馬鹿話をしよう #「ヒトリノ夜」前編
〇馬鹿話をしよう
時間がある。馬鹿話をしよう。現代人は誰もが心に寂しさと疎外感と馬鹿話くらいは抱えている。私だって例外ではない。
時は2022年、この時はまだ新型コロナウイルスはまだ蔓延していた。石原慎太郎と安倍晋三がともにこの世を去り、10月に入ると1ドルは32年ぶりに150円を突破した、そんな年だ。IT技術を駆使し、何とか企業はこの危機を乗り越えようと模索し続けたが、「セイサンセイ」(生産性)という半ば外来語のような響きを発するだけで精一杯だった。そんなものが達成出来る位なら日本は太平洋戦争に負けていなかったろう。
日本社会は段々弱くなっていく気配があった。
余談だが、当時の賃金もここに載せておこう。今では東京の最低賃金は1163円(2024年11月現在)というが、2022年のその当時は1072円。これ以下の水準で働いていた人がいたかはよくわからない。しかしパンデミックを前にそんな声は黙殺されるだろうから、見かけなかっただけだろう。
メディアは社会不安をあおるように新規感染者数を報じるばかり。
その当時の私はというと、簡単にいえば締まりのない生活であった。定職につかず、アルバイトに明け暮れる日々。最大の娯楽はチューハイのストロング缶を片手にYouTube。果たしてこれ以上の人生があるだろうか?
…今思えばよく闇バイトに荷担しなかった位だ。
○幸せの青い鳥
闇バイトとは行かないが、私はその当時、深夜のコンビニバイトには勤めていた。闇、ではないが、コンビニの周辺には暗闇があったわけだ。明るく照らすのはせいぜいコンビニ店内の無機質な明かりのみ。私の未来にはそれよりもかぼそい明かりがあるのみであった。
そんなある日私は心細くなる経験をした。
それは11月中旬のある一日だった。寒さはとうに冬のものに変わりつつある時期、生命が終わりを向かえる時期とでもいおうか。
私は真夜中に自転車で走っていた。クタクタになった茶色のマフラーと軍手のようにペラペラな手袋。それが唯一の防寒具といってもよかった。目的地は10分ほどの距離にあるコンビニだ。もっと長い距離だったら私の顔は死人のように青白くなっていたことだろう。
そして大通りに面するコンビニへ。建物の脇に置いてある使い古されたピジョンのロードバイク。サドルの綿はグロテスクに外に飛び出していた。その横が私の自転車置き場だった。
中に入るとホットスナックの機械の後ろに小太りの男。さも歩くビリケンさんのような風体の彼はこのコンビニの副店長である。青色のユニフォームを着ている。(今であれば、ハピローと言えばお分かりになるだろうか)副店長はゆっくりとこちらへ視線を向けた。その細い目つきの中にある黒点が、私を捉えた時、私には不気味にも赤く光ったように見えた。
彼は言った。
「えー、はい、じゃあ着替えてきて。」
それは感情を失った声色だ。人間性の欠落した響きといってもいいかもしれない。私は軽い会釈をするだけで精一杯だった。
コンビニの上着を羽織った私はカウンターの中へ。すると商品棚の間でしゃがんでいた副店長がゆっくりとこちらを向いた。商品の陳列を見ていたらしい。そしておもむろに立ち上がる。彼の挙動を見ているとサイレントヒルのピラミッドヘッドを思い出す。こちらへやって来た。
「え~、引継ぎ事項は特になしです。え~、あとは新タイプのから揚げくんが出たから補充の際は気をえ~、付けてね。」
高めの声と早口。何かの呪文だろうか。まったく頭に入ってこなかった。しかしかろうじて私の右手は伝達事項をメモ帳に書き取り始めたから、きっと知らず知らずの防衛本能が働いたのだろう。
さぁ、始めるか・・・。私は唇を舌で湿らせた。喉が渇いている。そういえば、飲み物を持ってくるのを忘れた。不吉な予感を感じる。
すると、踵を返した副店長はこちらに歩いてきた。その動きは不気味にも素早い。そしていい放った。
「あ、そうそう。新しい唐揚げくんの容器はここね。」
彼は光沢を失ったステンレス製の引きだしを指差す。それはカウンター内にある。
私は必死に軽く会釈をした。
「わ、わかりました」
しかし、本当に分かっていることなどこの世にどれくらいあるだろうか?
改めて副店長が指差した引きだしの中を見てみた。そこには鋭い眼光をした鳥のキャラクターがいくつもあった。既に見たことのある(デジャヴだろうか…。)パッケージをかき分けていくと、私が知らない青色のパッケージを手繰り寄せた。これか、あの男が言っていたものは…。
私はそのパッケージを見てみた。すると違和感に気付いた。
青い。あまりにも青い…。
それは現代社会には存在しないような青色をしていた。鳥の絵柄をしているから、さしずめ青い鳥、といった所か。しかし誰もこの鳥が身近にいたとしても、手を伸ばさないことだろう。例えこの鳥がホットスナックのショーケースという鳥かごにいたとしてもだ。幸せはこんな所にあるべきじゃない。
パッケージをよく見ると「雀の戸締まり」と書いてある。いわゆるコラボ品だ。そういえば、店の入り口にのぼりの旗がおいてあった。私は、それも異様な青色をしているのを思い出していた…。
○ヒトリノ夜
仕事はワンオペである。ヒトリノ夜が始まった。
しかしこれが結構大変なのである。納品、廃棄、清掃、ごみ捨てすべて一人でやらなければならないからだ。しかも淡々と。現代社会の孤独を体現したような時間だ。それは映画「ジョーカー」(2ではない)が描いた孤独に勝るかもしれない。
いつか壊れてしまうような思いを一晩中抱え続ければならないなんて…。
そこに楽しさややりがいを重ねるべきではない。人はすべて機械的に働くことを余儀なくされ、笑顔を忘れる。きっとこんな様子を小説に書いたら、その小説はスティーヴン・キング顔負けのベストセラー小説になるかも知れない。
このバイトにおいて最も苦痛を強いられることはなにか。私の経験的観測と蓋然的事実に基づくとそれは2つある。すなわち眠気と果てしない品出し。眠気の方はカフェインを採れば抜け出せぬものでもないが、問題は品出しである。その作業量こそ定量はあるものの、取りかかる前の絶望感といったら、プール内に落としたコンタクトレンズを探す時にも似たようなものがある。即ち果てしない。
それに加え、次の事実だ。つまりお客さんの来客。
それは緊急地震速報のような不安をあおる音(コンビニの入店音)と共に訪れるから厄介だ。
ただ仕事が中断されるというくらいなら別にわけはないのだ。問題はその人が誰であるかだ。深夜のコンビニだからか弱い女子大生の群れが入ってくるでもなしに、大抵は男である。
その男はものすごい剣幕で見つめてくるかも知れないし、早口でわけのわからないタバコのオーダーをするかも知れない。とにかくうまく対応出来ないと命取りになってしまう。
だから私はいつも音には敏感だ。コンビニの入店音が鳴ったら、すかさずその方角を見るようにしている。誰かがその光景を見たならば、まるでチキンのようだ、と私を形容することだろう。
うかつに背中を見せてはならない。
ゴルゴ13は大切なことを私に教えてくれた。
そんな私の元にある来訪者、いや恐怖の足音がやってくることになるとはまだ知るよしもなかった…。
というわけで後半へ。ヒトリノ夜は長い。馬鹿話は本来ここまで長々とするものではないのだが…。