その場所の居心地は?
「自分次第」という言葉を
聞かれたことはあるでしょうか?
短い言葉で、伝えたいことを、
うまく正確に伝えるのは
とっても、むずかしい。
だから、私がこの教えを伝えている人の
言っている意味通りに理解できているかどうか、
わかりません。
それでも、「自分次第」と思って
自分の行動・選択を変えてみて
ああ、確かに、
と思うことが多くなってきました。
人も動物の一種なので、
馬の合う合わない、
波長が合う合わない、
というのはありますよね?
みんな仲良く、というのは理想ですが、
一緒にいると、どうにも息苦しくなる、
またはイライラする、という組み合わせ、
というのはあると思います。
なぜか自分の誠意や好意も含めて
言動が悪い方にとられてしまう、
ことごとく…
そういうことが続くと、
互いにイヤな思い出が、積み重なっていって…
ついには、修復困難なレベルまで
こじれてしまう。
今の若い人は、何事も、かわすのがうまいので、
あまりこういう事態には
なりにくいように見えますけど。
で、やっと最近、気づけた気がします。
「自分次第」
この言葉を自分や他の人を
責めるために使って、うんざりするのは、
まちがった使い方だったのではないか?
そうではなく、
望まない事態を変える選択権は、
自分の手にある、ととらえる。
最初はなんとなく、のことが多い
と思いますが、
だんだん強くなっていく
居心地の悪い感覚。
それをついつい、
忍耐強い人はガマンしてしまう。
そして、とことんまで
時には病気になるまで悪化させる。
ですが、その経験のある人は
よくわかると思います。
思い切って勇気を出して離れてしまうと、
あれはなんだったのか?と
拍子抜けするくらい、
晴れ晴れとした気持ちに戻れます。
そして、自分の居心地のよい場所に
身を置くことができる。
そういうとき、またことわざが、浮かびます。
「捨てる神あれば、拾う神あり」
今は、世の中にいろんな人、
いろんな場があることがわかりやすくなりました。
環境も食べ物も、同じだと思います。
そこ、それは、自分にとって
居心地のよいものかどうか?
ずっとそこにいて、よいかどうか?
それを繊細に感じ取ろうとすることが
これからますます大切になるような気がします。
いつもは、快適な木陰。
それが枝が落ちてくる前には、
なんだか居心地が悪くなり
その場をすっと離れる。
そんな動物的カンに助けられたらいいのに、
と思います。
そうして、木とともに暮らしながら、
事故が起きにくくなる。
そのためにも、日頃から、
自分の居心地、感覚には敏感でありたい。
どうすれば、動物的カンを磨けるか?
チャレンジしてみる価値は
大いにありそうです。