自分で守る、自分で育つ。だけど、その手助けはできるという希望
昨日は、猛暑の現場から帰ってくると、「伝える」について、2つのフィードバックが待ってくれていました。
ひとつは、森のようちえん「こどもの庭」のお世話役をしておられるお母さんから。
もう一つは、大学から。
結論から言うと、伝えることは、とてもとても大切、ということ。
それが身にしみました。
そして、その「伝える」は、自分で育つ力、
自分を守る力をすでにもっている、
子どもや若い人の手助けにつながる、
という希望でした。
それぞれに、感じることが多々あります。
分けて記事を書かせて頂こうと思います。
まずは、岐阜にある森のようちえんのひとつ、「こどもの庭」のお話から。
この記事は、以下の続きです。
落ちてくると困る枯枝を見つけたら?|樹木も人も笑顔に、樹木医mimi ( 三戸 久美子 ) (note.com)
私はあるときから、「木を守る」「木(緑地)を管理する」「環境(地球)を守る」という表現を使わなくなりました。
違うな、という違和感があまりにも大きくなったから。「子どもを育てる」「学生を育てる」も。
今回、「こどもの庭」のお母さんから頂いたフィードバックをそのままの形でご紹介させて頂きます。
★お母さんのことば★
あの経験のあと、
子どもたちの木を見る目がかわって、
かかり枝にも大人より素早く気付くように
なっていたり、
「この木は枯れてない?」と良く聞いてくる
ようになりました。
三戸さんからのアドバイスのおかげで、
大人も子どもも森を見る目が変わりました!
★ここまで★
これを聞いて、うれしくないはずはありません。
でも、よろこんで終わりにするのではなく、「伝える」ことの意味をあらためて考えてみると?
今回お伝えしたたことは、私が仕事をする過程で、木々や自然界、先生や書物など、身の回りの存在、先人たちから教えてもらったことを
いわゆる”ペイ・フォーワード”、次の人に手渡しただけ。
でも、それをすることが、相手が自ら育ち、自分で自分の身を守る方向に進んでいく手助けになる。
それを見せてもらうと、計り知れない希望を感じます。
ささいなことのようで、こういうことの積み重ねが、安全や、他の生命とよいかたちで共存していくことにつながれば、こんなうれしいことはないですよね。
大切なことを伝えれば、何かが返ってくる。
堀先生は、自分の知識・技術を高め、
それを人に(おしみなく)伝えること、
と最終講義のその最後に繰り返していました。
それから何年も経ってしまったけれど、
先生の伝えてくれたことは、
今、自分の中で響いています。
すぐにはわからなくても、
ちゃんと伝わっていた。
これも伝えることの希望の一例でしょうか。