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「◯◯したからガンになったのか?」を考えずにはいられない

過ぎてかえらぬ不幸を悔やむのは、さらに不幸を招く近道だ。

シェイクスピア『オセロー』

先日、父(60代)にガンが発覚した。
とはいえ検査の結果、転移はなく、比較的前向きな治療となりそうでホッとしている。

しかしまあ、発覚直後の動揺はやはりそれなりにあった。
特に母は「食事が悪かったのか」など、自分のせいではないかと考えているようだ。

気持ちは分かる。
本来ならこれから先のことを考えるべきなのだろうが、つい原因を探りたくなってしまう。

もちろん原因が分かったことで納得して、次に進めるという考えもある。
しかし病気については、明確な原因というのは分からないだろう。

「あれが良くなかったのか?」「これをやるべきだった?」

そう考えてしまったとき、私は引用した言葉を思い出すようにしている。

実は、父は若い頃にも一度ガンを患っており、かつ我が家はガン家系。
日本人の死因No.1である以上珍しくもないが、我が家にとっては身近な病気だった。

そのため、食事や生活についてもっと気をつけるべきだったと言われたら、「そらーそう」と思う。

とはいえ、だ。

「ガン家系だからガンになりやすくて、あれもこれも気をつけなきゃ」と神経を尖らせているほうが、余計なにかの病気になりそうではないか?

一般的に身体に良いとされるもの、例えばキノコや海藻類が、私は軒並み苦手だ。
食べられなくもないが、相応にテンションは下がる。

野菜もそこまで好きではない一方で、ファーストフードも甘いものも好きだ。
カフェインもアルコールも、がぶ飲みするわけではないがやめられないとも思う。

これらを制限して数十年生きることを考えると、なかなか厳しい。
とはいえ「我慢するくらいならガンになってもいいぜ」と大きな声でも言えない。
もしそうなった時にはきっと私も、「あれのせいかな?」「これのせいかな?」と考えてしまうに決まっているからだ。

そう考えてしまうのは仕方ない。
しかし考えても答えが出ないことは、分かっている。
だからシェイクスピアのこの言葉は、少しでも早く抜け出すための救助ロープのようなものとして、残しておきたい。

少しでもポジティブに考えるとするなら、我が家はガン家系である代わりに、脳卒中や心筋梗塞で突然亡くなる人はほぼいない。

祖母は終活として、持ち物を綺麗に整理したうえで亡くなったし、葬式で配るお菓子まで指定していた。
「余命」は残酷だと思うとともに、たとえ限られていても「残された時間」があるのは、ありがたいことだ。

かくいう私も、家族でやりたいことをせっせとリストにまとめている。
今回はなんとかなったとはいえ、いつ誰が欠けるかは分からない。

もちろんこれは家族に限らず、友人とやりたいことや私自身の目標についてもそうだ。
月並みな言葉だが、「1分1秒大切に生きなければ」と思い知らされる出来事だった。

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