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『晩夏、あの日の寡黙な君へ』

床に就いた記憶の得ぬまま、ふと見た君の寝顔は美しかった。

すべてが上手くいかず、何をするにも邪魔が入ったあの日。
新宿某所一丁目。
喧騒を尻目に、交差点に停る200クラウンを引き留める。

「池袋西口まで。」

渋滞を抜け、目的地へと足早に走る車内には無言が続く。いつもならすかさず口を開く自分も、いつしか歳を経たもの。古びた車のエキゾーストとロードノイズ、時折鳴るガタつきが寄り添う静寂の中、しばらくして目的地に降り立つ。

予約15分前の居酒屋には入れず、最悪。コンビニでアイスを買い路上で食うも、溶解。最悪。だがそんなものはどうでもいい。私にとって、あらゆるしがらみは意味を為さない。為させない。
いつもの個室、いつものワイン、チープな夜景。後は隣で大人しく笑う君の、胸の内を発いてやるだけ。道のりは酷く明確で、手際に狂いはなかった。

「この服いいね、似合ってる。いつ買ったやつ?」
「手首細いね、可愛い。」
「指めっちゃ綺麗、いつネイルした?」

いつものように、一切の狂いなく指を絡める。

「恥ずかしがり屋だよね。甘えたいのに、それを上手く出せないんでしょ?可愛い。」

頭を撫でる。そう、いつものように。

彼女は一切を拒まなかった。そして、寂しがりな性格を表に出さずにいることも知った。
距離が近づく。精神的にも、肉体的にも。

「今日はもう少し一緒にいよう。」

我々は店を出た。
誰もいないエレベーターの中で抱擁し、頭を撫でる。

「ここモニター付いてるよ・・・」

そんなものはどうでもいい。

外へ出る。風の涼けさに季節を感じながらコンビニへ。

「とりあえずジュースにする。」

そう言いながら、彼女はチューハイを手にする。
再び外へ。蓋を開け、静かな乾杯を上げる。
通路脇、ひと通りの無い街、独り輝く看板。

「ここ入ろ。」

連れ込んだ、2人きりの薄闇、静寂。
彼女は一切拒まなかった。

ソファに2人で腰掛け、酒を進める。その傍ら、彼女はPCを開く。真剣な顔、眼差し。片手に収まるような小さな顔。
俺に頬を赤らめ、共に薄闇へと忍び込んだその後、ほんの一瞬仕事に生きる自分へ姿を変える彼女。
彼女は美しかった。

「それ終わったらこっちおいで。」

2人で腰掛けるシーツの上。

「綺麗な顔立ち。顔小さいね。」
「髪めっちゃ綺麗、いい匂いする。」

髪に顔をうずめ、華奢な身体を強く抱きしめる。美しく繊細な手を取る、指を絡める。
まだだよ、まだまだ。いつもなら直ぐに食いつくものを、今はただ状況を楽しむ。

薄明かりが端正な顔立ちを照らす。拳1つも入らない距離の中、見つめあった彼女は力ない目で俺を見る。
さらに距離を詰める。見つめる。そして我々はとても繊細に、静寂に飲まれるよう唇を重ねた。
飽き足らず、今に飲まれていたいとでも云うように、何度も何度も彼女は唇を合わせてくる。

堰を切るように、俺は彼女をそっと押し倒した。
彼女は一切力んでいなかった。

それから暫く。

「俺が今からやりたいのは、コンビニでアイスを買う、飲み物を買う、シャワーを浴びる、それからコンドームを買う。」

「じゃあ全部やろう。」

我々は再び街へ出る。

フロントにて。彼女は"バスソルト"なるものを手に取る。

「なんじゃそりゃ笑 そんなもん使うの?」

部屋に戻り、湯船に湯を張る・・・前に、ジャグジー機能で残水を洗い出した。

「これさ、インスタで回って来ない?これやると前の人のきたねぇ水が出る。」

そんな事を彼女に言いながら蛇口を捻る。

程なくして湯が張る。

「いけるよ、一緒に入ろ」

「さっきシャワー浴びたよ?」

なんて言いながら湯船に手を入れる。
死ぬほど熱い。
こりゃミスったな、なんて思いながら、しばらく2人で冷水を加え、風呂桶で湯を掻き混ぜた。

「ほら、草津スタイル笑」

そういうと彼女は静かに笑っていた。


「うわぁすご」

彼女は静かに微笑みながら泡を掴み、遊んでいる。同い年の彼女は、さながら歳下の子供のように見える。薄闇の中、2人で湯に浸かり、ジャグジーとライトを付ける。

「可愛いね笑 俺もそっち行く」

狭い湯船、けたたましく色の変わる光に照らされる中、2人で肩を並べる。

「熱くなってきたね。」

そう言いながら、彼女の頭に手を回し、向き合い、唇を重ねた。

風呂から上がり、ベッドの上。チェックアウトは11時、時刻は4時。
寝不足は確定、だが寝るには惜しい、またとない夜。
沈黙のまま幾度となく唇を重ね、勢いのまま貪り、身と心と共にシーツを乱した、そんな一夜の話。

「じゃあもう寝よっか、おやすみ。」

そう言いながら、髪に手をやり、狭く感じる広いベッドの中でそっと眠りに堕ちる。


「あんま寂しがり屋じゃなさそうだな」
「私、かなり寂しがり屋だよ?」

「家に一人でいると病みそうだから、時間あったらだいたい出かけてる」「君病むの?」
「病みはしない」

そんな会話が頭をよぎる中、意識は徐々に遠のく。

あの時、どうやって寝たんだっけ。記憶が定かでない。
薄闇と静寂の中、疲れきった彼女に背を向け、床に就いたような。
それと同時に、抱きつき、求めていたどちらか。
そのどちらかは、俺だったような気がする。

『晩夏、あの日の寡黙な君へ』(2024)

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