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PTA広報誌トラブルの顛末

 小学校のPTA役員をさせてもらっているのだが、今回そのPTA会報に私の名前でコメントが載った。

 しかしながら、なにこの文章?というようなもので、もちろん私が書いたものではない。いやはやどうしたものか。

 PTA広報部長からコメントの原稿を頼まれていた。
 紙面の都合上100字迄と聞いていた(と私の記憶にはあるのだか)ので、そんなに短い文章で何が書けるだろうと思いつつも、なんとか100字にまとめてLINEで送った。

 そんなことはすっかり忘れていたついこの間、子供がPTA 会報を持って帰ってきたらしい。
 夜、家に帰ると家族は皆寝ていたがダイニングテーブルの上に、私の名前でコメントが書かれているページが開かれて置いてあった。

 私は目を疑った。
「なんだこれ⁉️」
 私のコメント欄には私の知らない文章が私の名前で掲載されている。
 一部分同じ言葉が使われてはいるがほぼ別の文章である。
 しかも100字ではなくて180字近くの文。
 しかもしかもまるで小学生の作文のように出来事を羅列しているだけの稚拙な文章ではないか。
 超混乱した。
 どういうことだ?
 何でこんなことになっている?
色々思い返してみると、そういえば「編集の都合で少し変えさせてもらうことがあるかも知れないですけどいいですか?」というような話はあったような気もする。
 そしてよく考えもせず「たかがPTA広報誌」という安易な意識で「了解!好きなようにしていいよ」と言った気もする。
 いやしかしちょっと待て!これはひどすぎる!

 私自身はこれまでチラリとも読んだことはなかったが、小学校の全生徒、全家庭に配布されるものだ。
 そして次の日の朝妻が出してきたファイルのように、過去何年にも渡って保管され読み返される可能性のあるものではないか!
 迂闊だった。

 案の定、高校生の娘には「小学生の作文みたい」と笑われた。

 LINEで送る前に、誤字等のチェックをしてもらうために見せていたので、広報誌を読んだときに違和感を感じた妻が、普段そんなものを読まない私のためにページを開いて置いておいてくれたらしい。

 端から見たらそんなにたいした問題ではないと思われるかもしれないが、何でこんなことになってしまったのだろうという謎と、安易な返答をしてしまった自分の思慮の浅さに、時間が経つにつれてどんどん怒りが込み上げてきた。

 しかしどうしたものだろう。
 広報部長を問い詰めたとしても、言った言わないの水掛け論になるか、非難のし合いになるか。或いは広報部長が非を認めて平謝りされたところで、もうどうにも取り返しはつかない。

 トラブルは自分を成長させるために神が与えた試練である。
 そう思おうとしても気がおさまらない私はまだまだ修行不足である。
 note投稿して憂さ晴らしとする。
 
 


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