今朝は二月のケサランパサラン
霧雨53号
テーマ:イニシエーション/通過儀礼
作者:槌野こるり
分類:テーマ作品
その日は、吐いた息も静かに動きを止めてしまうような、空気の冴えた二月だった。
早那(はやな)は遮光カーテンを閉めた二階の自室で、じっと羽毛布団に包まっている。凍てつくような外の寒さとは裏腹に、部屋の中は強い暖房がついていた。赤いギンガムチェックのパジャマは厚手のフランネル生地で、冷気が入り込む隙間などない。
それでも早那は寒気を感じて、枕元のホットココアを口に含む。ぬるくなったココアは、甘さよりも苦さが強く感じられた。赤い水玉模様のマグカップを握る手は、微かに震えている。カップを置いた早那の瞼は、ゆっくりと開いて、今度はゆっくりと閉じる。
「早那」
まどろむ早那の意識を、階下から響く母親の声が覚醒させた。
「なあに」
枯れた声で短く返事をする。声はちゃんと届いただろうか。暖房の効いた部屋で眠っていたためか、喉が酷く渇いていた。
「降ってるけれど、いいの?」
何が、と問いそうになってその答えに思い至る。飛び起きようとするが、熱っぽい身体は上手く反応してくれない。影のきつく落ちた手足が、布団の中を動きの鈍い生き物のように這う。上体を起こそうとして軽い眩暈を覚え、早那は思わず傍らの布団を抱きしめた。
「待って、今行く、待って」
階段を駆け下りた勢いそのままに玄関の扉を開ける。勢いが付きすぎて、玄関前の段差につまずきながら、早那は外に飛び出す。その足が、冷たいコンクリートの道の真ん中で止まった。身震いしたのは寒さのためだけではないはずだ。惚けたような早那の視線が、眼前の道から電柱の脇で揺れるエノコログサ、頭上の曇り空へとふらふらと移動する。
空から、白いものが降っている。形は不規則で、きれいな球形のものもあるが、微かな風に流されて飛んで行く綿毛のようなものもある。雪ではない。温暖なこの街では、これほど多くの雪なんて降ったことがない。コンクリートの地面は相変わらず、無機質に冴えかえったままだ。だけど早那は、その正体を知っている。
「ケサランパサラン……」
ふわふわとした響きは、自分の声ではないみたいで、今でもやけに耳に残っている。
***
ケサランパサランが降った日のことを思い出したのは、冬が始まったからだ。七時にセットしていた目覚まし時計を探り当て、早那は緩慢にスイッチを止める。眠い瞼を擦りながら、それでも何とか身体を起こした。
寒い日は特に、朝起きるのが億劫だ。半分寝ながら顔を洗い、セーラー服のスカーフを結ぶ。何度やっても左右非対称にしかならないのはいつものことだ。髪を梳いて二つにくくり、朝食のトーストをホットココアで流し込む。
早那はキッチンに皿を置いて、荷物置きと化したローテーブルに近づいた。その隅には、ボトルシップでも入っていそうな小さな硝子瓶とベビーパウダーが並んで置かれている。早那はまず小瓶を取り上げて、中身が零れてしまわないようにそっと蓋を開けた。途端、中から白いふわふわしたものが溢れてきて、早那は慌ててそれを瓶に押し戻した。瓶の口を覆った左手が、暴れる何かの感触をしばらく感じて、少し申し訳なく感じる。
「ケサ子にも、朝ご飯あげないといけんね」
右手の人差し指でベビーパウダーを少し掬って、左手の隙間から瓶の中にさらさらとした粉を落とす。綿毛のような物体が、ベビーパウダーにゆっくりと齧りついた。「美味しいかね」と問いかけると、ふわふわの体は中空で嬉しそうに回転した。
ケサ子とは、早那が捕まえたケサランパサランのことだ。両親や友達からは安直すぎるとかダサいとか散々言われたが、今更他の名前をつけるわけにもいかずに、最初に呼んだこの名前のままで十か月間を過ごしている。
あの日早那は、降ってくるケサランパサランを一匹も捕まえることができなかった。降り注ぐ白い群れに見入っているうちに、皆逃げて行ったか捕まえられてしまったかしていたのだ。マフラーと上着を持って追いかけてきた母の声に我に返ったときには、ケサランパサランたちは既に姿を消してしまっていた。
どうしようもないけれど、どうにかしなければいけない。その一心で周囲を見回すと、早那のくるぶしほどの高さを飛んでいるケサランパサランがいた。けれども熱っぽい身体では、飛んでいるケサランパサランを上手く捕まえることはできない。近くのマンションの駐車場まで追いかけて、ようやく捕まえたのはケサランパサランが道の端っこにふわりと着地したときだった。
それがケサ子だ。ケサ子はタンポポの綿毛を丸ごと切り取ったような見た目をしているが、見つけたときは毛の密度も小さくて、このまま消えてしまわないかと心配したものだった。
けれど今ではこの元気だ。与えたベビーパウダーを食べ尽くしたのを確認してから、空気穴付きの小瓶の蓋を元通りに締め直す。ベビーパウダーも蓋をして、小瓶の脇に置いておく。ませた娘なら自分の化粧品をあげそうなものだが、早那はまだ化粧をしたことがない。無香料・無着色のものがいいと聞いたので、ケサ子には学校近くのドラッグストアで買ったベビーパウダーをあげている。
サブバッグを肩に掛け、リュックを背負って玄関に向かおうとして、早那は慌ててキッチンに戻る。ケサ子に白粉をあげるのにかまけていると、自分の方を忘れてしまってどうもいけない。キッチンに置かれた、缶詰なんかを入れておく背の高い棚の、右側の下から三段目。大きなジプロックから、早那はプラスチックの小袋に分けられた二種類の粉末を取り出す。白色の粉末が一つ、淡いピンクの粉末が一つ。早那は慣れた手つきでそれらの封を切り、小袋を逆さにして粉末を口の中に放り込んだ。コップに注いだ水が少なかったのか、口内に苦みを感じて顔を顰める。
左腕にはめた淡いブルーの腕時計が八時を差していた。そろそろ行かないと。気を取り直して、早那は再び玄関に向かう。
紺にアイボリーと紅の差し色が入ったスニーカーは、汚れが目立たなくてお気に入りだ。紐を二回硬く縛って、早那は急いで玄関の扉を開ける。
既に、車のエンジンは掛かっていた。空の色と同じ色をした車体が、早那を急かすように二度、大きく上下に揺れた。
「ごめん、ケサ子にご飯あげてたけん」
トランクに荷物を入れながら一言言って、早那は後部座席に乗り込んだ。助手席には大きなゴマフアザラシのぬいぐるみが鎮座しているから、早那は未だに助手席に乗ったことがない。シートベルトをしたのを確かめてから、母の手がハンドブレーキを緩めて、ゆっくりと車が動き始める。
最近できたベトナム料理屋の角を曲がると、学校まではほぼ一本道だ。この辺りになると、自転車に乗った制服姿が目に付くようになる。その中に見知った顔を見つけて、早那はそっと顔を逸らした。俯いて、地味な紺色のプリーツスカートの裾を直しているような振りをする。彼女たちを追い越してから止めていた息を吐き出して、早那はゆっくりと顔を上げた。
この時間はいつも、緊張する。一限を終えたような疲労感だ。車種で自分が認識されていることはわかっているけれど、直接顔を見てしまうのはやはり、気まずい。
校門前には生徒指導担当の体育教師が立っている。目が合って、早那は少し身体をこわばらせながらも会釈を返した。
母は玄関ポーチではなく、数台分用意された駐車スペースの一つに車を停めた。トランクを開けて、早那は筆記用具と最低限の教科書が入ったリュックを背負う。七限分の教科書が入ったサブバッグを担いだ母が、先に階段を上がって行く。その後ろ姿を見るのが怖くて、早那は三階までの階段をゆっくりと登った。
八時十五分の教室には、人が少ない。冬の朝特有の硝子のような冷気が、開いた窓から机の天板を射す。荷物を置いた母は、一つ会釈をして教室を出て行った。学校ではできるだけ親と関わりたくなくて、その姿から目を背け早那は自分の準備に集中する。
荷物を整理しても、担任教師が来る気配はない。もう受験の時期だから、職員会議が長引いているのかもしれない。開いた物理の参考書が面白くなくて、早那は前の席に座る友人の肩を叩いた。もとより今の時間は、真剣に勉強するつもりじゃなかったし。そう自分に言い訳する間にも、会話が――他人から見ればある種くだらない会話が、笑い声の中を転がっていく。昨日の夜はオムライスを食べた、あのドラマのカップルが本当尊い、てか先生遅すぎるよね――。
早く卒業したい、と友人が呟く。彼女は一年生のときから同じようなことを言っていて、最初は受け流していたけれど、今ではその気持ちが痛い程にわかる。
「え、本当それ」と返しながら、卒業したいんじゃなくて、受験を早く終えたいんだ、と気が付いた。勉強自体は嫌いじゃないけれど、受験勉強は嫌いだ。プレッシャーとか、焦りだとか、自分に起因する目に見えないものでがんじがらめにされて、潰れてしまいそうな感覚。それが重くて、早那では背負いきれない。でも背負わないといけないし、早那にしか背負えない。
面倒で、疲れてしまって、ふっと消えたら楽になれるのにと、早那はときどき思う。
けれどもそんな思いは全部呑み込んで、会話のタイミングを見計らって、早那は別の――ある意味重たい台詞を、その中に混ぜ込む。葛藤にも、自然に聞こえるようにしていることにも、気付かれたくないから、そっと。
「そう言えばわたし、明日病院なんよ。――やけん、なんかもしかしたらLINEするかもしれん。ごめんね」
いいよいいよ、と友人は笑う。けれど本当は、早那のことをどう思っているのだろう。変わった子、人と違う子、可哀想な子……。早那は自分のことをそうは思わないけれど、誰かがそう思っていないとは限らない。でも他人の心を覗いたら早那はたぶん、今自分で思ったよりもずっと傷つくのだと、そう思って思考を止める。
十分遅れで担任教師がやって来て、淡々と今日の予定を話し始める。それを聞き流しながら、早那は雪の降らない中庭に目を向ける。あれが全部ケサランパサランで埋まったら、楽しいのにね。でもそんなこと起こらないでしょ。でも、起こりかねない。異常気象とか、最近言われてるんだから。頭の中の一人芝居は、色んな自分が登場人物として出てくるようで、実は全部同じ容姿に同じ口調をしていた。ならばたぶん、全部が早那と同じような身体をしているのだろう。
生まれつきの病気。ひらがなにしてたった九文字の言葉が、早那を特徴づけている。といっても、容姿は他の人とそれほど違わない。少し小柄なくらいで、見た目では病気のことはわからない。
けれど早那がこの病気で、できないことはいくつかあった。
全力で走ること。マラソン大会なんかはもちろんご法度で、いつもタイム測定かゴールテープの係かをする羽目になっていた。
階段を一気に登ること。去年校舎の改修工事があって、渡り廊下を使っての教室移動のショートカットができなくなったときは大変だった。去年のクラスは四階で、一度に四階分階段を登ろうとすると早那の息が持たなくて、二回ほど踊り場で休むことになる。その間友人を待たせるのも、自分を置いて先に友人がすたすたと階段を登って行くのを見るのも、どちらも早那は嫌だった。
重い荷物を持って長い距離を歩けない。早那の家から高校までは二キロほどで、決して歩けない距離ではない。けれどきっと、歩いてから階段を登ってなんてしたら、早那の体力は持たない。家の近くから学校の傍までの路線バスもあるけれど、重い荷物を持って階段は登れない。自転車で通うという手もあるが、不器用で自転車に乗れなかった。だから早那は、学校まで親に車で送り迎えをしてもらうことになっている。
早那ができないことは、してはいけないことは、他にもある。朝夕の薬は欠かせないし、体力もなくて季節の変わり目や寒暖差が激しいときにはすぐに体調を崩す。
それでも、早那の病気は深刻なものではないと、自分では思っている。幼稚園のときに手術をして、中学校のときまでは年に一度か二度、県外の病院に入院していたけれど、普通の学校生活を送ってきた。それに、高校生になってからは、もっぱら半年に一度の外来診療ばかりだ。
詰まる所これらはどれも、早那にとっては「あたりまえ」のことなのだ。全力で走れないのも、階段を一気に登れないのも、重い荷物を持って長い距離を歩けないのも、薬を飲むのも、全て。物心付いたときから毎日毎日繰り返してきたことだから、今更特に何かを感じることはない。自分が特別だという心持も、普通になりたいという心持も、何も。
ただ「あたりまえ」のことだ。
けれども時折、思うことがある。自分は実は、「できるのにしていない」だけではないのか、と。
これらの「できない」ことを、早那はやったことがない。走ることも、泳ぐことも、階段を一気に登るのも、重い荷物を持って長い距離を歩くことも。できないのは、やった場合に起こり得るリスクが大きすぎるからだ。それはわかっている。自分の経験から身体のことを考えても、わかり切っていることだった。けれども「やったことがない」のに「できない」と言い切れるのだろうか。言い切って、いいのだろうか。
皆が走り、階段を駆け上がり、重い荷物を背負って自転車の列をなしているとき、罪悪感の棘に刺されながら、早那はこんなことを考える。
――本当はできるかもしれないのに、病気だからって言い訳して、わたしはやっていない。
違う、と首を振ろうとしたところで予鈴が鳴った。直前まで考え事をしていた所為か、起立、礼、着席の号令に全部一拍遅れてしまった。
「明後日はクラスマッチです」
思い出したような担任教師の声で、憂鬱な気持ちになりながら早那は机の中をまさぐった。一限は選択科目の物理だ。物理担当の若い男性教師はおおらかで滅多に怒らないが、生真面目な早那は遅刻するのが嫌だった。混雑した戸口を抜け、人で溢れかえる渡り廊下をひとり、急ぐ。
***
クラスマッチ――クラス対抗のスポーツ大会のことだ――の最中、早那は体育館の二階で、友達数人と他愛ないおしゃべりをしていた。サボっているわけではない。もう少ししたら、ここで早那たちの参加する競技が行われるからだった。決して貢献できているというわけではないけれど、参加できるだけで、気持ちは随分と楽になる。
運動会とかクラスマッチとかの運動部が活躍する行事が、早那は嫌いだった。スポーツを見るのは好きだし、そういう行事自体はいつも、それなりに楽しんでいた。けれども自分が「できない」ことで迷惑を掛けているのが、そしてそれを意識せざるを得ないこの時間が、本当に嫌だった。
三か月前、運動会の練習のときのことを思い出す。
その日の授業は競技の練習が中心で、もちろん早那は見学だった。舞う土埃が、熱気に当てられたみたいにくるくると回る。強い太陽の光が、砂の色を一層淡く染め上げていた。校庭の中心では、百メートル走やらクラス対抗リレーやらの練習が行われている。歓声に混じって時折教師の怒号が聞こえて、その度周囲の空気が張り詰める。その様を早那は、伏せられたテントの脇で膝を抱えながらぼんやりと眺めていた。
隣に、誰かが座った気配がした。顔を上げると、早那の視線よりも一段高いところで、寸分の乱れもないポニーテールが揺れた。ダンスが得意で、クラスの中心の、かわいい女の子。
彼女は早那と目が合うと、きれいな笑顔で微笑んだ。早那はそれに曖昧に会釈する。
会話を始めた方がいいのか迷いつつも、何を話していいかわからない。早那はそもそも臆病で人見知りをする性質だったし、彼女のようなキラキラした女子との接し方は特にわからなかった。彼女たちが一瞬の迷いもなく早那に話しかけてくる度に、どうしてこんなに躊躇わずに声を掛けられるのだろうと、酷く眩しく思う。
全力疾走するリレーの選手たちを見ながら、ふいに彼女が口を開く。
「ねえ、見てて自分もやりたいとか、そういうの思わないの?」
自分に話し掛けられたのだと、一瞬経ってから気が付く。
「えっ……と、うーん、その、何ていうか、全力で走ったらどんな感じなんだろう、とかは思う……かな」
「そうなんだ」と彼女は呟いて、再び前を向いた。会話はそれで終わった。
あのときは上手く答えられなかったけれど、本当は言いたいことがたくさんあった。たとえば、普通の身体だったらどんな感じだろう、とか。全力で走ったら、息を止めたら、長い距離を歩いたら、どんな感じなんだろう。そう思うことはある。けれど別に、そうなりたいとか、健康に生んで欲しかったとか、そんなことを思ったことはない。
あの子はわたしのことを、どう思っていたのだろう。どうして、あんなことを聞いたのだろう。聞いてみたかったけれど、早那が答えられなかったのと同じで、本当は、なんて思っても本当、今更だ。
「そろそろ始めましょうか」
審判役の教師に促され、早那たちは立ち上がる。もとより運動が苦手な子たちで集まっているからか、変なプレッシャーもなく気楽にいられるのが嬉しい。それに、早那でも参加できる競技ができて、「お疲れ」しか言えない罪悪感からは解放された。
汗を浮かべて、上気した顔で、荒い息で、早那の元にクラスメイトがやってくるとき、早那は彼女たちに「お疲れ」と言うことしかできない。皆が頑張っているときに、隅っこでそれを眺めているだけなのが、早那は本当に嫌だった。スポーツができる人が、怪我をして見学しているのとはきっと、また違う辛さ。自分が「できないこと」への辛さではない。「やりたい」というのとも少し違う。「病気だから」とそれを免罪符のようにして、自分だけ楽をしているように感じるのだ。皆と同じようにできないのは、早那にとって「あたりまえ」だった。けれどもそれに甘えているふしがあるのかもしれないと、そう思ってしまう。
それを感じずに済むのは、とても楽だ。
早那たちの競技はそれなりにいい結果に終わり、体育館を出て他の競技を見に行くことにする。冷たい風が肌を刺し、早那は小脇に抱えていたダッフルコートを羽織った。
そういえば初めてのクラスマッチでは、コートを着ていたことについて少し言われてしまったっけ。あの頃は皆、早那のことを知らなかった。早那ができないこととか、気を付けなくてはいけないことを知らなかった。だから、人と違うことをしている早那への不信感みたいなものが、言葉となって現れたのだ。
今ではもう、分厚いコートを着ていても、明日病院だと言っても、運動会練習や体育の授業でひとり見学していても、誰も何も言わない。きっと皆、慣れたのだろう。それに、優しい人たちばかりだから。けれども心のどこかでは、早那のことを疎んでいるのかもしれない、と思う。皆と同じです、みたいな顔をしているくせに、皆と同じにはなれない早那のことを。
***
「世の中には、『選ばなかったもの』と『選べなかったもの』がある」
担任教師が告げた言葉に、早那ははっとなって顔を上げる。
十二月も半ばに入った、この日の七限はホームルームだった。受験前ということで自習時間を期待していたのだけれど、二分遅れでやって来た担任教師が配り始めたのは分厚い冊子だった。
卯の花色をした表紙に踊る明朝体の文字を見て、早那はその理由に思い至った。そうか、もうそんな時期か。
「ここに書いてある通り、年が明けると炭焼きがあります」
忘れてた、と誰かが言った。「先生も忘れていました」と生真面目に担任教師が返して、くすくすと笑い声が漏れ聞こえる。
「炭焼きでは、自分が大人になるために『捨てたいもの』を燃やします。そして、燃やしたものの残り――言わば『すす』をケサランパサランに食べてもらうということです」
担任教師が冊子のページを一枚捲る。序文には、もっともらしい修辞を並べて、炭焼きの意義や起こりが書かれていた。曰く、自分が「捨てたいもの」を燃やすのは、「大人への通過儀礼」であると。その「捨てたいもの」というのは自分が「選ばなかったもの」や「選べなかったもの」で、それへの思いを燃やすことで大人になる、ということらしい。そしてこの実習を通して、自分の高校卒業後の進路や将来について思いを巡らして欲しい、とも。
「世の中には、『選ばなかったもの』と『選べなかったもの』がある」
この言葉も、その中に並ぶ一つだ。
選ばなかったものと、選べなかったもの。似ているようで、その本質は全く違う。自由意志なのか、どうしようもなかったのか。
選ばなかった、と言ってしまうことで少し、自尊心は満たされる。けれどその分虚しくなる。それが選べなかったものだったのなら、なおさらだ。
「先生は何燃やしたんですか」と、陸上部の派手な女子が無邪気に尋ねる。この学校は教師の卒業生比率が高い。早那たちの担任も、無論この学校の卒業生だった。
「先生は――忘れました」
尋ねた女子がけらけらと笑うのを横目に、早那は思う。先生が燃やしたものを「忘れた」のなら、それはちゃんと「捨てられた」ということだ。大人になれた、ということだ。
――大人になりたい。
心の中で呟く。入学したとき、三年生の先輩たちはとても大人に見えたのに、いざ自分が三年生になっても、自分は何も変わらない。容姿も内面も、幼いままだ。わたしは一体、何を捨てたら、大人になれるだろう?
けれども、同時にこんな行事ひとつで大人になれるなんてことを、早那は信じていなかった。これはきっと、おまじないみたいなものだ。『捨てたいものを燃やす』というその行為にしても、誰も本気で何かを捨てられると信じているわけではない。
それよりは、ケサランパサランの方が信じられているとは思う。
実際にその現象を見ているから、皆そのリアリティだけは疑えない。ケサランパサランの形状は植物型・動物型・鉱石型と様々で、その重さも種類によって違うけれど、どれも宙を舞うのは共通している。鉱石型は手のひらに載せるとずっしりしていて、こんなものが宙を舞うのはどう考えても物理法則に反している。だからもっともらしい。
けれど元々、炭焼き実習とケサランパサランは何の関係もない行事だった。一年で一番寒い日にはケサランパサランが降り、十八歳は「大人になる」ために捨てたいものを燃やす。それが一緒になったのは何十年か前、映画に影響された一人の生徒の所為だと言われている。毛玉みたいなケサランパサランに炭焼きで燃やした残りのすすを与えたら、真っ黒の毛玉になるのだろうか。そんな素朴な疑問を試したところ、ケサランパサランは見事にすすを食べ尽くし、それどころか「捨てたい」と願ったものをきちんと「忘れられた」のだ。
それをきっかけにして、高校二年生の冬にケサランパサランを捕まえて一年間育て、炭焼き実習で燃やしたすすを食べてもらう、という現在の行事の基本が出来上がった。生徒たちは炭焼き実習で、自分の「捨てたいもの」を今までケサランパサランを育てていた小瓶に入れて燃やす。ケサランパサランにはそのすすを食べてもらって、そして空に返す。これらの行事が行われるのは、その年のケサランパサランが降った日、つまりその年で一番寒い日から一週間後。そう決まっている。
一年で一番寒い日は年によってまちまちだから、炭焼き実習の日も毎年違う。けれども大抵は一月か二月の、共通テストが終わってからのことだ。だから高校三年生の二月、自由登校の時期に、生徒たちは一日だけ学校に集まることになる。
受験を終えた者と、今からが本番の者。一年で一番寒い日から、ちょうど一週間後。冷えた校舎の壁と、田舎の街特有の閉塞感。半透明に凍り付くような二月の空気感と、受験時期特有の緊張感。
その空気はきっと、ここにしかないものだ。
どこか物語のような非日常を、早那は少し、楽しみにしている。
ホームルームを終えての帰り際、玄関前で体育教師に声を掛けられた。珍しい出来事に不穏な予感を覚えながらも、早那は律儀に足を止める。体育教師は貼り付けたような愛想笑いを浮かべて、早那に尋ねた。
「ケサランパサラン、ちゃんと育てられているか」
やっぱりそうか。溜め息を堪えながらも返事をしようとする早那を無視して、体育教師は続ける。
「お前、あの日に休んだよな」
そこで多少合点がいく。ケサランパサランが降った日に学校を休んだ早那のことを気にして、声を掛けたらしい。あの日は二年生のマラソンの時間にケサランパサランが降って、そのおかげて皆「質のいい」個体を手に入れたのだと、体育教師は言う。
余計なお世話です、と言ってみたい気分だ。そんなこと、先生には何の関係もないことなのに。再びの溜め息を押し込んで、早那は「ケサランパサランは元気です」と答える。
「写真見せてみろ」
スマホ持ってるだろう、と何でもないことのように体育教師は言ってくる。校内でのスマホ使用は禁止されているし、そもそもこの人は生徒指導担当ではなかったか。けれども早那には積極的に逆らう理由はない。リュックの内ポケットを探り、大人しくスマホを取り出す。
「どうぞ」
差し出した画面には、タンポポの綿毛のような姿をしたケサ子が写っている。それを見た体育教師は、同情するような、早那と重ね合わせるような――本人が病弱だから、こんなに頼りなさそうな個体になるのだ――とでも言いたげな目をして、早那にスマホを返した。
そんな目で見ないで。そう叫び出しそうだった。早那にとっては「あたりまえ」のことが、他人の言葉の所為で、視線の所為で、罪悪感が拭えなくなる。
去って行く体育教師のがっちりとした背中を見ながら、怒りと無力が混ざり合って、早那は震えが止まらなかった。
あの人たちは、本心では早那のことがわからないのだろう。否、わかろうとはしてくれているはずだ。気に掛けてもらっているし、恵まれているとは思う。けれども健康なあの人たちには、早那のことは絶対に、わかれない。
***
翌日の放課後は、冬休み前最後の進路指導だった。
進路指導室の白い壁には、所狭しと偏差値やら大学一覧やらのポスターが貼られている。今週末にまた行われる模試の問題だろうか、コピー機の横には段ボール箱が何箱も積み上げられていた。その狭い隙間を縫って置かれた黒い合皮張りのソファに、早那は進路指導担当の公民教師と向かい合って座った。
「物理の成績、大分安定してきたな」
公民教師の眼鏡の奥の細い目が、更に細められる。早那は素直に微笑んだ。理系を選んだというのに、早那は物理が苦手だった。模試でも得点が伸びずに、秋の頃までは百点満点で二十点や三十点を取ることも珍しくなかった。それでも十二月に入ってやっと、危機感というか本気で勉強をする気力が出てきた。時間が足りないことに今更気が付いて、焦る気持ちもある。それでも今は、目の前のノルマをこなさないと先に進めないのだと自分に言い聞かせて、休み時間も放課後も、ひたすらに手を動かしていた。
早那が目指しているのは、この学校から今まで誰も受けたことのない大学だ。ほとんどの生徒が県内の大学を目指していて、そもそも三分の二が文系だ。早那のように理系で、県外の大学を志望している女子など、他にいない。そして早那は比較的、成績が良い方だった。今の実力ならば安全圏に到達できるくらいには。だから夏休み明けの時期にはまだ、謎の余裕を持っていた。どうせできるでしょう、と思っていた。
けれどそれだけではなかった。心のどこかに、別の選択肢があったのではないか、と思う気持ちがあった。迷いがあった、と言い換えてもいい。思えば高校受験のときもそうだった。漠然と、小さいときから憧れていた高校があった。不登校になった時期があって結局偏差値が足りず、その高校は受験しなかった。それがずっと心に引っ掛かりをつくっていた。
この高校に入りたくなかったわけではない。どこかのんびりした雰囲気も、カリキュラムの自由度の高さも、魅力的だった。入学してからは今まで経験したことのないような出来事の連続で、毎日が本当に楽しかった。
現状に不満があるわけではなかったし、やりたいことも見つかった。きっとこの学校でなければ見つからなかったことだ。先生たちにも恵まれて、二年生のときに授業の一環で関わることになったこの公民教師は、本当に親身になって進路相談にのってくれた。
それでもあの頃、早那は時折考えることがあった。
あの高校に入っていれば、どうなっていたのだろうか。
もっと勉強を頑張っていれば、もっと偏差値の高い大学を目指せたのではないか。
「選ばなかったもの」を選んでいたら、未来はどうなっていたのだろうか。
たとえば、心理学。早那は小さいときからミステリ小説が好きで、中学生のときには漠然と、犯罪心理に興味があった。その夢を、早那は選ばなかった。本気で関わってみて、これは自分には向いていない、自分のやりたいこととは少し違うと気が付いた。未練はない。けれどもこの道を選んでいたら、未来はどう変わるのだろうか。
たとえば、建築。昔からアニメに出てくる建築物を見たり、何かのデザインをしたりするのが好きだった。その道を、早那は選ばなかった。その道に進める程の画力は持ち合わせていないし、一番やりたいことではないのだと感じていた。ある種憧れているだけだ、と。けれどもこの道を選んでいたら、未来はどう変わるのだろうか。
けれども今更、それを選び直して試そうという気はない。過去にはもう戻れない。
早那は今まで、挫折らしい挫折をしたことがなかった。失敗するのが、失敗して怒られるのが、普通からはみ出してしまうのが、優等生を保ってきた早那にとっては、とても怖かった。だから安全圏を選んでいく。だがそれよりも嫌なのが、そういった自分の臆病さだった。それから、あり得たかもしれない別の選択肢から目を逸らせずにいるようなところも。そして偏差値だとかを気にしている、つまらないプライドも。
それをやっと捨てられたのは、冬になってからだ。あのとき漠然と捨てたかったものや、あり得たかもしれない選択肢には未練はない。退路が絶たれた、ということもあるのかもしれない。もうやるしかないと、早那は覚悟を決めている。
「そういえば、炭焼きで何燃やすかは決めたか?」
公民教師に唐突に問われて、一拍返事が遅れる。詳細な説明が行われるのは冬休み前――ちょうど今くらいの時期だが、行事自体については、三年生になると心のどこかで意識されるものだった。中には入学したときから燃やすものを決めている人もいて、これを目的に入学した生徒もそれなりにいるようだった。
「――まだ、決めてないです」
「あ、そう。――あんまり考え込まなくても、どうせおまじないみたいなものやから」
公民教師はきっと、物事を思いつめがちな早那のためにこう言ったのだろう。けれども今の早那には、その気遣いが逆に心に引っ掛かった。
おまじないじゃなくて、本当に、こういったものを捨てられたら良かったのに。そうすれば、きっと大人になれるのに。
そう真剣に願う自分は、やはり幼いだろうか?
進路指導室の外に出ると、早那の友人と出くわした。教師の一人に用があるのだけど、まだ戻ってきていないらしい。ふと思いついて、早那は彼女に尋ねる。
「ねえ、何燃やすか決めた?」
「まだ決めてない」と彼女は答える。逆に早那に、「もう決めたの?」と聞いてくる。
「ううん、わたしもまだ」
こんな短いやり取りの中でも、軽く聞いているように見えて、その内側では腹の探り合いのような真剣さが滲んでいた。
この中の誰も、炭焼きの日を境にして大人になれると、何かを捨てられると信じている人はいない。けれどケサランパサランがいるから、単純なおまじないよりは信頼できる。燃やすだけでは捨てられないものを、ケサランパサランの力で捨ててしまう。ケサランパサランの力は誰もが知っているから、必然的に炭焼きの方も真剣になる。
だからこれが、何かを変える切っ掛けになると思っている人は、たぶん結構多い。
早那も、そう願うひとりだ。
校門を出ると、外にはもう夕闇が迫っていた。学校脇を流れる水路に近づきすぎないように、慎重に足を進める。バス停に着くと、つい五分前に帰りのバスが出たところだった。それまでは一時間に三本走っていたのに、昨年の時刻表改定で一時間に二本になったのが恨めしい。くたびれて今にも壊れそうな青いベンチに腰かけて、早那は仕方なく単語帳を取り出す。
学校周辺は静かなところだ。街灯も少なく、夜間に一人で歩くのは少し怖い。いつもはバスを待つ生徒たちでもう少し賑やかなのだけど、授業はとっくに終わっているが部活の終了には早いという中途半端な時間のためか、今日は早那しかバス停にいなかった。
時折、自転車の生徒たちが目の前を通り過ぎる。その中に部活の後輩の顔を見つけて、気が付かれないように単語帳を熱心に眺める振りをする。
待ちくたびれた頃に、ようやくオレンジ色をしたバスがやって来た。柑橘類が街の特産とだけあって、バスも路面電車も皆鮮やかなみかん色をしている。けれども実は、塗り替えられる前のクリームとオレンジのラインが入ったレトロなデザインの方が早那は好みだった。素朴な感じがして、ほどよく都会でほどよく田舎のこの街によく似合っていると思っていた。
バスは、早那ひとりを乗せて動き出す。今日は人がいないから、運転手の斜め後ろのやや広い席を陣取ることができる。この席は窓が近い。早那はバスでも電車でも、そこが見知った街でも旅の車窓でも、外の景色を眺めるのが好きだった。
光に乏しい道を、バスは進む。ベトナム料理屋のある交差点で、道は大通りと交わる。ガソリンスタンドやドラッグストアからの照明で、少し周囲が明るくなった。けれどもバスは大通りの方に曲がることはなく、今度は川沿いの道をまっすぐ進んで行く。
この辺りまで来ると、家が近づいた気分になる。実際橋を越えれば、早那の家はすぐ近くだった。早那も、小さいときは河川敷の遊具でよく遊んだものだ。今でもときどき、気分転換としてブランコを漕いで遊んだり、川べりのコンクリートの堤防に座って勉強したりすることがある。
時間調整のために、バスが珍しくバス停で止まった。川向うから届く、人工的にあたためられたマンションの光を眺めながら、早那は先程の出来事を思い返していた。
階段を降りていたところで、荷物を抱えた女性教師とすれ違った。その教師は早那の部活の顧問で、この秋から産休のために学校を休むことになっていた。ニットの服を着ていたので、お腹のふくらみが見た目でもわかる。早那はぺこりと会釈をして通り過ぎた。その教師もにこりと微笑み返して、そのまま階段を登って行く。
「持ちましょうか?」
三段上から、鈴を転がしたような声が聞こえた。通りがかった、早那のクラスの子だった。女性教師は一瞬言葉を止めてから、「じゃあ、お言葉に甘えちゃおうかな」と笑った。
おまけのように荷物を持ちながら、早那の頭の中では羞恥心と悔しさと情けなさがぐるぐると回る。
悔しかった。自分が恥ずかしかった。薄情な人間だと思った。
早那は自分のことを、普通の人間だと思っている。けれども本来、健康でない自分は「普通」とは縁遠いはずだった。「明日病院で」なんて言っても、友達は身体のことを普通に受け入れてくれる。女子で、理系で、県外志望で、他にはあまりいないような進路を望んでいても、親はそれを肯定してくれる。皆が普通に接して、できないことを受け入れてくれる。早那は平々凡々な普通の人でいられる。
それはとても恵まれていることだった。
だから早那は今まで、「普通の健康な身体に生んで欲しかった」みたいなことを思ったことはない。変な特別扱いをされることは嫌だし、早那のような人を聖人かのように扱って視聴率と涙を誘ってくるテレビ番組なんかは本当に苦手だ。
けれども今、恵まれているということの副作用みたいなものを、早那は自覚した。
自分は多くの人に支えられてきたはずなのに、それが「あたりまえ」のようになっていて、それを返そうとする発想が出てこない。薄情というか、感謝の気持ちがどこか薄い。
それは目指すべき進路にも現れていた。同じような病気を抱えた子には、医療従事者を目指している子がとても多い。お世話になったあのお医者さんや看護師さんみたいになりたいと、恩返ししたいと思っている子が多かった。
けれど早那はそう思わなかった。特に医療との繋がりなんかを考えず、自分のやりたいことをしようとしている。確かに医師や看護師たちのことはすごいと思うが、それを自分もしたい、受けた恩を返したいとは思わなかった。
選択に後悔はしていない。けれど多少の後ろめたさは、今でも早那に付き纏っている。
世話をされることに慣れて、周囲に甘えて何も返さない自分。
薄情で、優しくもない身勝手な自分。
それを突きつけられた気がして、あのたった数分の出来事が頭から離れない。
ぼーっとしているうちに、バスが自宅の最寄りにまで近づいていた。見知った風景に気が付いて、早那は慌てて降車ボタンを押す。バスはいつもより数メートル長く走って、ケーキ屋の目の前で扉を開けた。ケーキの焼ける甘い匂いを吸い込みながら帰るのが、早那の密かな楽しみだった。けれども今は、そんな気分にはなれない。
見つけた石ころを蹴飛ばしながら、早那は考える。
「優しくない自分」を燃やしてしまえたなら、自分は優しくなれるのだろうか。
あくまでおまじないだ。それはわかっている。だが変わりたい自分も、捨てたいものも多すぎて、どれかひとつくらいはおまじないに頼りたかった。
いつの間にか、冷たい雨が降っていた。早那は水溜まりを踏みつけながら歩く。お気に入りのスニーカーの縁が、ぐしゅりと音を立てた。
***
冬休みの最中に、早那は十八歳になった。それとなく話を出したのにも関わらず、友人たちからは誕生日の存在を忘れられていた。冬休み生まれはいつもそうだから、誕生日を忘れられるのにももう慣れたけれど、やはり少し悲しい。だが両親はケーキを買ってくれたし、互いに受験生とあって中々会えない他校の親友からは、熱烈なお祝いLINEを貰った。
『そういえば、これで来年の四月から成人やね。おめでとう!』
パステル調のペンギンが寝転んでいるトーク画面で踊る文字列を見て、思い出す。そうだった。すっかり忘れていた。
早那たちの世代から、成人年齢が引き下げられて十八歳となった。早那はだから、来年の四月一日から成人ということになる。けれども実感はまったく湧かなかった。
二十歳の誕生日が来たら、お酒を開けて、それを飲んで、大人になったのだと感じる。その予定だったのに。
「成人する」「大人になる」ということはとても特別なことで、それがただ何もない日の狭間で移り変わってしまうのが、早那は嫌だった。これが一つ下の世代になると、十八歳になったその日が大人になる日だから、自分たちが二十歳になって味わうはずだったことと何も変わらない。
大人になるための「通過儀礼」は特別なはずなのに、それはいつも早那の側を澄ました顔で通り過ぎてゆく。
思えば少年式のときもそうだった。少年式は十四歳、つまり昔の元服の年齢になったときのお祝いの行事だ。早那たちの住む県独自の行事だということは、実は最近知ったのだが。
他の中学校には、夜通し歩いたり生徒たちで歌をつくったりという伝統があるところもあったが、早那の通っていた学校では、年によって少年式の記念行事の内容は変わっていた。早那の一つ上の世代は、街のシンボル的なお城の天守閣から、大声で抱負を叫んでいた。その姿はまさに大人になるための「通過儀礼」に相応しいように思えて、来年は自分もこうなるんだと憧れたものだった。けれども早那たちの世代は、定年間近の美術教師の気まぐれで、寒々とした体育館で写真を貼り合わせたモザイクアートをつくらされることとなった。しかもできたのは誰でも知っているような美術作品で、それをテストに出しますから覚えてくださいねと、とぼけた顔で美術教師は言った。
冗談じゃない、と思った。こんなもので大人になった実感なんて湧くはずがない。
だからせめて、二十歳のときはと思っていたのに。
ああまったく、わたしたちの世代だけ損をしている気がする。
早那はよく、そう感じる。中学校の修学旅行では、せっかく仲良しグループで同じクラスになれたのに、他のクラスの教師が文句を言って、結局班のメンバーはランダムにされた。 高校は修学旅行がなくて、代わりに何度も行ったことのある場所で数時間だけ観光をした。やけに分厚くてダサい体操服は、早那たちの一つ下の世代からお洒落なメッシュ素材のものに変わったし、一人一人が課題を研究できるのが売りの授業は、カリキュラム変更の割を食って、グループでの研究に変更された。
一つ一つは大したことではないが、こうも揃うとさすがに嫌気が差してくる。
炭焼きではちゃんと、大人になれたと、これは「通過儀礼」に相応しかったとそう思えるようでありたい。早那は心底、そう思っている。
模試の日の帰り、年の瀬も間近に迫る中で、早那は近くのアーケード街にショッピングに来ていた。炭焼きで燃やすものは決まらないし、ケサ子のお世話もこのままでいいのかわからないし、何より受験勉強がストレスだったのだ。
街の中心に位置するアーケード街は、たぶんこの街で一番賑わっている。アーケードの前の大通りにはみかん色の路面電車が走り、飲食店やカラオケ、お洒落なカフェなど、最近は若者向けのお店も増えてきた。アーケードをずっと歩いて行くとまた別のアーケードが現れて、その終点は市駅に繋がっている。アーケードの前はというと、そこは緩やかな坂になっていて、途中には城山へ登るためのロープウェーの乗り場があった。この道沿いにはミステリ小説の品揃えが豊富な古本屋があって、早那も贔屓にしている。勉強の息抜きに、久しぶりにそこで本を買い込んでもいいかもしれない。
そう思いながら坂を歩いていると、郵便局の脇に小さなお店を見つけた。看板に踊る「シルク」の文字を見て、思わず足を止める。奥まったところにあるお店なんて、敷居が高く感じて普段は入らないが、今日の早那は大胆だった。
少し緊張しながら、白練色のなめらかな壁が印象的な店内に足を踏み入れる。制服姿の早那を見留めて、店員らしき女性が声を掛けた。
「あ、その制服……」
「え?」
女性は早那の着ている藍色のセーラー服を指さした。少々クラシカルとも評される、藍色の長袖に赤いスカーフの、何の変哲もない制服だ。戸惑う早那に、女性が笑い掛ける。
「実は、うちの子もその高校なのよ」
「そうなんですね」と答えながら、思いがけない出来事に少し嬉しくなる。こんな偶然の出会いというのに、早那は憧れがあった。
それからしばらく、高校の話で盛り上がる。体育教師が怖いだとか、研究の授業では何をしたのかとか、進路の話題だとか……。
「目指している大学が繊維系で、それで気になって」
お店に入った理由を聞かれて、早那はそう答える。
「すごいね」
店員はそう言って、「頑張ってね」と飴をおまけしてくれた。
すごい。早那の何がすごいのか、自分ではよくわからない。この学校には珍しい進路を選んだことか、あるいはその言葉に深い意味はなかったのかもしれない。
それでも早那は嬉しかった。褒められると嬉しいのだと自覚して、マフラーの下でにやにやしてしまう。
前にも一度、そう思ったことがあった。数か月前、秋のことだ。
早那は小学生からずっと、書道を習っている。高校の部活ももちろん書道で、夏休みに書いた大きな作品は、全国規模の展覧会の県予選みたいなものに出品していた。そこに出品した作品は全部、毎年秋にお城近くの美術館に飾られていて、出品者はそこで審査員からの講評を聞くことになっていた。
早那たちの部活は一週間に一度だけだが、他の高校では毎日部活があるところも多く、展示されているのは大きな紙に漢詩や古典の臨書が書かれたような作品が多い。講評の合間にそんな作品を見ていると、字の美しさと精巧さに圧倒された。
早那の番が来て、審査員の周囲にできた輪から、おずおずと一歩進み出る。元々口下手なのもあって、自分の思いとか工夫した点だとかを皆の前で聞かれなければいけないこの時間が、早那は本当に苦手だった。早く終わってくれ。そう思いながら視線を伏せる。
中年の女性の審査員の質問につっかえながら答え、小走りで輪の中に戻る。早那の作品に向き直った審査員が、笑顔になって口を開く。
「まずこの作品ね、すごくパワーを感じます。先程『受験とかの嫌なことに打ち克つ』という意味を込めて書いたと言ってらしたんですけれど、その思いが伝わってきます」
早那が書いたのは、「破」という字だった。ただ書いただけではない。周囲に自分の打ち破りたいものを書いた淡い色の紙を貼り付けて、その上に大きな筆で「破」という字を書いたのだ。昔から身体の小柄さに反して字だけは大きくて、黒々とした墨は余白にまで飛び散り、勢いがありつつもどこで墨を飛び散らせるか考えられた「破」という字は、作品の中央で強烈な存在感を放っていた。
「最近は、こういった創作作品は珍しいからね。皆さんもどんどん挑戦してもらったらと思います。そして、最後に」
早那は顔を上げた。にこりと笑った審査員と、視線がかち合う。
「こんな字を書けるのだから、受験もきっと乗り越えられると思います。頑張ってね」
ありがとうございます、と頭を下げながら思った。褒められると嬉しいんだ、と。漫画でそんな台詞を読んだことはあったけれど、実感するのは初めてのことだった。
誰かに褒められると、嬉しい。そして少し、自分に自信が持てるようになる。秋の展覧会のときも、今お店の人と話したときも。
坂を下りながら貰った飴を口に放り込む。ミルクのようなほんのり甘い味が、憂鬱の薄い膜を纏ったような心持を和らげていく。思わずスキップすると、スニーカーの靴紐がぱちんと石畳を叩いた。
***
受験生の冬休みは短い。ただでさえ模試の予定が詰まっているのに、年が明けるとすぐに登校日がやってくる。
教室の話題は、ケサランパサランのこと一色だった。冬休みの間にこれだけ成長しただとか、ここの白粉がおすすめだとか、最近は手に乗って来て甘えてくるだとか――。絶対にオカルトを信じなさそうな理系男子まで、真剣な顔で話に加わっているのが何だか可笑しい。
この時期になると、LINEのアイコンをケサランパサランの写真にするのが流行り出す。クラスLINEのメンバーのアイコンには、手のひらサイズはありそうなもっふもふの毛玉だとか、きれいに成長した結晶の写真が並んでいた。早那は憂鬱な気持ちで画面をスクロールする。ケサ子はふわふわに成長しているけれど、それでも大きさは卓球のボールくらいだ。
「この子のケサランパサラン、結構小さい? ケサ子ともしかしたらあんまり変わらんかも。この人絶対世話サボってたでしょ」
呟いて、早那は冷水を頭から被ったような――生憎経験したことはないけれど――感覚を覚える。暖房の効いた部屋の中、すうっと頭の芯が冷えていく。
もしかしたら無意識のうちに、自分と誰かを比べて、見下してはいなかっただろうか。早那はその心持を否定できない。それはきっと、早那の見かけが健康な人とそれほど変わらなくて、マラソンや階段を急いで登ることができないことを除けば、普通に生活を送っているからだ。手術をしていなければ、今のような生活は送れていなかったかもしれない。それでも今の早那は、普通じゃないけれど、普通だ。
「いやでもうちのケサ子が一番かわいいし」
首を振って、頭をよぎった澱んだ考えを追い払う。勉強道具が所狭しと並ぶ机の隅から、ケサ子を入れた硝子瓶を取り上げて、その蓋を開ける。
綿毛のような姿が、早那の手のひらの上で大きく跳ねた。
「人は人、自分は自分」って言葉、結構真理かもしれない。
その気持ちも束の間、十日後の共通テストの結果は散々だった。
文系科目はできたものの、数学が難しすぎて、試験終了の瞬間には「ああ、人生終わった」と本気で思ったものだ。結局のところは、どの科目も思いの外よくできていたけれど、やっぱりもう少し以前から本気でやっていればよかったな、と思う。
「まあ、大事なのはこれからやけん」
机に向かう早那の横には、ケサランパサランが入った小瓶が置かれている。時折、早那を応援するかのように、その中で綿毛が揺れる。
けれどケサランパサランとたわむれても、友人と話をしても、過去の自分を思い返してみても、燃やすものはまだ、決まらない。
この年にケサランパサランが降ったのは、去年と同じくマラソン大会の日だった。
既に受験を終えた生徒も多い中、早那の受験本番はこれからで、その日も学校で過去問の解説をしてもらうことになっていた。誰もいない教室で数学の参考書を開く早那の視線の先を、何か白いものが通り過ぎる。顔を上げると、ケサランパサランが降っているのが教室の窓越しに見えた。
早那の心に、どこか解放されたような気持ちが沸き上がってくる。それは今だけではなく、高校三年生の二月の間、ずっと感じていたものだった。受験のプレッシャーから解放されたわけではないのに、どうして。
一心不乱にケサランパサランを捕まえようとしているマラソン中の下級生たちの姿が見えて、早那はその気持ちの元に気が付く。
一年生のときからずっと、持久走は見学だった。当然だ。持久走は早那がしてはいけないことの一つだった。けれども皆が走っているのを見ているときには常に、罪悪感が付き纏っていた。
皆が大変そうなときに、ひとりだけ楽をしているような罪悪感。病気を免罪符にしているような心持。
運動会練習やクラスマッチの中でも、普段の生活の中でも時折、感じることだ。
もしも自分が病気でなかったとしても、早那には自分が運動ができているというイメージは湧かない。昔から外に出る機会が少なかったとあって、小柄で体力はないし、そもそもの話不器用なのだ。体力テストの握力やハンドボール投げのような早那がやってもいい種目でも、早那は毎年悲惨な記録を叩き出していた。
そんな自分が、もしも普通の、健康な身体だったなら。何をするにもきっと、迷惑を掛けてばかりいるだろう。それが病気だというだけで、許されているような感覚。それに自分ができない所為で、誰かの負担が増えている現状が嫌いだった。
それを自分が覚えるのが辛い。
あたりまえのことだから、仕方がないのだと割り切れない。
本当は、皆と一緒に何かがやりたかった。迷惑を掛けずに、貢献できる機会があればよかった。
でも、それをする環境にはまだない。
大人になれたなら、こんなふうに罪悪感を抱く機会も減るのだろうか。
炭焼きの日まで、あと一週間。
その日の天気予報は、曇りだった。おそらく延期にはならないだろう。
何を燃やすのか、何を捨てるのか、早く決めないといけない。
いつの間にか窓の外には藍色をした雨空が広がり、窓硝子に憂鬱な文様を描き始めていた。
その日から、雨は降り続いた。
二階の自室で、ノイズと化した雨の音を聞きながら、早那は赤本の化学の問題を解いていた。この時期になると、ひたすら赤本を解くぐらいしかできることはない。その中で疲れてしまって、ときどき非日常に逃げてしまいたいと思う。けれどももう、やりきるしかないというのもわかっている。だから早那は問題を解く手を止めない。ぼんやりと明かりの灯った部屋に、ペンを動かす音と雨音だけが響く。
「休憩でもしよか」
一年分を解き終わったところで、シャープペンシルの芯を戻す。一度大きく伸びをしてから、机の端に目をやった。いつものように、ケサランパサランが入った硝子瓶が置かれている。
早那は瓶越しに、綿毛のようなケサランパサランを見つめる。炭焼きまであと一週間ということは、ケサ子といられるのもあと一週間ということだ。けれど「ありがとう」も「さようなら」も違う気がして、結局いつも通り「ケサ子元気?」だとか「ケサ子かわいいね」なんて話し掛けている。その度に、ケサ子がふわふわと揺れる。言葉は話せないけれど、気持ちが伝わっているという感覚を確かに感じる。
少し、夢想的すぎるだろうか。
それでも、信じたいとは思う。
「ねえケサ子」
小瓶の中からケサ子を出して、吹き飛ばしてしまわないようにそっと、手のひらに乗せる。
「わたしって……何やろうね」
そう呟いて、頭の中に好きなものを思い浮かべてみる。
ミステリ、習字、化学、それにもちろんケサランパサラン。どれも早那から切り離せないものばかりだ。きれいなものも好きだった。万華鏡、オルゴール、スノードーム、ストームグラス、金平糖、硝子細工、香水瓶、ステンドグラス、透明標本、球体関節人形、教会建築、廃墟に廃線、ダムに沈んだ村……。
まだまだある。
レトロな建築、ゴスロリ系の服、真夜中の街、雨の日の空気、ミモザの花、金木犀、ラピスラズリ、チョコミントアイス、ペットボトルのジャスミンティー、近所のケーキ屋さんのガトーショコラ。近くの商店街のコロッケ屋さんのコロッケも好きだった。高校生になったら絶対に買い食いすると決めていたのに、小学生のときに閉店してしまった。あとは、同じく近所にあったたい焼き屋さんのたい焼き。よく親友と連れ立って買いに行ったものだ。
ベリーレモネードソーダと、夕暮れ時のベリーレモネードソーダの色をした空も好きだ。あの空の色を、どこかに写し取ってしまっておきたいと思う。憧れるのは運河のある街、坂のある街、蜃気楼の出る街、霧の出る街、路面電車の走る街……。海の近くの街にも憧れる。
この中には、早那が一生出会わないであろうものも、手が届かないであろうものもあった。けれど早那はそれらが好きだ。憧れる。してみたい、行ってみたいと思う。
だって、それが自分を構成する一部だから。たとえ手の届かない憧れであろうと、諦めるのではなく夢想して、自分の中に取り込んでしまえば、それはもう自分だけのものになるのだ。
反対に、嫌いなものは何だろうか。
早那は少し考えてから、いくつかのものを口に出してみる。
「葱、でしょ。階段登るのも嫌いやし、高圧的な根性論者も嫌い。あとはネタバレを平気でする人と、ミステリを最後から読む人は許せないな」
それだけだった。たぶんもっとよく探せば、他にもあるのだろう。けれども嫌いなものは好きなものよりもずっと、数が少ないことは確かだった。
やっぱり自分は、恵まれているのだろう。
そしてそんな今の自分が、早那は嫌いではなかった。
好きと大手を振って言えるわけではない。顔がかわいいわけでもなく、すぐに体調を崩すし不器用だ。身長もあと十センチくらいは欲しかったとよく思う。
それでも早那は、今のままがいいと思っている。この自分でよかったと思っている。
今の自分の持ち物を――好きなことや嫌いなこと、価値観を忘れないままで、大人になりたい。曲げたくないし、自分の根っこは変えたくない。
「やけん、わたしは――」
そう。もう決まった。ようやく決められた。
早那の「捨てたいもの」は――。
***
天気予報はあいにくの外れで、炭焼きの日は眩しいくらいの晴天だった。
そうは言っても二月ももう中盤だ。グラウンドに流れ込む風は冷たい。あの分厚くてダサい体操服が、三年間で唯一役に立つ日だった。
四人一組の班は、皆気心の知れた友人ばかりだ。準備が整うまでの他愛もないおしゃべりが、いつもにも増して大切なもののように思える。
周囲からは笑い声が絶えない。ほとんどの生徒が一回は受験を終えているとあって、皆はしゃいでいるのだろう。早那のような、これから二次試験を控えた生徒にとっては、今日が受験前最後の、そして高校生活最後の羽目を外して遊ぶ日だ。
「もう始まりますよー」
担任教師が声を張り上げても、クラスメイトたちの喧騒は止まない。学年主任の化学教師が、苦笑しながら彼らを諫める声が聞こえた。
「皆小瓶とケサランパサラン持って来ましたか―」
「忘れましたー」とお調子者の男子が答えて、担任がずっこける。
「そういうこともあろうかと――」
「おお?」
「先生は何も持ってません。購買でちょうどいいサイズの瓶を買ってきてください」
「ケチ!」と叫んで、購買まで全速力で男子が走っていく。ケサランパサランを忘れた生徒には、仏頂面の生物教師が予備のケサランパサランを配り出した。この分だと始まるまでもう少し時間が掛かりそうだ。早那は少し呆れながら、体操服のポケットに入っている小瓶のふくらみを確かめた。
大丈夫、ちゃんとある。これで、ちゃんと捨てられる。
そう自分に言い聞かせる。
結局、炭焼きは三十分遅れで始まった。
火を起こしたら、新聞紙を丸めて投げ込んだり団扇で仰いだりして、火加減を調節する。木枝もくべて、更に火を大きくしたところで、担任教師から号令が掛かった。
「瓶を棒の先の平らな部分に乗せてください」
ポケットから、慎重に小瓶を取り出す。そして別の小瓶にケサランパサランを移し、「捨てたいもの」を元の小瓶に入れた。二つの小瓶の大きさは、金平糖を入れられるくらいだ。口のところが少し窄まっている硝子瓶は、お洒落なクッキーでも入れてリボンを掛けられそうなデザインをしている。なめらかな表面に日光が当たって、てろてろとした淡灰色の影が落ちている。
些か大きすぎる軍手をはめて、早那は長い木の棒の先に、慎重に小瓶を乗せた。手が震えて、落としてしまいそうだった。
小瓶の中には、白い紙が小さく折りたたまれて入れられている。
目を凝らすと、毛筆で書いた文字が見えそうだった。
「じゃあ、準備ができた人から、火の中に瓶を入れてください」
そう言われても、しばらくの間、誰も動かなかった。
いよいよ始まるのだという、緊張感。
空気全体が、ぴんと張った弓を見ているかのように、一層張り詰めた。
広い校庭が、恐ろしい程に静かだった。自分の息を呑む音でさえもノイズに聞こえる。
ひとりが、意を決したようにして、棒を焚き火に差し入れた。
誰かが息を呑む音が聞こえる。
炎が一瞬揺らいで、見る見るうちに小瓶を覆い尽くす。
それを契機にして、残った全員が示し合わせたかのように、棒を持った腕を伸ばした。
早那も、小瓶を少し震わせながら、腕を伸ばす。
四つの小瓶が、炎の中に入れられる。
赤く、朱く、紅く、あかく――。
燃える、揺らぐ、鎮まる、はぜる――。
早那は、二つくくりを揺らしながら、それをじっと見つめた。
その瞳には、夕焼けを閉じ込めたかのように真っ赤な炎の残像が映っていた。
小瓶は燃えた。
煤けた瓶の中には、黒い、小さな塊だけが残った。
捨てたいものは、完全には消えない。
炭焼きが終わると、いよいよケサランパサランを空に返す時間だ。
熱を持った小瓶の蓋を軍手で開けて、そこにケサランパサランを入れる。逃げ出さないように一旦蓋をして、ケサランパサランがすすを食べていく姿を眺めている。
早那が手にした小瓶の中身は、なかなか減らない。早那も小さい頃は小食だったから、飼い主に似たのだろう。
中身がほとんどなくなったところで、号令が掛かった。小瓶を手のひらに乗せて、校庭に一列に並ぶ。小瓶の中には、体をすすで黒く染めたケサランパサランが浮いている。カタツムリのように、食べたものと体の色が同じになるみたいだ。その所為で、硝子瓶の中の小さなケサ子はすすと同化している。
「蓋を開けてください」
一斉に、蓋が開かれる。黒くなったケサランパサランが、空を目指して飛び立って行く。
それはまるで、去年の一番寒い冬の日を、ネガフィルムに写し取ったような光景だった。
白い綿毛は空から降ってきて、黒い綿毛は空に帰る。
早那は、勢い余って飛び出してしまわないように、手で蓋をしながらそっと瓶を開けた。早那の手をかいくぐるようにして、そこから黒い塊が飛び出す。それは、少し戸惑うような様子を見せたあと、ゆっくりと宙に登って行った。
一つ息を吐いて、早那は小瓶をポケットに入れた。行事が終わるとすぐに列は崩れて、校庭に映る影もまばらになっている。
「そういえば、早那ちゃんは何燃やしたのー?」
駆け寄ってきた友達の一人が、早那に尋ねてくる。
――罪悪感。
早那が燃やしたのは、捨てたのは、罪悪感だった。
病気を免罪符にしているような感覚を、皆と同じにできないことへの申し訳なさを、早那は捨てた。
捨てたいものは他にも考えていた。
たとえば、優しくない自分。上手くいけば、数か月後からは一人暮らしが始まる。そのときには、周囲の人から受け取った優しさに、報うことができるようになるのだろう。優しさは自分から生まれるもので、何かを捨てて手に入れるものではない。
たとえば、人からの肯定を願う臆病さ。たとえば、つまらないプライド。たとえば……。
その中で、早那は罪悪感を選んだ。
何故それを捨てようと思ったのか、それを捨てて大人になりたいと思ったのかは、上手く言葉にはできない。
けれども、これからについて思うことを、言葉にすることはできる。
「計画された偶発性理論」という言葉がある。アメリカのスタンフォード大学の教授であるジョン・D・クランボルツが一九九九年に提唱したキャリア理論だ。この理論では、「個人のキャリアの八割は予想しない偶発的なことによって決定される」とされる。このような予期せぬ偶然の出来事にベストを尽くして対応する経験の積み重ねが、よりよいキャリアの形成に繋がるという考え方だ。
早那の今までは、まさにこの連続だった。
親の仕事の関係や自分の病気の関係であの小学校に入ったから、一生の親友に出会えた。
この高校に入って、あの先生に出会えたから、苦手だった化学を好きになれた。
ミステリを好きになったから、化学の道を進もうと決めた切っ掛けの一つの、あの本に出会えた。
わたしが「わたし」でなければ、きっと今には繋がらなかっただろう。
自分が病気でなければ、自分が不登校にならなければ、自分がミステリを好きにならなければ、両親が違う選択をしていたならば、わたしはきっと今の「わたし」ではなかった。
これはもう、まさに計画された偶然――運命と言い換えてもいい――だ。
きっと全て、「ここ」に繋がるのだと決まっていたかのような。
だからわたしはわたしでいい。生まれつき病気で、小柄で、ミステリとケサランパサランが好きで、化学の道に進もうとしているわたしがいい。
いつかの未来では、わたしの「あたりまえ」が、この病気のことが、自分にしかないもの――「武器」になるときが、きっと来る。そう思えた。だからその日まで、この秘め事は大切に仕舞っておこう。
「――秘密」
早那は笑って、そう答える。
校舎を目指して、人だかりができている。皆が話しながら歩いている所為で、なかなか列が進まないようだった。その人の群れの中、そこから離れる小柄な影がひとつ――早那だ。
あの中の誰も、早那のことを見てはいない。体育館の脇、二階へと続く階段の陰の中に早那は潜む。
人通りが減ったのを見計らって、早那はそっと、ポケットから小瓶を取り出す。その中でうごめく黒い綿毛のような物体がひとつ。
すすを食べた、ケサ子だった。
早那は、ケサランパサランを空に返さなかった。ケサ子が食べ残したすすを、さもケサランパサランであるかのようにして放しただけだ。あのとき本物のケサ子は、早那が蓋代わりにした手の下でじっとしていた。小瓶はすぐにポケットに仕舞ったから、中にケサランパサランが残っていることなど、誰も気が付かなかったはずだ。
返さなかった理由は、至極単純だ。情が湧いたというか、最初にこの行事を知ったときから、この期限付きの関係が、あまり好きにはなれないでいた。だからケサ子とずっと一緒にいようと思ったのだ。
階段の大きな陰に紛れつつケサ子を手のひらに乗せて遊んでいると、いけないことをしてしまったような、それでいて大人になれたような、少し誇らしい気持ちになってくる。
これはそう、優柔不断で意気地なしの優等生の、最初で最後のささやかな反逆だ。
でもたぶん、この抵抗はケサ子と別れたくなかったからだけではない。
「捨てたいもの」をケサランパサランに食べてもらって、それを空に返して、全て忘れてなかったことにしてしまうよりも、忘れない方がいいと思った。
「通過儀礼」を終えただけでは、本当の大人にはなれないから。
小瓶が燃えても、中のものが完全には燃え尽きないように。
捨てたいものが、完全には消えないように。
わたしたちは、自分が「選ばなかったもの」と「選べなかったもの」を小瓶の中に閉じ込めて、それを忘れないようにして、いつか笑い話にできるようになって、そうして大人になっていく。
ケセラセラ。全てを捨ててしまわなくたって、きっと何とかやっていけるさ。だって今までも、わたしはそうやって生きてきたのだから。
ケサ子を小瓶に戻し、早那は校舎の方へと向かう。小瓶は随分と冷えてきてはいるが、残った熱かケサランパサランの体温か、握りしめていると手のひら中にじんわりとした温もりが伝わってくる。
――忘れないけんね。
それに応えるかのように、小瓶の中で黒い塊が、かさりと音を立てた。