道徳の授業って難しい!
こんにちは。kishです。
今日は「道徳の授業って難しい!」
このテーマでお話しします。
目次です。
・そもそも心は見えない
・言ったことがその人の全てとは限らない
・着地点が分からない
・どんな話し合いがいいのか分からない
・道徳で評価って??
・道徳って結局なんなの。
では早速本題にいきましょう。
「道徳の授業は難しい」
よく聞きます。
しかし,一言で「難しい」と言っても,
いろんな難しさがありますね。
今日は,道徳がなぜ難しいのか、
私なりに考えたことをお伝えしたいと思います。
始めに言っておきます。
今日の記事に解決策はありません。
「そうそう!」「そうなんだよ!」
と同意を得ることを目的に書いた記事です。
それを承知でお読みください(笑)
そもそも心は見えない
人の心は、見えません。
それに、心ってどこにあるんでしょう。
心臓? 頭? 顔? 体全体?
「心を耕す」と言いながら、
その心がどこにあるか、明確に応えられる人はいません。
田んぼを耕そう。でもその田んぼはどこにあるの?
なんて話。本末転倒ですよね。
場所が分からなければ、方法も対処法も、効果的な方法も分かりません。
見えない心を扱うなんて、本当に難しい!
言ったことがその人の全てとは限らない
子どもは道徳で思い思いのことを発表します。
なるほどな~と思うような意見。
なんで?と詳しく聞いてみたくなる意見。
でも、思いやりを扱った授業でいいことを言ったなと思った子が、
次の休み時間にケンカでトラブルを起こしています。
「もう、あの授業の意見はなんだったの!」と天を仰ぎたくなります。
人は言ったことが全てではありません。
思考の一部を言葉にしているに過ぎません。
本心で言っていても、本当かは誰にも分からないのです。
また、「発表」という形式は、他の友達も聞いているため、
見栄も張ります。
「いい子に思われたい。」「できると思われたい。」
子どもながらにそんなプライドをまとって、
授業中は意見を言ってきています。
子どもの意見が純粋じゃないかもしれないなんて、本当に難しい!
着地点が分からない
話し合いが活発になったとします。
でも、まとめはどうすればいいのか分からない。
・いい話でまとめる?→いい話が思いつかない。
・よかったねで済ませる?→軽い気がする!
・全ての意見を網羅した言葉を探す?→そんな都合のいい言葉、出てこない!
子どもたちが納得する答えを出そうとすればするほど、
授業の着地点が分からなくなります。
授業をしている自分が、
いいことを言おうとして、
でもまとまらなくて、
でも子どもを納得させようとして、
結局ちぐはぐなことを言っていて、
子どもの反応が悪くて、
自分でもよくないまとめだと分かっているので
消化不良のまま、授業が終わる。
いい着地方法がないなんて、本当に難しい!
どんな話し合いがいいのか分からない
話し合いが大切って言うけど、
子どもは「話し合いましょう。」って言っても全然話をしない。
「今の発問は難しかったかな?」と違う言い方をする。
でもやっぱり反応が悪い。
じゃあ、ワークシートに話し合うことをあらかじめ書いておこう。
それが話題がぶれなくていいよね。
うんうん、子どもたちはしっかり話し合っている。
じゃあ発表してもらおう。
あれ? なんか浅い意見ばっかり。
今日のねらいに全然いかないんですが、これでいいの?
道徳の話し合いって何よ! 本当に難しい!
道徳で評価って??
数値で評価しないって、じゃあ評価するなよ!
なんで道徳の授業で、よかった、悪かったと評価しないといけないの!
見えない心の評価ってどうやってしたらいいんだよ。
質問してもグダグダ長い答えしか返ってこないし。
スパーンと短い言葉で教えてほしい。
評価しないといけないなんて、本当に難しい!
道徳って結局なんなの。
そもそも、そもそも、そもそも、
道徳って何?
家庭教育がしっかりしていたら、
道徳は学校でしなくていいんじゃないの?
学校に道徳すら押しつけるから、学校が忙しくなるんじゃないの?
道徳は何を教えればいいんですか?
いかがでしょう。
これらは私が
先生になりたての頃に気持ちを戻して、
考えたグチです。
でも、本当に道徳って難しいですよね。
今は、これらの「難しさ」に
全て答えをもっています。
皆さんにこれらを、
このブログとツイッターでお伝えしていきます。
今後もよろしくお願いします!
ではまた次回!
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