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「おかえり」という祝福(すずめの戸締まりネタバレ感想)
「すずめの戸締まり」を観た。恐らく近年の新海監督の作品の中では一番人によって評価が分かれるのではないかなあと思う。世代によって、また観客が暮らす地域によって、作品の大きな柱となっている東日本大震災への温度差があるだろうから。
自分はというと、たまたま九月に宮城の沿岸部を訪れていたこともあって非常に深く刺さる作品となった。途中も何度か危うい場面はあったものの、あるシーンでとうとう嗚咽が堪えきれなくなってしまい参ってしまった。
それは震災の日の朝、たくさんの人が「行ってきます」と扉を開けて家から出かけていくシーンだ。
「ただいま」を言うことができなかった人。
「ただいま」と帰るための家を失くした人。
「おかえり」を言うためただ待ち続けた人。
そういった人たちがたくさんいたという事実を改めて突きつけられるようだった。宮城で実際に家がまばらになってしまった土地を目の当たりにした時の気持ちが瞬く間に甦ってきて、どうしようもなくなってしまった。
恐らく震災をリアルタイムで経験しているかどうかでこの辺の理解がかなり変わってくるのではないかと思う。現地にいたわけでなくニュースで映像を見ていたにすぎない私でさえ、帰る家どころか帰る街ごと失うことの途方もなさに震え上がったし、多分日本中で多くの人が同じ思いをしただろうから。
もちろん当時を覚えていなくても想像だけでそこに思い至るような感性豊かな若者もいるだろうし、あくまで一般論での話。
「行ってきます」と言ったきり帰らぬ人となる可能性は日常のどこにでも潜んでいる。それ自体は多分そう珍しいことでもない。しかし天災ともなれば犠牲者の規模が桁違いだ。あの日宙ぶらりんになってしまったままの「行ってきます」がいくつあったのだろうか。想像すると胸が痛む。
だから「おかえり」で締めくくられるラストは本当に良かったなと思えたし、美しい終わりだなーとここでまたズビズバしていた……。
「行ってきます」は決意の言葉。「ただいま」と「おかえり」は祝福の言葉だ。普段何気なく使っているけれども、日常の中にそういった小さな祈りのようなものがあるのは素敵なことだなあと考えたりした作品だった。
家族も観たいと言っているので多分また行く。
以下、とりとめない感想。
・新海作品の芸能人枠は毎回わりといい感じだと思う。すずめちゃんは可愛い声だったし草太さんは椅子になってもイケメンの声で良かった。仲良くなってもずっとすずめさん呼びなのが個人的にすごく好き。
・それにしてもあんなイケメンデザインにしてもらったのにあんな長い間椅子のままだなんて誰が予想できます?
・年齢的にどうしても大人の側に立ってしまうので環さんが心に秘めていた本音が苦しかった。でも増幅されていたとはいえあれは確かに彼女の中にあったもので、それを無かったものとして扱わなかったのが良かった。実際すずめちゃんのほうも自分の存在が重荷になっていないかと心苦しく思っている描写があったしね……。
・ハグするシーンはどの人相手も凄く良かった……。草太さんとは男女間のハグだけどあの時点では友愛の意味だなーと思った。エンディングで道中会った人のところをちゃんと回ってたのが嬉しかった。チカちゃんが好きです。
・死ぬのは怖くない、死んでもいいとまで言っていたすずめちゃんが自分の言葉で幼い自分を祝福してあげられたことで観てるこっちも救われた気がしました。日本中の、顔の見えない大多数を救うことから始まった話が途中から個人を救う話にフォーカスされていくので、そこは好みが分かれるところかもしれないけど、私はすずめちゃんが、そして草太さんが救われる話になって本当に良かったと思った。
・同じ風景を見ていても芹澤とすずめの感じかたは違う。自分も実際に被災地を訪れていなければ芹澤と同じ事を思ったかもしれない。
・芹澤なんだあいつ
・芹澤なんだあいつ、面白すぎる男……。