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まずは「いいとこどり」はムリ、なのだと知る

さきほど、ある方の note の記事を
読ませてもらう。
すると、ある習慣を止める、
という決意の記事が書いてありました。

で、今回のタイトルが思い浮かぶ。

私は子どもの頃から極端な性格で、
親はかなり心配してくれたようです。

そんな人でも、最近、心底感じているのは、
「バランスを取る」ことの大切さ。

というのも、
「いいこと」と「そうでないこと」は、
必ずセットだから。

例えば、私が仕事で関わっている
「樹木」です。
樹木については、
長年、多方面から研究されていて
それはたくさんの機能をもつ存在
であることがわかっています。

身近なことで少しあげるなら、
二酸化炭素の固定、生物多様性、景観、
気温(体感温度)の調節、
木材や食べものの生産、
文化や歴史の継承、観光資源、
潮風や飛んでくる砂から守ってくれる、
粉塵の吸着、臭気の緩和などなど…

樹木が存在することで、
その環境やその周囲で暮らす生き物が
与えられていることを知ると、
樹木なしでは、人間はやっていけないのだな、
とわかります。

それでも、なのですね。

木が折れる、倒れる、ということが起きると
ものや人が被害を受けることになります、
ときによっては甚大な。

なので、極端な視点で見ると、
先日の樹木嫌いのおばさまのように、
「木なんて、なければいい!」という立場になるのですね。

木から受けている恩恵をまったくムシすれば、
確かにそういう見方もできるでしょう。

でも、木には、個人の好き嫌いを超えたところで
たいへんお世話になっているのも事実。

たとえば、どんなに木が嫌いでも、
紙を使うこと、家の中から木材の内装材や家具、生活用品を
まったくなくすこと、は、むずかしいと思います。

では、どうすればいいのか?

木は動けないし、倒れたり折れたりするのも、
自然現象です。

そこは動かせない自然の摂理。

一方、人間には知恵があり、移動することもできる。

だとすれば?

ものごとには、必ず望ましい点とそうでない点がある。
「いいとこ取り」はムリ、
という受け入れたくない事実を
いったん受け入れることから、
現実的な対策が始まると思います。

木は不可欠な存在だけど、時に危険な存在にもなりうる。

それを忘れないように。

望ましい部分を増やしつつ、
そうでない部分は、できるだけ最小にとどめる工夫。

たぶん、どの分野でも、そういう課題ってありますよね?

産業として、おいしいものを安価で多量に作れるようになったけど、
どうも身体・健康にはよくなさそう。
さて、どうする?というような。

人間の知恵を、共存・両立のための探求に
ますます使っていけるようになったら?

そういう社会システムって、どんな感じ?

想像・創造できると、木も人も笑顔、
という絵が浮かびます。早くそうなってほしいな。

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