日本人が好きな洋画ベスト3に入るようなタイトルに悪口を言う勇気は俺にあるか
(結論から申し上げますと、小声でなら、ある)
うへ。
何で今頃見たかっていうと、zoomの壁紙に観葉植物を使っているひとがいまして、彼(まあ男性よね)がこの映画への愛を語る一方、2023年現在これ許される範囲を逸脱してるけどなあ。って言ってもそうか伝わらんかー。と強く実感する出来事が先日あったから。
直接的な描写はない
でもこれぞ典型的グルーミングシークエンスが何度もある
ファンタジーだから良いだろ、とおっしゃいますが、主人公がロリコンかどうかではなく、男女の関係性描写における未成年の扱いが「今日では」アウト
つまり公開当時はこれぜんぜんOKでしたよ覚えてるから補足するんだけど
作品キャンセルすべき。ではなく、これを純愛と見てヨシ。が今日の社会通念ですか、違わない? という俺主張なんだけど伝わる気がしねえ
繰り返しますが、これが公開当時はOKだった/今ではアウトなのは、成熟手前の人間の意志をいっぱしの大人扱いする、そこに潜んでいる搾取構造に気付かないフリをする罪が重くなったから。
大人に認められたいと切望する児童の行動をなんらかの理屈をつけて正当化し、なんならYOUは今日から大人の仲間入りだ、まで言っちゃう。それがジャニー某案件だとすると、本作は徹頭徹尾、児童の自由意志に基づいて設計されているように見えます。つまり……問題ない?
でもね。
性的視線に晒されるリスクを説明されても腹落ちしない若年者がいくら問題ないって言ったとて、じゃないですか。
彼らの幼さ危うさを楯に取る行為を評するのに最も適切な形容は「狡猾」ですよ。
イニシエーションは近現代観点で目くじら立てるべきものではない云々、善良な民が本能的に忌避したいトピックから逃げるときに愛用するロジックと、本作に一片の疑念も挟まないnaïvetéは一致しているとしか思えず、結論、ナタリー・ポートマンが自身を世に送り出した作品でもあるので、と断り入れつつcringey(ドン引きする)要素あるってつい最近も語っていた通り、公開時の評価とアップデートした評価、せめて2種類あっていい、が私見。
(なおカテゴリ単位で溺愛するニューヨーク映画だったことを100%忘れていて我ながら驚きましたが、そうだ、本当は俺『グロリア』1980を見ようとしたんだ。こんな感想になるのは自明だったからな)
上掲インタビュー、リュック・ベッソンが証拠不十分で不起訴になった性加害事案5人前については触れてるけど本作がベッソン(当時31歳)とふたりめの妻(当時15歳)の関係をベースにしている件には触れておらず、なんといいますか、忘れられる権利の用法として間違ってる気がしてならぬ。
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いまだに世界から愛され続ける『レオン』(1994)のレビューを
うへ。
で始め、そうだ俺は『グロリア』(1980)見ようと思ったんだった。
で終えてしまった数週間前の自分に義理堅く再見したんですけど、これは音楽の使い方がウザいやつだった。
と開幕早々思い出し、しかしニューヨーク市内を転々とする位置関係の把握は今回が初めてだったので、首都圏でいうと川口から始まって赤坂をうろうろしてたかと思うと突然松戸まで行ってからの品川、そして赤羽クライマックス。ってめまぐるしさが笑えてねえ(笑うところではない)。
リュック・ベッソンのアレが今の感覚で見たらアウトですやん。という先日しみじみした一件との差分確認が個人的主眼でしたが、記憶通り本作における年の差カップルにはそういう要素がニオうことはなく、それはナタリー・ポートマン(13)の異能とこっちのキッズ(8)の大根っぷりの落差に帰結する……とはやっぱり思わず、制作者の底意由来だよ、って文句はさんざん書いたから繰り返しませんが。
でも、カサヴェデス脚本だってそういう効果を期待した可能性はゼロじゃないし、仮にナタリー・ポートマン級の天才子役が本作で少年を演じた世界があったとして、でも児童を受け止めるのがジーナ・ローランズである以上は正調ハードボイルドの軸がブレることはないんだよな。
とかなんとか、珍しく自分の記憶の確からしさを目視できて満足しました。
サムネイルはいずれもIMDbから。
"Léon: The Professional (1994)"
"Gloria"(1980)