小野道風にいちゃもんつける訳ではないがどうしても納得できないこと
書道の神とまで言われている小野道風は自分の才能に悩んでいた頃、何度も柳に飛び付こうとして届かず、しかしあきらめずに飛び付く事のできた蛙を見て己の努力のなさに気づいたという。
蛙から己の努力の足りなさを気づくなどさすが書の大家❗と思ってみたりするのだがその蛙は努力していたのだろうか?
この蛙の話は戦前の教科書にも載っていたほどの有名な話だということだが、史実かどうかは不明らしい。
冷静に考えてみると、蛙が何度も柳に飛び付こうとするということ自体が私にはどうも納得いかない。
なぜ蛙は柳に飛び付きたかったのか?その動機が全くわからない。
何度も飛び付くということは、蛙がいるのは地面の上(よくある絵などでもそうだが)、移動手段に困っての事ではないだろう。
虫などの餌になるようなものがそこにあったのか?
そこに飛び付いてからその先はどうするのか?
蛙が飛び上がるのは真上ではなくて斜め前方へなるのではないか(よくある絵では真上に飛んでいるように描いてあるが真上に飛ぶ蛙というのは見たことない)。そうすると失敗した後はUターンして戻って来てまたチャレンジするということなのか?
私の頭の中は謎でイッパイだ。
そしてその「蛙が何度も柳の枝に飛び付こうとしている」という姿を、現実のものとして思い浮かべることはどうしても不可能なのだ。
車を運転しながらそんなことを真剣に考えていたら妙におかしくなってきて一人大笑いしてしまった。
しかしその道風の話を幼い時に聞かされて刷り込まれてきた人たちは、何かに行き詰まったりした時にはその話を思い出して「頑張らなくては」と思うのだろうか。
そもそも人間以外の生物が「努力」とかするのだろうか?「頑張ってみたり」するのだろうか?
彼らは本能的にプログラミングされていることをその環境に合わせてしているだけではないのか?
「頑張る蛙」とか聞いたら「なんだそれ!?」って言いそうだけど、この道風の話は自然に受け入れられているようで、それもまた不思議なのだが。
書の大家のキャラクターイメージ作りには良いのかもしれない。
しかし花札の絵になっているのはまだ良いが、教科書にまで載っていたとはどこまでも不思議な話だ。
(個人の主観による感想ですので各関係の方々ご容赦ください)