ただ時を刻むのみ
梅雨が開けたら雨続きで、ても水不足を心配していたから良かったと言えるのではないか。
思った通りにいかなかったことが、かえって良い結果をもたらしたというのは良くある話。
ならば失敗とは何だ? 思った通りの結果にならなかったことではないのか。
結果が思い通りか、そうではないのかということではなく、その事柄単独でどうなのかという判断によるものなのか。
その事柄が良いことなのか悪いことなのかは、すぐにその場で分かるものでもなかったりする。
その時代、その立場、その性質により、判断は違う。
そしてまた、時が流れ、覆り、もとに戻り、肯定され、否定される。
人生は山あり谷ありと古くからの言葉がある。当たり前のように聞き流していたがまさにそれは真実で、人生のみならず、この世界全てがそうなのだ。
その時々の失敗や成功、運不運、良いこと悪いこと、全てがその時々の時代、立場によって勝手気儘に決められて、皆がその流れにのせられて行く。
今の不幸が本当に不幸なのか、いや、実は幸福の始まりなのかも知れない。
今の幸福が本当の幸福なのか、実は不幸をじりじりと大きく、深く静かに現れる時を待っているのかもしれない。
裕福な家庭に育った娘。幸せな結婚をし、子宝に恵まれ、幸せだったのか。長男は大病を患い、母が死に、その悲しみは不幸だったのか。
宗教にすがり、怯え、それは幸せだったのか。夫が自殺し、生命保険でお布施をして救われたのか。
そして元首相が殺害された。
奈良県警が批判の的となった。
統一教会が公に引きずり出された。
母に無関係と言われた。
良いも悪いも、大きな時間の流れと視座により確かなことは何もない。
ただ、歴史として畳まれていくのみ。
後世の人間が、好き勝手な解釈をつける。
ただ、時を刻むのみ。