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木を、自然を守る?

前にも少し書いた気がしますが、
今朝は、これを書くことになっているようで…

人ごとのように言っていますが、
その日に書く記事のテーマ、
自分で考えて決めてはいない感じなので。

はい、インスピレーションなのか、
やってくる感じです。

あるときまで、少なくとも数年前までは、
木を守る、とか、自然を守る、とか
自分でも、何の引っかかりもなく、
使っていた気がします。

でも、近年は、
このことばに、とても違和感あり、
なので、使えなくなりました。

同時に、人を育てる、とか、
木を、子どもを育てる、
というのも、どこか違うなあ、と。

ただし、木、自然、人(他者)、子ども、
と守りたい対象を並べていくと、
人間同士の場合は、
話を別にしたほうがよさそう。

木と自然は、同じように考えて
よいと思うのですが、
人間は、木を含む、自然界から、
守られているかもしれないけど、
逆パターンの、
人間が木や自然を守ることはできない、
と感じます。

これは、体験からくる納得、
のような気がします。

困難に向かわないといけないときほど、
現実的であることが大事、
と最近よく思います。

が、木や自然と向き合うときにも
現実的であること、
は力になると思います。

なんとしてでも守りたい、
と感じる大切なもの。

それを自分が守れるかどうか?

できない、と受け入れることは
しんどいことですが、
それが現実だったとしたら、
いさぎよく認めるところからスタートした方が
よい作戦がたてられるはず。

ここからは、木にしぼって書きますね。
樹木は、短命と言われる種類でも50~100年は
生き続けます。
これは瀕死状態だな、と思える姿になっても、
数年は生き続けることも少なくない。

それくらい、木は辛抱強く、
その辛抱強さを支えられる身体のしくみを
もっています。

で、長いものは、今は、
9550年と言われています。
この木の場合、学者が根の材を
放射性炭素年代測定で確認しています。
樹齢9950年、世界最古の木 長寿の秘訣はクローンシステム – grape [グレイプ]

さすがに、これと比較されては、
縄文杉でも圧倒されるでしょうが、
今は2170年くらい、と言われています、
それだって十分に長いと言えますよね。

大きさを見ても、木は、
高さ100m以上にもなります。
太さは、日本国内にあるものでも、
縄文杉や各地の巨木を思い浮かべて頂ければ。

そういうことをあれこれと思い浮かべると、
木が生きるのを邪魔しないことが
人間にできる精一杯で、
守る、というのは、
ちょっと無謀な試みなのかな、
と感じますが、どうでしょうか。

木に関する情報は膨大にある中、
そのごく一部でも、知るほどに、
生きものとしての「桁が違う」。

1本の木を守るにしても、
世代を超えた大事業になってしまいます。 

どう考えても、
スケール感が違う、
という感じです。

そういうことに気づいて以来、
守りたくても守れない存在、
そんな木々と、どのように
つき合って行くのがよいか?
という発想になりました。

少し脱線すると、
これは、実は、自分の身体も同じ、
という気もします。
まあ、自分に与えられた身体も、
自然物の1つですしね。

自分の身体を守る、
さあ、どうでしょうか?
簡単にできていらっしゃいますか?

ちょこっと書くつもりが
これくらいの分量になってしまいました。

自然というのは、それくらい計り知れなく、
興味のつきない存在です。

大胆に壊しながら、
でも、守らないと、
と思うよりも、
相手のことを知り、
邪魔をしないよう
うまく知恵を使って生きる
(生きのびさせてもらう)。

今となっては、簡単ではなさそう。
ですが、その方が得策であろう、
と思えるのですが、いかがでしょうか。




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樹木も人も笑顔に、樹木医mimi  ( 三戸 久美子 )
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