で括られてしまっているので、患者さんには区別がつかず、説得が大変です。

そして、ようやく本人や家族に納得してもらってリハビリ処方をすると…、
事務からこういうひとことを言われます。

「この方、介護保険で通所リハビリをしているので、医療でリハビリができません。」

私の頭の中は「は???」となるわけですが、

それがルールなのだそうです。

介護サービスを受けている人が痛みで困るからと来院され、
整形外科的な見地から運動機能を改善して自立を促そうとすると、
介護サービスが邪魔をして、真っ当な医療を提供できなくなるのです。

医療機関で十分機能改善が見込まれる患者さんでも、
すでに介護保険でリハビリをしているから医療でリハビリができない、と。

こんな矛盾が、普通に存在しています。

全く異なる「診療行為」と「体操」を、いったいどこの誰が「リハビリ」という同じ単語で一括りにした?
そもそも、自立支援という介護の理念はどこへ行った?
まさに、本末転倒です。

医療で改善できない障害に対して支援をするのが介護

前回の記事でも言いましたが、介護と医療は相容れるものでなく、その順番を誤ると、このようなおかしなことになります。

残念ながら、当の患者さん本人には説明しても一切伝わりません。
すでに過剰介護サービスにどっぷりお世話になり、完全に受け身で自立する意志など毛頭ない状態。
うちのクリニックに通い始めたあげく、最も必要なリハビリをできず、来るたびに注射や湿布や痛み止めのおねだりをして、通院を続ける意義が全くないことをお伝えしてもしがみつかれます。
そして極めつけは、しばらくして役所から「介護保険主治医意見書」が届くという…。(次項へ続く)

・介護保険主治医意見書(なぜ介護に携わらず主治医でもない医師に意見を求める!?)

介護認定のために「主治医意見書」は必須。

のようです。(ちなみに私含めほとんどの医師が介護に関しては素人です。)

よく何の断りもなく役所から送られてきて、否応なく書かされます。
(役所に問い合わせると、当方に拒む権利が無いかのように言われます。)
あくまで「審査判定の資料」だそうですが。
でも、実際に書類を記入している印象からすると、
医師が下記の意見書内のどこにチェックを入れるか?が、かなりのウェイトを占めている印象を強く受けます。

主治医意見書から抜粋。

なぜなら、
クリニックに来られる時点でそれなりに動ける方々です。介護認定されていても、「要支援1」「要支援2」か、せいぜい「要介護1」まで。
(自分で動けない介護度の高い患者さんが来る頻度は低いですし、そのような方々は入所している施設で主治医が意見書を書いているのだと思います)
来院されるような介護度軽めの方の介護認定と、上図の「障害高齢者の日常生活自立度(寝たきり度)」を照らし合わせてみると、
◻️J1=「要支援1」、◻️J2=「要支援2」、◻️A1=「要介護1」
に相応していることがほとんどの印象です。
※ あくまで私の主観です。意見書を記載しても認定結果は何故か「主治医」へ報告されないですし、そもそも介護認定審査会と交流すらありません。

主治医が記載した意見書に対して意見されることも。

初回ではなく更新(他医からの引継ぎ)の際に、前回の主治医意見書を入手できずに、客観的に判断して相応の寝たきり度にチェックを入れて提出したら、担当者から「それだと介護度が大幅に下がってしまうから書き直して欲しい」との連絡が来たこともありました…。
当然「なんやねん。出来レースやん。」と思うわけです。
たまたま数回受診した(ひどいと1回だけのことも)患者さんの「主治医」扱いを一方的に受け、書類を送りつけられて渋々ながらも、分かる範囲で正直に吟味して記載したら、内容変更を求められるわけです。
「意見書の内容を変えろ」=「意見を変えろ」と。

さらには、そもそも主治医意見書が届く時点で、介護認定を前提にしているわけなので、寝たきり度と認知症に関して、両方とも「正常」と記載することは、我々医師には期待されていません。どうなんですかね、これ。

私自身に主治医という自覚はない

整形外科クリニックの存在意義として、または当院での理念として、(前回の記事にも書きましたが)患者さんの痛みや運動障害を改善して日常や社会へ復帰することを目指して医療を提供しているので、そもそも「通い続けさせる」ということを良しとしていません。注射、湿布、電気・マッサージ、痛み止め等の、主体性を奪う無限診療を前提とすれば、そりゃ「主治医」という概念が生まれても仕方ないとは思います。少なくとも私の中で「主治医」という意識を持つ相手となる患者さんは、自分が手術をした患者さんくらいです。
百歩譲って、定期通院されている患者さんがいる場合に「主治医」とみなされる、としたとて、外来診療の限られた時間の中で、その患者さんの「寝たきり度」や「認知症の程度」を正確に測ることなど不可能です。

そんな考えの医者のもとに役所から「主治医意見書」が届き、介護についての知識もなく記入方法に関する指南を受けることもなく、それでいて半ば強制的に記入を求められるのです。

私からすれば、
例えがかなり悪いかもしれませんが、
「中学生男子が、片思いの好きな女の子のことを「自分の彼女」だと勝手に周りに言いふらしている」、その当事者の女の子の気分です。
(違うか…)

Googleさんに相談したら、AIが答えてくれた。

ひどくないすか?

私は整形外科医で、介護はもちろん専門外です。
(正当な理由とみなされるかは知りません。介護専門医などいないので。)
長期間診療を受けていない場合に、役所は医療機関受診を明確に勧めています。(検索すると、あちこちの地方自治体でそうアナウンスしています)

ここに大きな問題点が潜んでいます。

当たり前ですが、医療機関受診には医療費がかかります。
特に身体的問題のない健康な人が、「介護認定審査を受ける」だけのために受診することが、おおやけに認められているのです。

自費でしょ?

誰でもどこでも好きに医療機関を受診できてしまう日本の緩すぎる医療制度が以前から問題視されているはずなんですが、いいんですか、コレ?

そもそも「主治医」という言葉を使っている時点で、医療機関への「定期通院」が前提とされているわけで、(整形外科医としては)前提が完全に間違っています。

介護利用者にも、通院し続けていないと介護を受けられない、というように思い込ませてしまい、無駄な医療費がさらに上乗せされていきます。

介護サービスを提供するために、平然と医療費が使われ続けています。

それなのになぜ医者が主治医意見書を書くのか?(闇の部分)

「なぜ、こんな腑に落ちない書類を自分以外の医師は記入し続けられるんだろう?」とても疑問でした。
もちろん、半ば強制で書かされるもので、来たら拒めないから、というのが主因とは思います。

でも、最近になってようやく気づいたのですが、
主治医意見書を書くとお金が入るんですね。

施設入所していない利用者なら、
新規で5,500円、継続で4,400円(税込)が、医療機関へ支払われます。

勤務医時代にも嫌々ながらたくさん書かされましたが、そんな報酬が勤務先に入っていることなど一切知らされず、無報酬でした。
開業医になって、様々な制度上の問題を考えるようになり、介護制度自体や主治医意見書に関しても疑問を抱くようになって、初めて気づきました。

形式上の書類を数分で仕上げて4-5千円もらえれば、
ま、いっか、となりますよね。

疑問が晴れました。
ここでもまた無限ムダ遣い。

もういい加減にした方がいいです。

今後も主治医意見書は届くので、主治医ですらないのに拒めないと言うのであれば記載はしますが、自分が分かる範囲で正直に書こうと思います。
日常生活自立度が正常と思われる人には、自立していて欲しいので「正常」と記載します。
普通に会話が成立するのに形式的に「小ボケ」と記載するのは本人に失礼なので、「正常」と記載します。

・介護従事者がやたらと整形外科を受診する現状(最後にもうひと闇)

まだまだ書きたいことはたくさんありますが、このあたりで最後にします。

介護と医療は相容れないということを主題にしていますが、
「介護でリハしていて、医療でリハができない」
「主治医意見書記載のためにムダに医療費が増える」
などの問題を提起しました。
さらに、(恐らく)期せずして、介護が医療に影響を与えてしまっていることがあります。これは、本当に診療現場だから分かることです。

整形外科外来に受診される方には、職業を必ず聴取しています。
その中で、職業「介護」とかかれる患者さんがかなりの割合でいます。
十勝という土地柄、患者さんの中で農家さんはとても多いのですが、印象的には「介護」の方の方が「農家」よりも多いのです。具体的な数字は算出はしてませんし、実際の農家人口や介護従事者人口も調べていませんが、とにかく「介護従事者が多すぎる」という印象です。
そのほとんどは中高年の女性で、症状の多くは手や手関節の腱鞘炎や肘周囲の腱付着部炎(テニス肘)などの負担かけ過ぎによるもの。

共通した特徴として言えることは(もちろん全員ではないですが)、
・「介護の仕事」と言うだけで具体的な職種を説明されない(できない)
 (介護従事者なのは分かるが仕事内容は不明)
・仕事を休めないことを大前提として語る(休んだらクビになる)
・仕事を免罪符と捉え「忙しいから」とリハビリを真剣にやってくれない
・医療の知識はない

介護職に就くのに資格は不要です。
医療の知識も求められていません。
賃金は低く、基本は肉体労働です。
(私は見ていませんが)ブラックな労働環境なの間違いないようです。

言葉を選ばないと誤解を招くとは思いますが、敢えてダイレクトな表現を使っています。

診療を行う医師として、このような特徴を持つ患者さんの対応は、大変です。なぜなら、診療に対する姿勢が受け身でちっとも良くならず、そして症状の訴えが多いから。

もちろん、(事業者の利益のため)過酷な労働環境で頑張られているのは重々承知していますが、このような「介護従事者」の方が、比較的近い将来に「介護利用者」になります。その際には、今回の記事で例に挙げたような患者さんに、必然的になってしまっているはずです。

ここにも無限ループが。

・モヤモヤのまとめ

医療によって改善が見込まれる人に対して、積極的に介護支援を斡旋したり。
大して認知能力も運動機能も落ちていないのに、高齢や独居という理由だけでやたらと介護サービスを提供したり。

本当に、本人や家族や社会の為と思ってやっているんでしょうか?

適切な運動方法を指導して自分で運動機能改善・維持をできるように促した方が、よっぽど得るものが多く失うものが少ないのは明白です。

高齢だろうが独居だろうが、元気な人は元気。
過剰で不要なサービスを提供して依存させることで主体性を損なわせ、自ら考え判断する能力、自立する機会を奪っていく。

それによる弊害は、見えるところだけでなく、見えてないあちこちに、すでに現れています。

簡単に解決できる問題でないことはよく分かっていますが、
「まずは現状を知ってもらうことが大事」と信じて、
発信を続けていこうと思います。


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きたかた院長
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