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危険?と思いながら森の中を歩くと…
これまでも、木のことを、
わりといつも考えて
暮らしていたつもりでした。
ですが、森の中を歩いてみて、
その時の意識、というのか、
気づき方、注意深さが
以前と比べて変化したのを感じました。
最近、「みんなの安全」を
どうやって向上させるか?
というテーマが、
以前よりもさらに重視されるように
なってきたのが理由?と思います。
もともと、木の形を読む、
そこから、危険性も含めて情報を得る、
という仕事をしてきました。
森や木のある場所を歩くと、
習性として、
とにかくキョロキョロして落ち着きがなく、
一緒に歩いている人と話をしつつも、
目は泳いでいて、
おもしろいものを常に探してしまいます。
たぶん、多くの樹木さんは
そんな感じだと思います(苦笑…)。
ですが、今回、立派な木に
会いに行く過程で、
予想以上に長い時間、
山道に慣れた人なら、
車でもなんとか走れるくらいの道幅、
舗装はされているけど、
傾斜のきつめの道を延々と歩きました。
その過程で、以前よりも、
危ない木が、次々と目に入る感覚に気づき、
自分でもおどろきました。
それなりの長い期間、
訓練してきたはずなのに?
で、思ったのです。
危険に気づく道(どう、華道なんかの道)や
ワザにも、たぶん終わりはない。
安全を気にかけて、
山や木のある場所を歩けば、
どんどん気づきやすくなるのは、
樹木医であっても、
森や山で活動される方でも、
一般の方でも
変わりはないのだろう、と。
今朝も、「今年は猛毒のキノコ豊作」
というニュースを目にしました。
私の場合は、主に枯枝、枯木を気にしつつ
歩いていますが、
この意識、実は、危険物全般に
つながっていくのではないか、
と思いあたりました。
ふだんから、「安全?」「危険?」
に注意深くなれば、
枯枝であろうと、毒キノコであろうと、
「これって、大丈夫かな?」と自問する
クセがつく気がするのですが、
いかがでしょうか?
知識や経験の量によって、
分野ごとの、警戒心、注意深さ、
に差が出るのは、当然だし、仕方ない、
と思います。
ですが、どこにいても、
なにをしていても、
危険なもの・ことに、
油断なく、というのは、
今のように
何が起こるかわからない、
という時代には、
大切なことのように思われます。
大きなトラブルに遭遇して
困らないためにも、
日頃から、マイナー・トラブルは
経験して、経験知を積んでおきたい。
そのためにも、
まずは、山や森を歩く経験を増やす。
楽しい、に加えて
自分で自分を守れるようになるための
訓練の意味も、もたせて。
究極的には、できれば、
自分で危険を回避できるようになりたい。
それが、少しでも安全に近づくための
方法だと思えるので。
そういう意味で、枯枝や枯木、
毒キノコなどに注意しながら、
できれば、その分野に
知識や経験を持つ人と
山や森を歩くのは、
楽しい➕よい訓練になる、
と思います。
今回は、ただただ、立派な木に会いたくて、
山道をぐんぐん登りましたが、
その過程で、
枯枝・枯木に気づくセンサーは
まだまだ磨く余地がある、
と気づかせてもらいました。
これも、きっと山の神様か、
木々が教えてくれたのだと思います。
基本的は、そのような存在に
守ってもらっている、と思いつつ、
でも、油断はしないで
これからの秋の紅黄葉シーズンを
楽しんでいただきたい、と思います。
場所や標高によりますが、
そろそろ、いい季節到来、なので。
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