「弟子に準備ができたとき、師が自然に現れる」というけれど、本当にそう、と感じます
人というのは、必要な時には、必要な人を探し出せる力を持っているのでは? そう感じることは、ありませんか?
スピリチュアルでは、「シンクロニシティ」は普通ですよ、と言われそうですけれど(笑)。
今、ある学生とメールで頻繁にやりとりしています。
直接話をした後も、この人には伝えておきたい、と思うことが次々と思い浮かぶので。
そんなメッセージを送るたびに、誠実かつ簡潔なお返事が返ってきます。
やりとりしていて驚いたのは、まだ20歳そこそこの若い人ですが、私が強く共感してきた、私の先生と同じような「生命観」をしっかりもっていることです。
それは、今は、例えば、木の場合、所有者・管理者がいるけれど、生命というのは本来、誰かが所有できるものではない、尊い存在である、というもの。
ちなみに、私の先生は、生物学系を専門とする方です。
が、大学生の時、学生運動で学校に行けなくて、他の人はアルバイトしたり、スポーツをしたりしているときに、自宅にこもって、ひたすら、仏教、東洋哲学の専門書を読んでいたという人です。
だから、生き方、考え方に、一貫した宗教・哲学的な裏付けがあります。
話を元に戻すと、そんな生命観に対する理解を簡潔に表現できている、その学生の力量に圧倒されました。
経験量は違うにしても、すでに現時点で、私のレベルをはるかに超えていると感じます。
この人も、私がそうであったように、自分のやりたいことをやるために、その時々、助けてくれる人を見つけられる(与えられる?)タイプなのだと思います。
タイトルの「弟子に準備ができたとき、師は自然に現れる」という言葉は、とても納得できる好きな言葉です。
調べてみても、たしかな出典は不明とのこと。荘子か道教など、中国の古い文献?とのことです。
わからなくても、いいですよね、この言葉には、とてもパワーがあると思うので。使わせてもらいましょう。
準備ができたら、そのときには、目の前に、ちゃんと指導してくれる人が現れます。
今の私にとっては、ITコーチングをしている方が、そんな存在です。
「これ、なんとかしたい!」と強く思っていると、ちゃんと現れてくれるのです、いつも不思議に思いますけれど。