京都の大学生と、鴨川という存在
大学4年間を過ごした京都を離れることになった。入学する頃、「京都で学生生活を送れるなんて羨ましい」と言われたのを覚えているが、4年間を終えた今、本当にそうだと思う。京都で学生生活を送れることは羨望に値する。それくらい、よかった。古語で言えばをかしであり、現代語で言えばエモである。なんとも、言葉でうまく表せないのである。「なんか良い」のである。
そんな京都の学生たちを支えているのは、間違いなく鴨川だと思う。
鴨川が良いなんてあちこちで言われているだろうし、観光客にもその良さは伝わるのだろうが、京都に住んでいる大学生にとって鴨川は、また違った映り方をする。
例えば、飲み会の帰り道。だいたい居酒屋は四条に集まっていて、だいたいみんな、四条までは少し遠い。行きは大抵の場合、自転車かバスか電車の3択だが、居酒屋を出た後は高確率で「歩いて帰ろう」となる。鴨川沿いを、「酔い覚ましに」なんて言いながら身体を引きずってゆっくりと歩き出す。鴨川の夜は時空が歪んでいるので、ずっと夜が明けないような気がしてくるし、気がついたらもう家なんてこともある。何を話して歩いていたかなんてほとんど覚えていなくても、良い時間を過ごしたことだけはわかる。夜の鴨川沿いの情景だけが、うっすらと浮かぶ。
また、鴨川デルタはとっておきの場所である。鴨川デルタというのは、出町柳駅のすぐそば、高野川と賀茂川の合流地点にある三角州のことだ。夜に行けばいつも、大学生が数人〜数十人はいることであろう。お酒を飲んでいる人、花火をしている人、語り合っている人、いろいろだ。
私はそこにある飛び石群の、人々の通り道からはちょっと離れている石の上でくつろぐのが好きだった。暑くもなく寒くもない秋の夜に、寝転んだり、一人で歌ったりしたのを覚えている。目を瞑れば、川のせせらぎだけが聴こえて、まるで川の真ん中で眠っているような感覚になる。これを友達に話したら驚かれたが、一緒にやってみたら気に入っていたのでおすすめの過ごし方である。(持ち物を川に落とさないようにだけ注意してほしい。)
鴨川デルタでは、夏の朝に足を滑らせて鴨川に落ちたり、パンを食べていたら通りかかったトンビに奪われたり(しかも3回も!)、寒いなか夜が更けるまで話し込んだりと、数えきれないほどの思い出がある。
鴨川に思い出があると言うよりは、思い出の横に鴨川があるという感覚であろうか。今は東京にいるのだが、住んでいる場所の近くには川が無いどころか、水辺が無いのだ。無いからと言って、元気が損なわれるとか、喪失感があるとか、そういう話ではないのだが。なんとなく、寂しいような。心の拠り所とはまた少し違う、でも、実際に行くかどうかは別として、こういうときはここに行けばいいというような、そういうのが私にとっては鴨川だったのであって。普通に通るときは「ああ綺麗だな」くらいにしか思わないのだけれど。
これだけは言えることがあるとすれば、
京都に住んでいた頃の鴨川は、確かに私にとって大切なもので、場所で、概念だったのであり、鴨川は鴨川にしか出せない良さが、をかしが、エモがあるのである。