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【西国三十三所巡礼】第二番札所 紀三井寺(金剛宝寺)

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 紀三井寺
 本尊 十一面観世音菩薩
 住所 和歌山県和歌山市紀三井寺1201

 駅を降りた時はちょうど昼時だった。お腹がすいたのだがどこに入ったらよいのやら……紀三井寺付近にはなにかあるのかも、ということで目的地に向かう。
 駅の近くで「庭のパン屋さん」という看板を見つけ早速入ってみる。できたてのパンの匂いに惑わされあれこれ買ってしまった。食べながら、紀三井寺へ。

 すぐに閻魔さまがお出迎えしてくれる。出口側に立っているから、見送ってくれる、のが正しいのだろうか。
 ところでなんでだか最近閻魔さまが気になる。閻魔大王という存在が。いまいろいろ勉強中。いずれ小説になるかもしれない。

 果てしなーく続く(僕的には)結縁厄除け坂をのぼっていく。看板お説明によると、
「若き紀伊国屋文左衛門が結婚と出世の契機となる位で愛をした坂
 二五段、三三段、四二段、六一段と厄年を踏み越える石段が続きます、」
 だそうです。
「是より上の登段最速記録は二一・九秒
 無謀な挑戦はおやめください」
 って逆に煽っているような……。男子中学生とかだったらぜったいやるだろ。
 途中で一願不動明王、身代わり大師などあり、帰りに寄ることにする。まずは登り切らないと……。

 木造立像では日本最大! 大千手十一面観音像公開中ということとで入ってみる。
 でかい!
 でかいものっていうのはでかいだけですごい。シンプルに。
 なにせでかいのだ。大きな仏像を前にすると、とにかくただただじっくり眺めてしまう。小さなものも大きなものも素晴らしいが、やっぱり迫力にやられるってことは確かにある。
 なんだこの感想は。これから先さまざまな「でかい」仏像と対面することになるとは、キタハラはまだ知らずにいたのであった……(既にこの先の札所に行っておりいろいろ見ているので知っているのだが、読者を煽ってみた)。

 境内からは和歌の浦が見渡せるのどかな景色が広がっていた。
 しかし寺というのは不思議なもので、参拝後にぼんやりすることこそが参拝の最重要ポイントではないかと思われる。
 ただブラブラ歩いたり佇む。
 お寺が大きかろうと小さかろうとすることは同じだ。観光である。そのお寺独特の空気を吸って立ち去ることが、ある種の悩める人にとって治療となるのではないだろうか。もちろんご利益をいただけたらなお嬉しい。でも「参拝にいく」それだけで、一つ叶っているような気がするのだ。

 帰りの階段を降りながら、行きに気になったところを一つ一つ回った。身代わり大師の胡瓜封じの絵馬を書いた。
「弘法大師が薬師如来の本願によって病魔や邪気を胡瓜に封じ込め、病を癒し自らの生命力を増進させ無病息災を得られたことがその始まりと伝えられています」「胡瓜を身代わりとするのは、切り口が転法輪に似ており、胡瓜の形が人間の姿形に似ているから」だという。俺も胡瓜食べよう……意識的に。
 凝った絵馬とかちょっとしたイベントに近い祈願方法が好きなのだ。健脚身体健全「奉納わらじ」なんてのもあった。


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