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肉塊と生きる


母親が精神的におかしくなってきたのは5年くらい前だろうか、
当時私は東京の大学へ行っており姉との二人暮らしだった。
二人暮らしにしては間取りも狭く収納も少ない部屋で人より多いであろう衣類を整理できずに汚部屋状態、そんな部屋を見た母親相当ショックだったようで落胆からの自分の教育がよくなかったと自分を責めるようになっていった。
私はというとそんな母親を他所にキャンパスライフ(バイト漬け・留年)を謳歌していた。
実家に帰省中昼過ぎに目を覚まし適当に腹でも満たすかと思いリビングへ向かうとなんだか様子がおかしい、母と父親が不在で畳の部屋の窓が開けっ放しで畳には大きなシミができてた。
すぐに父親になんかあった?とラインすると父親からラインが返ってきた。
「母さんが首吊った今病院」
車を走らせてすぐに病院へ向かった。

なんとか一命を取り留め、目立った後遺症もないとのことで短期間で退院した。
助かったのは父が首を吊っている母を早期に発見し呼吸の止まっている母を心肺蘇生と人工呼吸を行ったから。畳についていたシミは首吊り時の排尿だそうだ。
少し落ち着いたところで警察が家へ現場状況を見に来る、他殺や窃盗目的でないかの事情聴取をしに来た。
退院してから母は常にベッドに寝た切りになり社会のすべてにおびえている。
自分が邪悪で不要な存在という認識から統合失調の典型的な妄想を繰り返し、支離滅裂な言動を発するようになった。
夜も眠れず処方された睡眠薬を服用しようやく眠れる。
たまに深夜に私の部屋に来て私の人格否定や妄想など一方的に興奮して話すようになった。
常に引きこもりYouTubeを見ている母親はyoutube の仕様である視聴傾向による自動再生を理解できずに自動再生=メッセージとなり自動再生内容が過激な内容だとすべて自分の事と思いこんだ。
仕様を説明してもそれが理解できない、思い込みが思考を支配しているので理解できる情報以外聞き入れられない。―――

母はこうなるもっと前、嫁いできてから心の拠り所になる存在を作れていなかったと思う。
一時期拠り所になったのが新興宗教やスピリチュアルなもの民間療法等になっていた。
しかしそのどれもが続かず大体1~2年程で依存コンテンツを鞍替えする。
もちろん子供の私を連れて。
独自の世界観を持っていた人なのである程度満足したら鞍替えを行う、どっぷりハマるよりかは幾分マシっだたかもしれないけど、どこに行っても母を満足させるものは見つからなかった。
自分の四半世記を投資した子供達も母親の納得するものにはならなかった。

どこにも居場所ができず、何も生み出せなかった母は死ぬこともできず自分の存在を「自分が幸せになれないのは世界に恨まれているから」という結論で思考が固まってしまった。

病気と向き合い投薬や入院での治療を行う気もない。
私たちは緩やかな一家心中を行っている。
同居している父も弟も建設的な話はしない、話の通じない肉塊になり果てた母を横目に見ながら騙し騙し生きている。

母はあの日に死んでいた。

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