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2022年1-3月 学会等々まとめ
最近3ヶ月
2022年が始まって以来、学会やワークショップを主催、あるいは他の方々のイベントに参加したりが続き、文字通りイベントフル(Eventfulというより、むしろEvent Full)でした。
「学会ってどういうもの?」と尋ねると、英語圏の学者からは「会話で成り立っているもの」という答えが帰ってくることがしばしばあります。研究史が前進していく過程というのは、研究者同士の会話によるという考え。私にとってのこの3ヶ月間は、まさに他の研究者たちと会話をして、自分が考えてきたことを試し、多くの場合、変質することを迫られるという経験でした。
春休み中少し落ち着いたということもあるので、今のうちに学会等々での経験について振り返っておきます。おそらく雑多になるので、全部読むよりは見出しから興味あるところに飛ぶのがいいと思います。
1月20日 東ティモールにおける長い体制移行のパターン
私が10月から所属している東南アジア地域研究所の先輩にあたる、小林知先生から「体制移行というキーワードから、東ティモールの長期的な歴史について話して欲しい」というリクエストを頂きました。自分が今まで用いてきた枠組みとは異なる視点なので、最初は少し戸惑いました。けれども、自分が用いてきた第一次資料や文献を今までとは異なる視点で眺めつつ、100年、500年単位で体制移行のパターンについて考え直すとてもよい機会になりました。
短期的な変化を一旦棚に上げて、長期的持続、緩慢な変化、あるいは繰り返すパターンに目を向ける。すると、東ティモールの場合は初期植民地化の時代(大まかに言って1600-1840年くらい)と後期植民地主義の時代(1850年頃から最近まで)で異なる戦争と統治のパターンがあるんじゃないか、というのがだんだん見えてきた大まかな構造。19世紀末のポルトガルによる植民地平定戦争以降は、約30年で戦争・体制移行・平定と新たな社会的緊張の創出→戦争というサイクルを繰り返しているように見えます。このサイクルに関しては、単なる偶然とは言えず、構造的な問題があってこのパターンが成立してるんじゃないか、というところまで1月20日の段階で辿り着けました。
この発表をするのに、再読あるいは新しく読んで非常に勉強になった本を以下の紹介しておきます。
↑英語圏でも日本でもあまり広く引用されてないのだけれど、ポルトガルの平定戦争の研究としては代替できる本がどこにもない本。ポルトガル政府の文献を網羅している作品で、これを読むとわかるのはポルトガルの平定戦争というのは、それよりも遥かに有名なインドネシアによる東ティモールの侵略とほぼ同じレベルの人口減少をもたらしたということ。
↑1975-99年のインドネシア占領時の東ティモールにおける人権状況に関する真実和解委員会の最終報告書が掲載されているサイト。数千のインタビューに基づいたもので、今のところ最も実証的。
↑自分の論文ですみません。ただ、Pelissierの平定戦争の研究、真実和解委員会のインドネシアによる軍事占領の報告書、そして自分自身の第二次大戦の研究を比べてみると、この3つの戦争は大まかに言って似たような戦争だったんじゃないか、という印象を持つようになりました。
ティモール以外でとても参考になったのは以下2冊。
2月14-26日 益田肇の冷戦再考ーアジアの草の根の経験ープロジェクト
益田肇先生に関しては、昨年毎日出版文化賞と大佛(おさらぎ)次郎論壇賞をダブル受賞の大躍進のいち年間だったので説明が要らないかも知れません。私は2019-2021年にシンガポールで益田先生の冷戦再考 アジアの草の根の経験プロジェクトに参加していましたが、今でもミーティングに顔を出しています。
まだ読んでない人はこれ読んで下さい↓
プロジェクトの最大目標のひとつであるオーラルヒストリーアーカイブズも開設されました。今はまだ100件ほどが公開されているだけなのですが、最終的には数百件のインタビューが公開される予定です↓
ワークショップでは、編著のシリーズを出版することを目指してます。現在、1冊目(私も一章貢献する予定)が査読中。今年のワークショップでは、2冊目に向けた発表が揃っていました。後者は出版まで数年かかるとは思いますが、長期的にはインパクトが出るシリーズになると思います。
3月某日 日本東ティモール研究協会に参加
https://seminariutimorlest.wixsite.com/website
上智大の福武慎太郎先生と東大の須藤玲さんに誘われて日本東ティモール研究協会に参加することになりました。一緒にこの会をグローバル東ティモール研究の様々なグループとつなぐというアイディアを推進することに。
3月11-18日 米国アジア研究協会 東ティモール研究イニシアティブ
米国アジア研究協会の会員になって6年位経つのですが、去年から東ティモールとインドネシア関連の委員会・グループのリーダーシップに参加することになりました。今年は、東ティモール研究イニシアティブのワークショップを主催することになりました。
今回は素晴らしい論文が11本(文化研究、政治経済、歴史など)集まって、参加者・コメンテーター共に非常に多彩なメンツだったこともあり、そこで起きた会話も新鮮でした。
特によかったと思ったのは、インドネシア研究を中心にやっているスター研究者たちがコメンテーターとして参加し、東ティモール出身の学者の卵のような若者たちと議論してくれたこと。学術的にも東ティモールとインドネシアの(研究者レベルでの)和解という意味でも感慨深いものがありました。
個人的には、自分が書いてきた論文や出してきたアイディアに対して、学術論文で応答してくれたり、それを使ってさらに研究を前進させてくれるような論文も複数出てきたのがとてもうれしかったです。
どうやら今後4年分の活動に関しては、某国の国際交流機関がファンドを出してくださるようなので、これからもさらに広がっていきそうです。
3月19日 知的帝国主義に関するワークショップ
米国アジア学会の合間に、NUSの先輩で東南アジア地域研究所の同僚に当たる芹沢隆道さんの呼びかけで参加した知的帝国主義に関するワークショップで発表してきました。西洋で生産された知識の無批判な借用の問題、その実態をどう変革していくかを主要なテーマとしたものです。
私は、東ティモールの歴史教育と国史のテキストの現状、その社会に根ざした歴史の教科書を作る上でどのような準備が必要か、というような話をしました。新しい論文の草案を2週間くらいで書いて発表したので大急ぎでしたが、議論はとても興味深かったです。
私の学術的な意味でのアイドルでサイド・フセイン・アラタスという、既になくなった社会学者がいるのですが、彼の息子であるサイド・ファリド・アラタスが私のコメンテーターとして入ってくれました。
3月26日 米国アジア学会 ミンダナオ北部における密輸関係者の歴史
ここ3年間、フィリピンでの調査の中間発表のようなものです。主に20世紀後半に密輸に関与してきた女性たちとの会話をソースとし、彼女たちの経験とその現在への影響についてまとめた論文。
この調査については、去年も一度発表したのだけれど、聴衆の反応が非常にいいので楽しみ。早く論文にしたい。
博士課程時代と打って変わって、現在オーラルヒストリーをメインでやっているということもあり、新たな分野の文献を読んでいます。その中で、最近保苅実の「ラディカル・オーラル・ヒストリー」を読む機会があって、自分の現地調査のスタンスについて非常に考えさせられました。
と駆け足で振り返ってみましたが、我ながらよくこの学会マラソンを生き残ったと思います(笑)今年度はもう少し静かに執筆したいけれど、この会話に継ぐ会話は私の考え方を大きく変えることになりました。
※カバーフォトは、最近共同運営することになったTimor-Leste Studies Initiative at the Association for Asian Studiesのウェブサイトから。撮影はスザーナ・バーンズ。
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