木曽義仲の育ての親・中原兼遠の伝承地
平安時代の終わり、源平合戦の時代に、平家や源頼朝と戦った源氏の武士として知られる木曽義仲(きそよしなか)は、その名の通りこの木曽谷で育ったと伝わっています。義仲は実は埼玉県の方の生まれなのですが、2歳のときに父を殺されてしまったあと、木曽の豪族・中原兼遠(なかはらかねとお)に引き取られ、この地で育てられました。
木曽町の日義~上田にかけての一帯には、そんな中原兼遠に関する伝承地が複数残されています。
まず、兼遠の菩提寺であり、お墓もあるのが林昌寺というお寺です。木曽町日義(ひよし)、原野(はらの)駅の近くの国道沿いにあります。
そこから少し木曽福島の方へ進んだ上田というところの田んぼの中には、兼遠の屋敷の跡地と伝わる場所があります。
ここには義仲が元服の際に植えたと伝わる大きな松の木が生えているほか、奥の方の竹藪の中には兼遠塚という石碑もあります。
さらに木曽福島方面へ進むと、手習天神(てならいてんじん)という赤い鳥居の神社が現れます。これは義仲の学問の神様として兼遠が祀ったものと言われています。江戸時代に作られた現在の社殿の見事な彫刻は必見です。
8月のお祭りの際には、手習天神の境内は提灯で飾り付けられ、また鳥居の左横の薬師堂も開かれ、非日常的な雰囲気を楽しむことができます。
手習天神の向かいの公民館の敷地には、義仲が拠点にした長野県上田市にある「義仲桜」と、巴御前が晩年を過ごした富山県砺波市にある「巴松」の種や苗が植樹され、育てられています。地元の方々が義仲を通じて他地域と交流している様を見て取ることができます。
そこからまた更に木曽福島方面へ行って橋を渡ると、荒神社という神社があります。この神社も木曽義仲の元服のころに建てられたという伝承が伝わっています。
このように、日義の里は、旧中山道沿いやそこから近いところに、中原兼遠に関する史跡が沢山あります。美しい木曽谷の景色を楽しみつつ、歴史を感じるウォーキングに最適なところですので、是非お越しください。