旅する日本語 「奇偉」

祖母・ミヨコは大正15年生まれである。

関東大震災と第二次世界大戦を生き抜いたミヨコ。
6、70代は「手入れが楽だから」とパンチパーマをあてていたミヨコ。
東日本大震災のときは「テレビがつまんねぇ」と1日中フォルテシモで氷川きよしを聞いていたミヨコ。
しかし誰より好きなのは斉藤清六らしいミヨコ。
サヨ(孫その1)とサト(孫その2)だけでも区別が大変なのにサオリ(ひ孫)の出現でもはや全員「オーイ」で呼ぶようになってしまったミヨコ。
「デイケアセンターで、モテて」とふたりのおじいさんに囲まれた写真を見せてきたが、3人目のおじいさんにしか見えなかったミヨコ。
娘の元夫(=私の父)になぜかたまに電話をかけてるらしいミヨコ。
「天国にいちばん近い女」という私がつけたキャッチフレーズが気に入ってないミヨコ。

どんなに宗教くさくてももういいから、どうか長生きしてほしい。
2度目の東京オリンピックは、もうすぐそこですよ。

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