対話道の探究(1、対話の大前提)
聴く側と話す側の立場は対等
という認識をもつことから、対話は始まる。
互いに働きかけ合う、協働関係が質の高い対話の場をつくる。
対話って
自分とは違う視点や考えをもらって、
自分との違いを知る、気づくチャンスをもらうもの。
上下関係をつくるとか、マウントをとるとか、
言い負かすとか、言いくるめるなんてありえない。
どちらかにそんな認識があると、関係構築はできない。
↑↑このポイントは、単に関係構築に終わらない。
きっと、平和な世界につながると、私は勝手に思っている。
違いを受け止めて、そうなんだと知る。
自分はこう感じるんだと話し、受け止めてもらえる。
どちらかが良い悪い・正しい間違っている等と裁かない。
そこにいる各自に選択の自由がある。
私の経験として、
ずいぶん前にいた場所が
いろんな意味で安心感が全くない空間だったので
自分の話を一切せずに過ごしていた時期があった。
そして、その場にいる人の言うことは聞いて
とくに意見することもなく、
自分が黙っていたらここはやり過ごせると
自分に言い聞かせていたものだから
次第に、その人の考えや言動に自分が似ていっていると感じていた。
でも、後戻りできなくなっていた。
気がつくと、私は自分という存在を喪失していて
感情の動き、発言、行動・・・
その人の代弁ロボットみたいな生き方をしていた。
思い出しても恐怖、笑
対話のしくみが狂った中だと
本人がよほど自分の考えや意見をもって
自分を守れない限り
心も体も変な方向に行ってしまう。
協調に必要なのは、同調や迎合ではない。
(かといって、すべてに反発し、意見することでもないが。)
互いの違いを知り、尊重されるべき点に気づくこと。
その中で、今できる最良の選択にたどりつくこと。
単なるおしゃべりでも、真面目な場面の会話でも
地域の集まりでも、国家間の話し合いでも
大前提は、対等で、尊重されながら関わり合うこと。