聖アンデレ(1-G) イエスの実母と兄弟と
イエスと、母マリアとの関係は、聖書の中でも明らかに変化した様子が描かれています。
家族を敵視
布教の初期段階において、イエスは「家族」というものを敵視しています。
実際に、母マリアや兄弟とは距離を置いていました。
屁理屈ですね。母親や兄弟は、詭弁を弄してでも避けたい存在だったとわかります。イエスが敬虔なユダヤ人であったならば、母親を許せなかったこと、そして兄弟たちと距離を置きたい気持ちは想像に難くありません。自分が、父親と信じていたヨセフや兄弟たちとは異なって、本当の父親が非ユダヤ人、特にユダヤ人を冷酷に支配したローマ帝国の兵士というのですから。
母たちとの和解
変化のきっかけは「カナの婚礼」でしょう。イエスが最初の奇跡を起こした場所です。当初は母マリアによそよそしく接していたものの、婚礼後は幾日か一緒に過ごしていますよね。この婚礼が母子の和解のきっかけだったことが見て取れます。
イエスの死と復活の際は、母マリアは、(イエスの妻と言われる)マグダラのマリア、(実妹の「クロパの妻マリア」と同一人物と言われる)マリア・サロメとともにイエスを見守っています。強い絆を確認することができますね。
母マリアと、妻と言われるマグダラのマリアとが常に一緒にいることにも注目です。母娘の仲の良さや絆が感じられます。こう考えると、カナの婚礼とは、イエス自身の結婚式とみるのが妥当かも知れません。イエス自身が恋愛結婚に至ったからこそ、自己の恋愛に忠実に生きようとした母親の恋愛・妊娠について寛容になることができた、とは考えられないでしょうか。
イエスは、なぜ出奔したのか?
では、なぜ、イエスは母親を敵視するようになったのでしょう?
イエスが母親に対しある期間、拒絶反応を示していることから、幼いころは信頼をしており、一定の年齢以上になってから反発や拒絶の原因が生じたものと考えられます。また、共観福音書に記されたイエス言行録も、せいぜい2~3年分しかありません。
推測ですが、ヨセフが亡くなったので、ナザレから出奔し、洗礼のヨハネの下での修行に入ったのではないでしょうか。
細かい事情は、分かりません。まず、イエスが自身がヨセフと血のつながりがないと知らなかった場合には、ヨセフの葬儀の際に親戚や近所の方々から話を聞いてしまい、自分だけが純粋なユダヤ人ではない(つまり、自分は、モーセの律法では、ユダヤ教の神からは救済されない)と知って絶望した可能性があります。
他方、イエス自身がヨセフと血のつながりがないと分かっていた場合。この点について、イエスは、生前のヨセフと話し合ったことがあったことでしょう。母マリアや兄弟と一緒にいる時に話をするのは難しくても、工事現場のある大都市セッフォリスへの道中や作業の合間などに話し合うことはできたはずです。
ヨセフは、ローマ兵の子を身ごもったマリアを妻として受け容れ、その後もマリアとの間に4人以上の子宝に恵まれた人物です。また、建築・土木事業の仕事を通じてイエスがリーダーシップを育んだ際に模範となった人物と考えられます。その意味で「お前を俺が守ってやる」とヨセフはイエスに誓い、安心させてあげていたのかも知れません。そのヨセフが先に死んでしまったことで、イエスは「自分を守ってくれる存在がなくなった」と思って絶望したのでしょうか。
洗礼のヨハネの下に行ったのは、ヨハネが大祭司の家系の出身者でありながら政治的に追い出された人物で現在は人々の真の救済のために活動していること、純血のユダヤ人以外も洗礼によって浄められるとして多くの人を救済していることを知り、「ここでなら救われるかも知れない」と一縷の希望をつないだためと思われます。
イエスの兄弟
イエスが、初めて故郷のナザレで説法した時のエピソードに、兄弟の名前が出てきます。
ここに出てくるヤコブが、初期のキリスト教団の指導者になり、「義人ヤコブ」としてユダヤ人たちにも一目置かれる存在だった人物になります。
彼ら兄弟との関係がどうだったかは、資料がないため、分かりません。
しかし、ヤコブが義人と呼ばれてユダヤ人たちからも一定の尊敬を勝ち得たことを鑑みるに、敬虔なユダヤ教徒で、家族を挙げて律法を守っていたことが見て取れます。他方で、出奔した兄を連れ戻そうと母と一緒に説法場所を訪ねていることや、敬虔なユダヤ教徒であれば責任を負わなくてもよいはずであるにも関わらずイエス死後のイエス教団の面倒を見たことを鑑みると、イエスを心から慕っていたように見て取れると思います。
当然、イエスも、弟たち、妹たちを信頼し、可愛がっていたことでしょう。
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