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離婚するかもしれない状況で、ひとり沖縄に行くとどうなるか①

家族・親族との相続問題でお悩み期に入っている夫がひときわ深刻な様子となっていったので「そんな暗い顔していたら悲しいから、なんでも言って。家族だし」というようなことを口走ったところ喧嘩になり「もう俺は家族というものすべてがいやだ、家族を持つのに向いていないから離婚してもいい」ということになったらにしみず家である。次から次へと色々なことがあるものだ。

その2日後、沖縄ひとり旅に行った。
キャンセルするか4秒くらい迷ったが、結果、本当に行ってよかった。よくいわれる「悩みを忘れた方が解決に近づく」ということについて、それはないよ、と思っていた私だが、やっぱり真実なのかもしれない。現在、離婚話はいったん引っ込み、変わらず深刻な顔をした夫と暮らし続けている。

旅行中、ちょっと自分でも引くくらい諸問題を忘れて遊んでしまったのだ。
誰かと一緒の旅は、素晴らしい。でも、“同行者との”思い出が強くなるように思う。あのときあなただけ英語で話しかけられてたよね、とか、あんたが頼んだものだけなぜか全部冷めてたよね、とか、なんであそこまで行って映画見ようって言い出したの?東京でも見れるでしょウケるんだけど、とか。
一人旅は、土地との思い出がダイレクトに残る。その土地と私が話し、仲良くなれる気がする。(少なくともGoogleマップとはかなり仲良くなれた。)

それでも行きの便では悲しくて、なぜこんなことになったのかと私はずっと泣き続けていた。非常口近くの席に座ったため荷物をすべて上にあげなければならないのにハンカチを取り忘れたのだが、みんな前を向いているから気づかないだろうと顔もぬぐわず涙を流しっぱなしにしていた(CAさんが向かい合って座る席だと2分後に気づく。)

 隣には、がっちりむっちりしたラッパー風スタイルの外国人男性が座っていた。私が泣きながらうとうとしていたら、突然右肩に痛みが走った。目をあけるとむっちりが両手で口をおさえすごく優しい声で「オーマイガ〜 アーユーオーケー? アイムソーリ〜」と言っていた。彼が動いたときに、肘があたってしまったようだった。「アイムオーケー、ノープロブレム」と言ったが、彼は早口でどうしましょ、ていうかユー泣いてる? 大丈夫? と言った。ちがうの、泣いているのはあなたのせいじゃないと英語でなんと言ったらいいのだろう ナン オブ ユア ビジネス? いや喧嘩のシーンでしか見たことないセリフだよね。などと逡巡し、「オーケー、アイムオーケー」と無理やり笑った。むっちりは私の肩をさすってもういちど「ごめんね♡」と言って座った。私国際学部だよね…?なにこの英語力…?というのも離婚するかもと同じくらいショックではあった。
 CAさんが通りかかったとき、むっちりは彼女を呼び止め、私に何かをまた早口でしゃべった。おわびになにかあなたにおごる、と言っているようだった。あまりに申し訳なさそうなのでコーヒーくらい買ってもらった方がいいのかも…と迷い始めたところ「カッッp ヌードォー」という単語が聞き取れた。私は旅の初日の夕食、那覇に移住した知り合いから聞いたおいしいお店を予約していたのだ。そのとき16時。機内においてラーメンで腹を満たすなど愚の骨頂である。慌てて「ネバーマインド!お気持ちだけでイナッフ!」と肩を叩いて親愛の情を示しながら断った。むっちりは「そう…?」という顔をしながら我が国が誇る世界初のカップラーメンを購入し、もりもりと食べていた。レギュラー味ね。いいにおいがした。(ちなみに降りるまでにもう一度CAさんを呼びシーフード味も食べていた。夜ごはんどうするの?)

飛行機を降りるとき「お互い良い旅にしましょう。泣いてごめんね」と握手と挨拶をして、私ずっと泣いているわけじゃなかったな、と思いながら沖縄に立った。この3日間、こうやってときおり涙を流しながら過ごすのだろう、とそのときは確かに思った。しかしひとり旅の緊張や沖縄の本気の夏、人々の雰囲気、声、海、風、唄、そういうものすべてが、「ちょっと失礼、よいしょ」と夫のことを優しく頭の外へどかしてしまった。いちども涙はこぼれず、さほど考え込むこともなくいーやーさーさーな日々を過ごしてしまった。20代の頃、ミスチルの活動休止を知った後の方がどこへ行っても泣いてた。

沖縄のこと一個も書けていないことに気づいたので、続きます。


暑かったけどヨゥ、短かったよナァ。

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