山梨のワインとわたし
(この文章は、2015年5月30日に公開したものを、再度アップし直しています)
生まれた場所でも育った場所でもない。親類縁者がいるわけでもない。けれど、何らかの縁があったのだと思います。社会人になったと同時に山梨県をたびたび訪ねるようになり、20年以上が経ちました。
兵庫県の山の中で子ども時代を過ごしたわたしにとって、どこを見ても山が見えるその土地は、東日本の第二の故郷のような場所になっていました。中央本線に乗り、いくつものトンネルを抜け、山のまっただ中に至る。たとえば勝沼ぶどう郷駅のホームに降り立つとき、斜面を覆うぶどう畑を眺めながら深呼吸をすると、心身の憂いが霧消するのを感じるのです。
そうして訪れる山梨県と山梨のワインは、常にセットでした。ですから、1990年代から20年以上も飲み続けていることになります。
20代のわたしは、ワインの味も何もわからなかった。ただ、大きな空の下で飲むワインが楽しかった。
30代のわたしは、多少の味の違いはわかるようになった。でも、「山梨の空の下で飲む」というのが、大事だった。
そして40歳に迫った2007年か2008年の新酒の季節だったかと思います。このワインにはこんなワインを合わせたいなどと生意気を言い出した頃。
「あれ、何か変わった」
と思いました。去年と同じ銘柄なのに、去年よりも、「このワインにはこんな料理を合わせたい」と思う美味しさがあった。複数のワイナリーに、そういうワインがありました。
次に訪れたとき、そう感じるワインは増えました。合わせたい料理も増えました。その次はもっと。
「何かが起こったんだな」1社ではない。この地域全体の多くのワイナリーで、変化が起こっているのだ。
「何が起こったんだろう?」
そこには、必ず、たくさんの人が関わっているのだろうと思いました。きっと、たくさんの人たちがそれぞれの思いを抱きながら、一つの大きな変化を招いている。その細部も、全容も、どちらも知りたいと思いました。
だから、なるべくたくさんの山梨の醸造家たち、それから山梨のワインに関わる人たちを訪ねて、この20年の仕事について聞こうと思い立ったのです。
この連載では、山梨県にあるワイナリーを紹介します。でもこの仕事を通して、醸造家(やワインに関わる仕事人たち)への仕事に対する向き合い方を聞き出し、山梨のワインに今、宿っている「何か」を見いだすことができたなら、と思っています。