私のふるさと
色えんぴつ
7月も過ぎると、夏休みに子供たちが孫をつれて遊びにくる段取りが始まります。私は、子供たちにふるさとという特定の場所を作ってあげられなかったので、私がその時その時いるところにやって来て、短い夏休みを過ごしてくれます。それはそれで、いろんなところに行けるので楽しげにしていますが、本当はどう思っているのだろうかと考えたりしていました。
私はふるさとと聞くと、昔からイソジンうがい薬のあのCMを思い出します。冬の夜、アニメのカバの親子が「ただいま」「お帰り」と声をかけ合い、温かい部屋で過ごす映像が好きでした。「おかえり」って言葉いいなあ。心があったかくなる魔法の言葉だなと思っていました。若くして両親を見送った私にとって、ふるさとという言葉を聞くと、何か胸がきゅんとします。諦めたくせに叶わない何かが、心を揺らし、カバの親子のその会話の中に何となくふるさと、そして両親へのイメージを重ねていたのかもしれません。
この度思いがけず、自分のふるさとの近くに越して3年経ちました。遠くにありて思うもの、として焦がれていたふるさと。そのふるさとに足を踏み入れてみると、年月という思い出を抱えて帰ってきた私に、山や川や子供の頃の思い出たちが、「おかえり」と言ってくれている気がしました。「あー、いろんなことあったけど、頑張ってきたなあ・・」と月日という荷物を少し降ろし安堵したように思いました。「おかえり」とは、言葉だけでなく、私の心が感じるものであり、存在のあるなしでは、はかれない気がしてきました。子供たちにふるさとを繋いであげられなかった後ろめたさ、でもそれを母の生き方として赦してくれている子供たち。実は、その存在も大切な私のふるさとなのかもしれません。
今年、夏休みやってきた子供や孫に「よく来たね!」とは言ってきましたが、今度は「おかえり」という言葉を言ってみよう。そんな気持ちが湧いてきました。