読書記録:勉強の価値
森博嗣:勉強の価値(2021,幻冬舎新書)
2回目の読書記録です.この本は,以前(夏頃?)にネットで見たタイトルに惹かれて読もうと思ったものの行動せず,2023年の年末に購入し最近読み終わりました.そして,この本で繰り返し主張されたことが,アウトプットすることや自分で考えることの大切さでしたので,さっそく実践してみようと,アカウント作ったものの,ろくに投稿をしていなかったnoteに色々アウトプットの練習をしています.
前回よりも読んだ書籍の内容について引用を減らして,考えたことをメインに書いていきます.張り切りすぎてかなりの長文になってしまいましたが,どうぞ最後までお付き合いしていただければと思います.
勉強とは?アウトプットの重要性
本書のメインテーマである「勉強の価値」を考える上で,筆者が「勉強とはなにか」という点を述べているが,共感できる部分が多かった.
まず,「勉強=インプットする」とか「勉強=教えてもらう」というイメージが無意識のうちにあったことに気づかされた.そして,それは筆者も指摘してるがこれまで受けてきた教育課程(特に義務教育)に大きく影響を受けていると感じた.
確かに,義務教育である小中学生の時は,基本的には朝から夕方まで授業を受けていたことを思い出す.授業では,教師の話を聞き,黒板に書かれたことをノートに写していく,そしてそこで話された内容について定期的に試験がある.公立の学校で過ごした身としては,小学生の時の試験(テスト)なんて,授業中の話を聞いていればある程度は点数が取れるものであり,学校で行われる授業の一部に過ぎず,試験について特に意識することはなかった.ただ,年始などにあった100問くらい漢字テスト(90点くらい取らないと再試験になる)だけは苦痛だった.漢字を中々覚えられず一発で合格することはまずなかった.
そして,中学生になってからは定期試験の意味合いは大きく変わってきた.そもそも,試験の回数が年数回になり,5段階の成績で評価されるようになるので,定期試験がある種のイベントのような位置付けに変わっていった.定期試験の2週間くらい前から,試験に向けて内容を思い出したり,試験終了後の提出物の準備をしたりと,試験を目標とした勉強を行っていくようになった.そして,試験が目標なので試験が終わると勉強から解放されるといった感じで,定期試験前に試験内容を思い出すなど机に向かっている時間が勉強であると考えており,試験というアウトプットする作業を勉強とは感じたことはなかった.
高校に入って課題研究などの時間があったが,そういった授業はインプットがメインではなくなるので,勉強とはあまり感じなかった.ちなみに音楽,体育などインプットがメインではなく体などを使う教科についても,勉強という認識はそこまでしていなかったと思う.
大学入学後も基礎科目などは,教室と授業を聞いている学生数が大きくなっただけで,「勉強=教えてもらう/インプット」というイメージはあまり変わらなかった.しかし,様々な状況から学ぶことも多々あった.例えば,大学で学んでいる基礎的なことが,実社会でどのように活用されているかなど,現場を見ることで,黒板やスライドに書かれている2次元のものが,3次元のものに変わり,「勉強=学校で学ぶもの」から,実社会にあるもの/実社会で起こっている現象というように「勉強=講義」だけではないというように変わっていった.
そして,大学時代には数学や英語など学問の枠に含まれない点でも多くのことを学んだ.とくに大学時代に行っていた個別指導塾でのアルバイトでは大きく2つのことについて学んだ.
まずは,多様な人間がいることである.日本の教育システムでは,小中学校は「周辺にいる人」が集められた学校(集団)であるが,高校以降は基本的には「入試の際に学力が同等程度の集団」となる.そして,「高校入試の際に学力が同等程度の集団」であった各個人は,大学入試によりもう一度「入試の際に学力が同等程度の集団」に再分類される.そのように基本的に「入試の結果(点数)」によって分類され続けた集団と生活していくため,学校で関わる人というのは「自分と同じような学力(試験の点数)を持った自分と同じような環境で過ごした人間」が多くなる.逆に言うと自分と全く違う環境で過ごしてきた人と関わる機会が少なく,多様な視点を持つことが難しくなっていくと考えられるが,講師のアルバイトをしていた個別指導塾では,自分が小中学生だった際には関わらなかったタイプの生徒の授業を多く担当した.上記で述べたようにこれまで関わることがあまりなかった,(小中学校の際の)自分の学力レベルと異なる人と関わることで,勉強や学校での過ごし方生活スタイルなど,自分が経験した小中学生の思考や生活スタイルとは異なる小中学生がいるということを学ぶことができた.これは,アルバイトをするまであまり気にしていなかったことであるし,大学のカリキュラムでは学ぶことのできないことであり,大学時代の印象に残った学びの一つである.
2つ目は,人に教えるということは勉強であることである.これは,大学教授なども行っていたことであり,塾講師のアルバイトを通じて学んだことでもある.自分が担当したのは理数科目がメインであるが,特に数学を教えている際に,これまで自分が数学の問題を解いていた際には無意識に行っていた計算や考え方のプロセスがあり,そのプロセスに分けて伝えることの大切さを学んだ.つまり,本書でも記載されていたが自分が完全に理解していないと他人にその内容を教えることができないということである.たとえば,中学1年で学習する「2 - 5 = -3」という符号の変わる計算について,自分は何の抵抗もなく「2 - 5 = -3」と直感的に理解できたが,考え方のプロセスとしては(他の考え方もあると思うが)
① 5は2よりも小さいからそのまま(小学校までの知識では)引き算できない
② 5から2までは引き算できる(0になる)
③ 0よりも小さくなる部分(マイナスの部分)は5 - 2で3になる
④ 3の符号をマイナスに変える
⑤ つまり2 - 5 = -3
のように無意識にいくつかのプロセスを処理している.しかし,すべての人が自分と同じように無意識にこれらのプロセスを処理できるわけでもない.そして,生徒がどのプロセスまで理解しているかを把握した上で,説明しないといつまでたっても生徒はそれを理解することができない.
つまり,本書で筆者も述べているように,他人に何かを教える(アウトプットする)には,自分がそのことについて理解していないといけないということについて学んだ.
仕事はアウトプット?
アウトプットすること大事であるが,普段やれているだろうか,と普段の生活を振り返ってみると仕事がアウトプットの時間になっていると感じた.さらに考えてみると,仕事は業種問わずアウトプットすることではないかと感じた.
何かを生産,提供(=アウトプット)するから対価として給料が支払われるのであって,何かをインプットするだけでは基本的は職業にはならない.つまり、アウトプットすることは,仕事をする上で大変重要な能力であり、アウトプットする力をつけていきたいと感じた.
でもインプットが必要
では、インプットする必要がないと訳ではない.なぜならアウトプットは何かをインプットしていないとできない行為だからである.
まず,最低限のことを知っておかないとアウトプットすることができない.本書では例として小学校で学習する内容について記載があった.確かに,文字が分からなければ,考えたことをアウトプット(インプットも?)することはできない.それに,これまでインプットしてきたことを組み合わせることで,新しいことを考えたり,文章にすることはできない.例えば,このnoteを書くにあたっても,文章を書く力(文字の理解,文章の構成)や過去の経験を振り返る力,書籍のの内容を要約する力,過去の経験と書籍の内容とを結びつける力のように様々な力を使用するためのインプットをする必要がある。これらの力は概ね義務教育期間中に学んでいるので,大人になって一から学ぶ必要はないが、最低限のインプットをしていないとアウトプットすることはできない.
そして、インプットしていくことで、これまで学んだことや考えたことと結びつく点があったり、何かを考えたりするきっかけにもなる。それがまさに本を読んで、考えたことをnoteに読書記録として書くという行為に繋がっている。
勉強は楽しい
今回この本を読んで学んだことの一つが「勉強は楽しい」ということである。
これまで勉強は義務感でやっていたが、本来勉強は楽しいということに気づけた。中学までは義務教育であるし、高校や大学では試験のため、将来のためにやっておかなければならない、という義務感がある程度大きかった。それは研究を行っていた時も同様であった。良い研究を行わなければ、という気持ちがあった。それゆえ結果や成果を意識しすぎて勉強に集中しきれないことも多々あったと思う。
そのような勉強が以下に引用するように、人生の喜びであり、エキサイティングな行為であることを学び、もっと勉強したいと感じた。そして、義務感ではなく、ただ自分の為学び続けていきたいと感じた。
自分の為
勉強の価値について学ぶことができ、もっと学びたいと思わされた本でした。学んだことが多く、かなり長文になりましたが、最後まで読んでくださりありがとうございました。
こんな感じで読書記録を続けていきたいと思います.