見出し画像

発達障害者雇用⑥3年目、支援の必要性

障害者雇用3年5ヶ月目にして発生したトラブルの話です。


まず残念なお別れ

 以前もこちらのnoteでお話しましたが、弊社への入社のきっかけは、B型作業所の時からお世話になっていた支援員さんからのご紹介でした。

 支援員さんとは就労後も月に1回お話を聞いていただき、職場での困ったことがあったらクッション役として上司にお伝えいただく……というジョブコーチを兼ねた相談体制を取っていました。

 ですが、就労3年目にして、支援員さんがご家庭の事情で職を退かれることに。
 支援員の役割自体は別の団体の方に引き継いでいただくことができたのですが……。

支援を言い出せず

 現状、弊社の業務はとても忙しいです。
 中でも私の上司はシステム構築にこそ関わってはいませんが、お客様のご要望のヒアリング・交渉・商品の企画に始まって従業員の管理、経理業務に至るまで、目の回るような毎日を過ごしていらっしゃいます。

 以前からの仲である旧支援員さんとは相談ができても、新しく外部からジョブコーチさんをお願いし、一から関係を構築するのは業務の負担になる……と遠慮し、私一人でも上司へ要望を伝えられるようになっていたため、支援員さんにお話を聞いていただくだけに留めていました。

 ですが、事件が発生します。

子宮筋腫の発見

 23年の秋、子宮筋腫が見つかりました。

 半年ちょっとほどの間その場しのぎの投薬で様子を見ていたのですが、悪性ではないこともあって手術を避けるという結論になりました。
 筋腫が大きくなるのを防ぐため、子宮内で女性ホルモンを放出するミレーナという器具を入れました。

(ミレーナを入れてからの生活が本当にきつかったので、これも日記に描きたいのですが)

 しかし思うように出血が止まらず、9月に通院して内診したら筋腫が大きくなっていて、ミレーナから出るホルモン量では足りないのでやっぱり手術するということになり、ミレーナを抜き取りました。

 その翌日、自分でも引くほどの大量出血(昼用ナプキンから瞬時にあふれ、ボトムスの足首まで血が垂れるほど)があり、救急搬送されました。
 搬送先の病院での診断の結果、「子宮を取る必要があるけれど、悪性ではないので12月に手術しましょう」という話になり、約3ヶ月の不安な生活がスタートしました。

何がどう悪いのか……

 出血は要するに『低用量ピルを飲み忘れたことによって来る生理』の著しくひどい版で、ミレーナを入れて抜いたことでホルモンバランスが崩れています。
 しかも、出血後も鈍い痛みが続き、ロキソニンを手放せない状態が続いています。
 おなかが痛いと言って頻繁に横になっているせいか、体力も落ちてきました。
 そうなるとメンタルがおかしくなるのも道理で、鬱までは行かなくても落ち込みも激しくなります。

 要するに、全般的にパフォーマンスが落ちている状態です。

 もともと注意欠陥という特性を持っていますが、元気な時はカバーできていたことも取りこぼすことが増えました。
 仕事ができないことで、更に落ち込みます。

仕事は待ってくれない

 10月中旬に、再び大量出血を伴う生理が始まりました。
 1日にショーツ型ナプキンを3枚使うほどの出血量です。
 おまけに痛みもあります。

 これはつらい……休みたい……と思ったものの、「仕事があるので来てほしい」と言われ、2日目だけ休んで3日目の金曜日に出勤しました。
 PCに向かって仕事をしているうちに腹痛がひどくなって、ロキソニンを6錠飲んでも治まらないほどになりました。
 それでも仕事はしなければ……私の代わりはいない……という気持ちがあり、同時に帰宅したいと伝えるアクションすら起こせないほどに弱り、結局定時まで仕事していました。

 行動障害を「わがまま」だということにされ、強引に抑え込んだことで身についてしまった無駄な我慢強さが発揮された形です。

無茶じゃない!?

 そんな状態で仕事をし、頑張ったので褒めてほしいとすら思っていたのに、社会は厳しいものです。

 苦痛によっていつもよりも更に注意欠陥が出て、それによる落ち込みや感覚過敏を抑えるためにリスペリドンを2ml摂取したのですが、ケアレスミスが発生しました。
 上司からそれを指摘され、ミスがなくなるように対策してほしいと言われて、とうとう「来いって言ってるんだから来て仕事したのに、どうして責められなければならないんだ!」と感情が堰を超えてしまいました。

カウンセリングにて

 いつ泣いてもおかしくない状況で、翌日の土曜日にカウンセリングを受けました。

 ロキソニンは基本1日3錠までしか飲めない薬で、それを大幅に超えても痛い状況になったら帰るべきだ、と先生から助言を受けました。
 また、今は根本的にパフォーマンスが落ちているのでこれまでのように精度の高い仕事ができず、努力でカバーしようとしたらかえってメンタルを損ねると言われました。

 さすがに社会人として「障害があるからミスは大目に見てほしい」と直接言うのははばかりがあるので、先生に「今はこれまでのような仕事はできない、第三者のダブルチェックなどでカバーするしかない」という文章を書いていただき、週明け上司に読んでいただいて対応を考えていただく、ということで話がまとまりました。

久しぶりの発作

 それでも働かなければならないので週明けの月曜日に出勤したのですが、行きの電車の中でSkypeが届き、また注意欠陥を指摘されました。

 本当に久しぶりに「死にたい」というワードが自発的に出てきました。

 本格的な希死念慮ではなく、うまくいかない現状からなんとか逃れたいという気持ちの発露でしたが、尋常でないことに変わりはありません。

 会社への途上で上司に「体調悪い中働いているのに責められてもう無理です勘弁してください(だいたい原文)」という文面を添えて、先生からのメールを転送し、また先生へも「死にたいです(原文)」というメールを送りました。

 こんなにストレートに弱るのは久しぶりでした。

『できる』発達障害者の功罪

 出勤したものの、あまりに切迫していた様子に、上司から帰って休むよう指示を受けました。

 たぶん、普段注意欠陥が出ないように頑張って仕事していた結果、本来の『注意欠陥が著しい』状態が周囲から見えなくなり、私が本来こなせる仕事のクオリティを超えて評価されていたんだと思います。
 もちろん、評価をいただくのはとても嬉しいことですが、身体の体調不良のせいで努力できないことが続いても「本来できることをしていない」という風に見られてしまう、という困りごとも招きました。

(この「本来できることをしない」という判断も、幼少時の「わがまま」という評価に繋がりとても私を苦しめたのですが、その恨み節はおいおい語れればと思います)

支援の出番

 カウンセラーの先生と支援員さんにそれぞれ相談した結果、

『私は支援が必要な存在で、一人で対応することには限度がある。今回はその限度を超えた』

 という結論に至り、支援員さんとジョブコーチの方に間に入っていただこうという結論に至りました。

  • 住んでいる自治体に『仕事支援センター』という施設があり、支援員さんに付き添っていただいてそちらへジョブコーチの件を相談する

  • ジョブコーチ導入のためには上司の理解が必要なので、支援員さんと上司とで一度集まって話し合いをする

  • すぐに話ができるとは限らないので、12月の手術までは騙し騙し無理のない範囲で行動する

支援の必要性

 自分で言うのは何ですが、私はたぶん発達障害を持つ人の中でも『できる』方で、普通の人の真似をしてある程度のことをこなせます。
 それとは裏腹に、『できる』ことと『できない』ことの見極めが下手で、『できる』と思って動いているうちに『できない』ことへ足を踏み入れて失敗したことが数限りなくありました。

 自分が『支援が必要な』人間であることに気づいたのが30代半ばと遅く、また母が『人に頼るのは恥』と考える人間で、認知の歪みを真っ正面から受けていた面もあります。

 今回は、『支援が必要な』自分を認められ、困りごとに『対処できる』と思い続けることをやめて支援者の方に頼れました。
 これは障害を持って生きる上での成長だ、とはっきり思えます。

 これを機に支援が入り、無理をして働いていた私と、私に障害があることを忘れかけていた職場の間の齟齬そごが解消することを願っています。

 障害者雇用のことを考えている方、障害者雇用で働いている方、クローズド(職場に障害を隠していること)で働いている方のお役に立てれば幸いです。

いいなと思ったら応援しよう!

北川
いただいたチップは心身の栄養維持にさせていただければと存じます。