発達障害のこだわりと、親に向かない人格の連鎖
発達障害と二次障害の双極性障害を持つ、子なし中年の少し長い日記です。
奇妙な行動には理由がある
今日はちょっとしたきっかけでよみがえった、中学時代の発達エピソードを記録しておきます。
このnoteを読む方の中には、お子さんの発達障害に悩んでいる親御さんもいると思います。
お子さんの一見意味不明な言動に悩まされているケースもたくさんあるでしょう。
けれど、『何か普通ではない言動』を取る子には必ず本人なりの理屈や理由があるので、親御さんは脊髄反射で怒ったりせずに、まず落ち着かせて理由を聞いてあげればと思います。
そしてできれば、できること・得意なことをひとつでも多く見つけて、褒めてあげてください。
でないと子どものメンタルがきゅうりの漬物のようにぐにゃぐにゃになって、二度と生のきゅうりには戻れなくなります。
きゅうりの漬物はおいしいですが、きゅうりの漬物のようなメンタルで生きるのはとてもつらいです。
(行動原理を言葉にするのが難しいお子さんもいるでしょうが……そういう場合はまた別に考えましょう……)
ドラマから引き起こされた記憶
現在放映されている、NHK朝ドラ『虎に翼』。
日本初の女性裁判官になった三淵嘉子さんをモデルにした寅子は、持って生まれた優秀な頭脳と恵まれた環境で司法試験に合格し、男性社会の法曹の世界と渡り合っています。
そのテーマから、フェミニズム的な観点で視聴している人も多い作品です。
わたしはあまり主人公が酷い目に遭う話が得意ではないのですが、推しの一人・三山凌輝(BE:FIRST RYOKI)さんが出ているので頑張って視聴しています。
戦争により一家の男性がみな亡くなり、家族で唯一公務員として稼ぐすべを持つ寅子が自身の娘と弟、兄の遺族を養うことになりました。
仕事が忙しくて家事を兄嫁(女学校時代の親友でもある)に任せ、なかなか娘に手をかけることができなかった象徴として、以下のエピソードがありました。
このエピソードには、
素直に起きたことを話したら怒られると思うほどに母子の関係が悪い
寅子は仕事で疲れていてうわべのことしか見えない
84点という『充分いい点数』を取った(と偽装した)のに褒めず、もっと上を目指すように言う
という意味合いが含まれています。
それを見ていて、「仮に私が子どもの84点のテストを見たらどう思うか」を考えました。
結論は、
『頑張ったね、えらいね、あと4点削れればよかったね』
でした。
世間の常識と私の理屈
私も大人になって常識を獲得できたので、
84点は世間的に『充分いい点数』である
世間ではテストはしばしば『より高い点数を取る』ことを目標に行われ、結果が内申点に関わる
できたことを褒めずに『よりよい結果』を求めるのは子どもの情操教育上よくない
点数を上げるのには努力が必要
ということを知っています。
けれど、割と重めの発達障害を持ち、独特の生きづらさを抱える私は、そうとばかりは思えません。
84点は7の倍数でキリが悪いので『よくない点数』である
かと言って『世間的にいい点数』を取れたことは褒めなければいけない
点数を6点上乗せするよりも4点削る方が簡単、80点も『充分いい点数』である
という判断が働きました。
数字へのこだわり
自分で言うのは何ですが、私は勉強ができる子どもでした。
それはよかったことだと思うのですが、やっかいな発達特性も持っていました。
『キリのいい数字』を異様に好むのです。
5の倍数はいい数字で、7の倍数は悪い数字です。
しかも、学校のテストを『キリのいい点数を取るゲーム』だと思っていました。
私が人生で取った『一番悪い点数』は98点で、100点の次に『一番いい点数』は0点です。
98点は2×7×7でキリが悪いし、画竜点睛を欠いています。
その認識が共通見解だと思っていたので、クラスでも公然と「点数が悪い、悪い」と言っていました。
ですが、『より高い点数を取る』ルールでテストを受けている人からしたら、ただの『自虐風自慢』にしか聞こえないですよね。
みんながサッカーボールでサッカーをしている中、一人だけラグビーをプレイして、「10点しか取れなかった」と言うのに「10点も取ってるのに、自慢か」と思われるような感じです。
親に向いていない人格の連鎖
人の親にならなくてよかった
心に引っかかっていたので、この話をカウンセラーの先生にしました。
先生「北川さんが親だとして、子どもが98点取ったらなんて言いますか」
北川「『お前なんてうちの子じゃない』などとあらん限りの罵倒をして追い出します」
先生「102点満点のテストで100点を取ったら」
北川「キリがいいので褒めます」
いわゆる教育ママさんだったら「少しでも高い点数を取れば覚えがよくなる」ケースもありますが、「7の倍数の点を取らなければ褒める」と言われても子ども本人は困ります。
100は7の倍数ではないので、100点を狙うのが一番確実です。
ある意味、狙って80点ぴったりを取るよりも、狙って100点を取る方が簡単ですよね。
癇癪持ちで謎のこだわりを持つ親の子どもにとっては、教育ママさんのお宅よりも100点を取るプレッシャーは高いに違いありません。
本当に、こんな人間が親にならなくてよかった……と安堵しています。
『放置』で子育てをしていたつもりの母
私が『サッカーボールでラグビーをやっていた』ことに、当時の私を含めてたぶん誰も気づいていなかったはずです。
一番気づくべき保護者だった母は、私がどれだけ『いい点数』を取ろうがまったく興味を示しませんでした。
おそらく彼女にとっては、75点以上は誤差の範囲内だったんだと思います。
75点くらい取っていれば、特に何もしなくても高校に行ける程度の学力があるからです。
母は好意的に取れば学業におおらかで、例えば「テストでいい点を取りなさい」なんてことは一度も言いませんでした。
「勉強なんてできなくてもいいから、身の丈に合った高校を出て就職して結婚して孫の顔を見せてほしい」程度の気持ちでいたかと思います。
今のように、就職に大卒を求められるケースの多い時代ではなかったので。
しかし私の認識の母は「自身が困らない範囲なら子どもがどうなろうがどうでもいい」人です。
私は小学校時代を通して、発達障害児・者によくある『パターン化できない状況』へのパニックで二週間に一度はギャン泣きしては授業を中断させていました。
そんな娘のメカニズムを理解しようとする気もなく、叱るでもなくただ感情的に怒れば解決すると思い込み毎度虐待を続け、「一度病院にかかっては」と担任教諭から言われても「お父さんが悲しむから」とかいう意味不明な理由でスルーしました。
せっかく人並み以上にできた勉強の結果も褒めることなく、私の自己肯定感や自尊感情をマイナスに叩き込みました。
よく教育ママさんの子が「先生に絵を褒められた」と言って「そんなことより勉強しなさい」と返されるのの逆です。
兄二人が『特に何か』しないと高校にも行けない学力だったので、私が何の苦労もなく高校に行けることが発覚したら手のひらを返して何も言わなくなりました。
(なお、進学塾に行かずに割といい方の高校へ進学できました)
話が脱線しましたが、私に『学校のテストは学力と習熟度を測る目安であり、80点以上はかなりいい点数である』ということを教える人はいませんでした。
最後に
ドラマで点数の話を見たら連鎖的に記憶がよみがえりました。
こんな実体験も発達障害当事者やご家族のお役に立てば幸いです。
仮に特性を理解しきれなくても、当事者に『親は自分を理解しようとしてくれた』という認識が植えつけられれば、幸福の土台になります。
愛されたかったですね。耳かきひとすくい分でよかったから。